深夜のまほろば
深夜、PCに向かいながら誰もいなくなったオフィスで延々と作業をする。
ついぞ半時ほど前まで聞こえていた咳払いもあくびも聞こえずにただただ上気したPCのファンだけが音をあげる。
cpuの温度があがりカーソルが止まり始めたら休憩の合図だ。
誰もいない廊下を抜けカードキーを通し抜けた先の喫煙室に向かう。
夕暮れ時には霞がかったように見えていた駅向こうの景色も今は自分を写す鏡となる、文字通り。
定期的にメンテナンスされ途切れることのない蛍光灯、定期的に毒をもられとぎれとぎれになる自分自身
ーを重ねて羨ましく思う。
誰もいないはずの喫煙室
一度、蛍光灯の電源を落とし鏡を取り払い高層ビルから眺める本来の景色を楽しむ。
ここに来るまでどれだけかかったか。
経済的に恵まれた家庭であったのは確かだろう。
中学から塾に入れてもらい高校でも受験のための塾に入っていた。
大学もそこそこ金のかかる大学を奨学金なしで出たのだからいいんじゃないだろうか。そこまでして上り詰めてやっとここだ。平々凡々並大抵。
それでいいじゃないかと思う自分もいればまだやれると思う自分もいる。
だからこうして間を取って残業をしているのだ。折衷案というやつか。
それにしては、俗に言うレガシーで退廃的なのかもしれないが
誰かが言っていた、自分の限界は自分で決めるもんだと。
若いうちは自分もそう思っていた。
ただ、最近思うのは自分の限界を自分で決められる、そういった人物はすでに私の周りにはいない。
自分の周りにいるのは自分の上限を自分で決めた、そういった人たちだ。
諦めと覚悟は本質的には同じものかもしれないという記事をどこかで見たが、持てるカードで戦ってるやつと手に入らないものをやっとこさ手にして戦うやつではもう一回のターン数、コストが違う。
すでに持っているもので戦うしかないのだ。
そういった意味では上限を見定めた人間は強い、そう思う。
いや、そう思はなければやっていけない。何かを学ぶには中途半端な時期で何かを洗練するにも中途半端な時期だが。
持てるカードで組み合わせを考えていこう
誰もいないはずの喫煙室の彼に挨拶をして日がな一日今日も一日がんばるぞい....................w。
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