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瞑想日記⑲【飛騨の霊山、位山(くらいやま)と古代飛騨文明】

今回は、少し個人的にご縁を感じる場所について書いてみたいと思います。


飛騨高山の聖地、位山(くらいやま)

飛騨高山にある特別な聖地に、水無神社の奥宮である、飛騨の霊山、位山(くらいやま)があります。

全国的には、あまり聞いたことのない山かもしれませんが、岐阜や飛騨の人にとっては、本当に聖地中の聖地になります。

私も、過去2回、位山(くらいやま)に参拝させてもらっていて、
そのうち1回は、
位山での儀式で、9年間活動していた古代舞踊を高山の皆さんと一緒に奉納させていただいた、とても思い入れのある場所です。

しかも、今回、改めて参拝した2021年7月25日は、
私の初めての【ZEROマインドワークショップin飛騨高山】開催の次の日でもあり、
後で教えてもらったのですが、
マヤ暦に影響を受けている《13の月の暦》では、ワークショップの日であった2021年7月25日が「時間を外した日」で、
位山(くらいやま)に参拝した7月26日が「新年」にあたる日だったそうです。

(位山参拝が13の月の暦の新年と重なったことが面白いなと思った理由は、13の月の暦の元となっている「古代マヤ文明」と位山に同時代の可能性という関係があったからなのですが、それは後の方で改めて書いていきます)


私は、岐阜が好きすぎて岐阜に引越しした経験もあり、
また再び新しい活動が高山から始まったことで、その高山の聖地である位山(くらいやま)には何か不思議なご縁がありそうだなと改めて今回感じました。


位山(くらいやま)は、なかなか訪れるには難しい場所ではありますが、
これからご縁が生まれてくる方もいるかもしれないので、
位山について少し個人的な感想を書いてみたいと思います。


位山(くらいやま)の伝承

令和の時代の始まりはまだ記憶に新しいと思います。

2019年10月22日、新たな天皇陛下による即位礼正殿の儀が執り行われました。

私もリアルタイムで映像を見ていて、
このような儀式は、昔は一般市民には決して見ることができなかっただろう事がわかるほどの厳かさに感動する儀式でした。
(いまでもyoutubeで全て見れます)


見ていた人は記憶にあるのではと思いますが、
その時、天皇陛下が手に持たれていた笏(しゃく)という木が、
なんと平安時代から、飛騨高山にある位山(くらいやま)のいちいの木で作られ続けています。

(こちらが今回の即位礼正殿の儀の笏の記事⇒https://www.shinrinbunka.com/news/pickup/21466.html



では、天皇陛下の即位儀式という日本にとって最重要の儀式に、なぜわざわざ飛騨高山にある位山(くらいやま)の木を使っているのか?

そこには、伝説が真実なのではと感じる日本の興味深い歴史が垣間見えてきます。





古代飛騨文明(こだいひだぶんめい)

飛騨地方には、
「神武天皇が位山に登山した時に、身一つにして面二つ、手足四本の姿をした〈両面宿儺(りょうめんすくな)〉が天から降臨し、
天皇の位(くらい)を授けたので、この山を位山(くらいやま)と呼ぶようになった」という地域伝承が残っています。

(両面宿儺(りょうめんすくな)は、日本書紀では悪者のように書かれていますが、飛騨の数々の民話ではヒーローです↓↓↓)


また、ホツマツタヱという古代文字による古代古伝には、
「アマテル神(天照大神)を取り上げる(産む)際に、胞衣(えな)を割くのに、位山(くらいやま)の一位(いちい)の笏(しゃく)が用いられ、この笏を持つ者は神の末裔となった。」とも書かれているようです。

また竹内文書にも位山の言われがあったり、
日本の古事記以前の歴史を研究していた作家の坂口安吾や、日本のピラミッドを研究した酒井勝軍の言葉にも、日本という国にとっての飛騨の場所と飛騨の人たちの重要性を話していた記録が残っています。

