#あかりさん

「よくさ、『今日最高に楽しかった〜! 明日からまたがんばれる!』とか、『来週のライブが楽しみすぎて今週仕事乗り切れる!』とか言うじゃないですか」

ぼくは珍しく、話し手に回っていた。

「わかります! わかります!」

「そう。おれはそれって本気で言ってるのかな、と不思議に思ってしまうんですよ」

ぼくは本当にこういった気持ちが理解できない。
何か楽しいことがあっても、その時にそれは楽しみきってしまう。
楽しみは楽しみで、しあわせはしあわせ。
何かがんばるための糧にするという考え方ができないのだ。

「しあわせの消費、とでも言うんですかね。それを燃料に何かを頑張るって難しくないですか」

そうなんです。そう。
何かの行動の理由づけに、無関係のしあわせを持ってくることに違和を覚えてしまうのです。

と、ぼくは心の中で何度もあかりさんに頷いていた。
ここまで話がわかられてしまうと却って恥ずかしくなってきて、ぼくはことばをつづけられなくなっていた。

「わたしは大学で陶芸をやっていましたけど、その理由は『つくりたい』からでしたもん。何かの楽しみやしあわせが理由となってそれをしたことはありません。『つくる』ことが嫌なときもあったけれど、その行動に向かうためのモチベは、やっぱり『つくりたい』でしたよ」

彼女はいまはデザインの仕事をしていた。

トマト巻きが刺さっていた串を串入れに入れながら、あかりさんは淡々とつづけた。

「外からの理由は消費するしかないんですよ。だから枯渇する。でも内から湧き出た理由は、そのひと自身やその行動自体に深く関わりが強いし、枯渇することがない。それにわたしたち、気づけてるってことですよ」

ぼくたちは、しあわせの消費ができない種類の人間だと。どうやらそういうことらしかった。

あかりさんにとっての『つくる』を、
ぼくはこれからも探しつづけていこう。

内からしぜんと湧き出るモチベーションが結びつく先を。

帰りの山手線でぼくはすこしうきうきしていた。

#エッセイ #あかりさん