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瞑想日記⑦【人生のレールは本当にあるのか?】


人生のレールという言葉があります。

一体、この言葉は誰が言い出したのでしょうか?


レールの歴史を調べてみると、原始的なレールを使って動物や人に荷車をひかせる方法は、なんと!紀元前から行われていたみたいですが、
レールが一般的になるのは産業革命以降なので、イギリスの小説家や思想家の方が上手く言葉にされたのかもしれません。

しかし、この言葉は、現代まで実に多くの人の人生を支配してきたように思います。


特に10代や20代にとって、この言葉はとても強力な力を持っており、学校教育から、まさにレールがあるかのように拘束されていました。

けど、改めて思ったのは、本当に人生にレールなどあるのでしょうか?




私自身の経験から、あると感じる気持ちはとてもよくわかります。


なぜなら、私も10代の時に、憧れの芸人を目指して吉本に入るかどうか、ずっと考えていた時は、人生のレールがあると思っていましたし、自分はやりたいことを選ぶことで、人生のレールから外れるかもしれないと不安を感じていました。



ここで大事なのは、「人生のレール」という概念には、人を不安にさせたり、恐れさせる力が内在されているということです。



”素晴らしい人生のレール”なんて言葉や感覚は余りないわけです。

”愛に満たされた人生のレール”なんて聞いたことのない表現です(笑)




では、人生とは、不安や恐れに支配されるようなものなのでしょうか?

この、一人一人の命から成る人生とは、不安や恐れの世界のものなのでしょうか?



不安や恐れが全くないとは言いませんが、
それは、人生ではなく、人間が作り出した世界というマインドの中にあるような気がします。



つまり、人生そのものにレールがあるのではなく、
「人間が作り出した世界にレールがある」という表現が正しいように思います。



では、今一度、《人生》にレールはあるのでしょうか?

《あなたの人生》に、《みんなの人生と同じ》、レールは存在するのでしょうか?



これを理解するには、自分の人生を客観的に【観察】して、自分で調べてみる必要があると思います。


私の活動である、ZEROマインドのワークで、一番初めに大切なことであり、
これがないと、その先にボタンの掛け違いが起こってしまうと私が経験してきたことに、【観察する力】があります。



この、【観察する力】がないまま、答えを出そうとするのは、
例えるなら、診察していないにもかかわらず、処方や手術してしまうのと同じようです。



スピリチュアルは飛びぬけた答えが魅力的に見えるかもしれませんが、
本来は、診察に当たる、観察力・洞察力・探究力に導かれて、
本質を見出すものだと思っています。



【観察する力】は、アプリをダウンロードするかのように簡単には身につかないかもしれません。


そもそも、学校や社会システムで自然と身につくものではなく、私は今も観察の修行の身です。


しかし、瞑想やワークを続けていく事で、それは確実に身についていきます。



「人生にレールはあるのか?」と自分に問うとき、
自分で自分の人生、周りの人の人生、また同じものを感じているようで異っているという現実や、自分だけの呼吸のリズムという細部にまで観察が行き届くかもしれません。

その時、こんなことを思います。



「人間の作り出した世界にはレールがあるかもしれないが、一人一人の命による人生には決まったレールは見当たらない。

人は同じように見えるだけで、その心、体、呼吸のリズムから、生死のタイミングまで、違いしかなく、その違いから生まれる人生もまた違いしかない。

人生にレールがないのなら、人生のレールという概念は誰かに刷り込まれた虚像だし、人生のレールに乗るか外れるかという考えは幻想でしかない。

では、自分の人生をどう進んでいくのか?

自分の人生は、私という、”世界で一人しかいない命”が創造していく以外に、存在することはできない。」


この、正解のない時代に大切なのは、
過去の価値観を打ち破り、正解ではなく観察力を身に付けて、
世界で一人しかいない自分の命で人生を創造していくことだと思っています。

その未来のためには、見落とされがちですが、【観察する力】をつけていくことが、必ず役に立つと思います。


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