『絶望、いりませんか』
「えー、絶望、絶望はいりませんか」
駅の改札の前で、絶望屋が商売をしていました。籠の中には威勢のいい絶望がたくさん入っています。しかし電車から降りてくる人たちは、絶望屋なんかに見向きもしません。
「そんな物騒なものいらないよ」
「誰が好き好んで絶望なんて買うんだろうね」
人々は絶望屋の隣に店を出している希望屋を訪れては、籠に詰まっている温かそうな希望を求めます。
「おいちゃん、希望ひとつくれよ」
「はい、毎度あり。あなたにいいことが訪れますように」
希望屋の主人はいつもにこにこしていて、客から人気がありました。「希望屋さんの顔を見ると幸せになる」などSNSで評判を流しているので、わざわざ遠くからこの店主に逢いにやってくる客もいるのです。
今日も希望は完売したにも関わらず、絶望はひとつも売れませんでした。「絶望屋の旦那、こう言っちゃなんだけど、アンタ商売向いてないよ」
店をたたみながら、希望屋の主人は絶望屋に声をかけました。
「わかってますけどね、家業を継いでしまったんですよ。仕方ないでしょ」
絶望屋も店じまいをしながら、希望屋に愚痴をこぼしました。長引く不況に先の見えない未来。そんな世の中で誰が絶望を買うと言うのだろうか。絶望屋は幼いころから両親の生業をひどく憎み、嫌っていました。自分は絶対跡を継ぎたくないと言い張り続けましたが、「そのくらいの絶望がちょうどいい」と絶望屋の父は意地の悪い顔をするばかりでした。本当は人に笑顔を上げる仕事をしたいと思っていたのに、と絶望屋はため息をもらしました。
「せめて売り方を変えないと、このご時世やっていけないよ。別の売り方を考えたほうがいい」
希望屋はそう言うと荷物をまとめて立ち去りました。それも一理あると思い、絶望屋は新しい販売形態を考えることにしました。
あくる日、さっそく絶望屋は訪問販売をスタートしました。駅のそばの住宅地のドアを片っ端からノックして、絶望を勧めました。
「こんにちは、絶望ひとついりませんか」
「いえ、間に合っています」
大体はしかめっ面で扉を閉められてしまうか、愛想笑いで扉を閉められてしまいます。扉を閉められなかったこともありましたが、その時は水を思い切りかけられてしまいました。
「やっぱり今の世の中絶望なんてわざわざ買わないんだよな」
絶望屋は両親が絶望を売っていた頃のことを思い出しました。「お金が余って余って仕方がない」と退屈しのぎに絶望を買いに来ていた人、経済が不安定になって「どうせ不幸になるなら自分から」と何かを諦めて絶望を買いに来た人、自殺の踏ん切りがつかなくて買いに来た人など、様々な人がいました。どんな客層に売り込めばいいのか、絶望屋には見当もつきません。
諦めずに次の家の扉を叩くと、冴えない中年の男が出てきました。
「すみません、絶望ひとついりませんか」
「ええ、ひとつください」
絶望屋は驚きました。自分でもわざわざ絶望を買う客が現れるとは思わなかったのです。絶望屋は持っている籠からとびきりの絶望を男に渡しました。
「毎度あり……だけど、どうして絶望なんて買う気になったんですか?」
すると中年の男は早口でまくしたてました。
「だって今の世の中テレビ見ていてもやれ絆だの明日に希望を持てだの、無理矢理明るくしないといけないみたいで窮屈なんだ。希望なんてお金を払わなくても質の悪いのがその辺に転がっているのに、絶望はありそうでないんだもの。自分が不幸になるのは嫌だけどさ、それ以外が苦しそうにしているのを見るのはコンテンツだと思うんですけどこんな考えでは誰からも嫌われてしまうでしょうね」
絶望屋はこの話を聞いて、あることを思いつきました。
「そうだ、ただ絶望を売るだけではお客は寄ってこない。工夫をすれば、商売はいくらでも楽しくなるぞ」
絶望屋は駅前に戻ると、早速新しい看板を作りました。
『人の不幸買いませんか』
『人を呪わば穴二つ』
『人生に刺激を』
『他人の不幸は蜜の味』
『お先真っ暗なら道連れを』
その日から、絶望は飛ぶように売れました。恨みのある人にこっそり絶望を持たせることがブームになり、人々は互いに絶望を押し付け合うことを内心楽しみ始めました。知らない家に絶望を投げ込んで遊ぶ子供まで現れ、家で子供に絶望の扱い方を教えるために買っていく親が増えました。中にはわざわざ遠くから顔を隠して大量の絶望を買っていく人もいました。こうして絶望はあっという間に全国に広がり、皆で絶望を楽しむようになりました。
そして絶望が流行ってしまったからなのか、それとも質の悪い希望を売り続けたのが原因なのか、隣の希望屋はさっぱり商売にならなくなってしまってどこかへ行ってしまいました。
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