(詳しい情報は、読ませていただいたとても詳しい参考文献(http://mysteryspot.org/report/hida/hida.htm)をご参照ください。)




これらのことから、「天皇陛下の即位儀式という日本にとって最重要の儀式に、なぜ位山の木を使っているのか?」、には、
神武天皇以前に、
この位山を聖地として、日本を牛耳るほどの力を持つ「古代飛騨文明」「古代飛騨国」が存在していたという、日本史になっていない歴史があるように思います。

「古代飛騨文明」「古代飛騨国」は、今の天皇家以上の力を持った勢力であったから、神武天皇に位(くらい)を授けることができ、それが位山(くらいやま)を中心としてあったのではないでしょうか。

そして、その文明は位山(くらいやま)に残された数々の磐座(いわくら)から紐解くと、古代文字や巨石信仰により宇宙との繋がりを体現していた人たちだったように感じます。

位山に登ると、何故か自分の記憶を超えた所からの懐かしい感触が山から感じられるのですが、それはこの「古代飛騨文明」「古代飛騨国」のエネルギーが、今も残された磐座(いわくら)に宿っているからのようにも思います。

(位山の登山口から続く磐座の数々↓)

私は、磐座(いわくら)がとても好きで、
位山には、数々の磐座があるのですが、
その一番神聖な場所に、天の岩戸(あまのいわど)と名付けられた磐座があります。


この磐座は、皇祖岩(スメラノオヤイワ)とも言われていて、ヒルメムチ(天照大神)もここに葬られた、と伝わっているようです。

伝承ではなく事実として興味深いのは、
この磐座には、なんと約4000年前の古代文字(ペトログラフ)が書かれていて、
「ミズ」という文字と「イル、ガ、カ」という文字で「祈る」という意味が書かれています。
(都竹 昭雄著 飛騨の霊峰 位山より)


つまり、約4000年前にはこの場所に文字を持つ古代文明が確かにあったということです。

このことは、初めに書いた、古代マヤ文明と共通するところがあり、古代マヤ文明も約4000年前から存在していました。

古代飛騨文明と古代マヤ文明には、巨石やピラミッド形式など、人間と宇宙との営みに共通点となるものがあり、
今回「マヤ暦に影響を受けてつくられている13の月の暦」の新年に偶然参拝できたことは、
間接的にですが、二つの共通している文明のタイミングに導いていただけたような気持ちになって少し感慨深いものがありました。


(※13の月の暦はあくまでマヤ暦の影響を受けて作られた暦なので、本来のマヤ暦の新年とはカレンダーとして違いがあります。詳しくは⇒https://izumiutamaro.hatenablog.com/entry/2017/12/05/091313


位山とアルナーチャラ山に共通した個人的な感覚


僕自身、磐座などの巨石信仰に触れていると、マインドがゼロに還っていく真我探究のような感覚になっていきます。


つまり、それは現在の私たちの意識が、本来の意識の場所(故郷)に還っていく為の古代儀式の力が、磐座(いわくら)には内在されているからのように思います。



位山の《天の岩戸》の磐座は、本当に瞑想磁場で、何時間でも居たくなる場所です。

古事記以前の古代日本に惹かれている自分がいて、
古代日本人には、自然信仰だけではなく、「人間とは何か?」「私とは何か?」という探究意識が自然と存在していたように思っています。


そして、この信仰と探究がどこから来たのかも、
位山には表現されているようで、
天の岩戸の磐座からさらに先に向かって頂上に着くと、
そこは一気に「無」のようなエネルギーに変化していきます。


今までの世界がまるで過去の人生だったかのように、
気温も風景もエネルギーも新しい世界に変わっていきます。

植物も急に種類が変わり、風の強さが変わり、音も雑味がなくなってクリアーになっていきます。


このそんなに標高の高い山ではないのに、山を登っていくことで無になっていく山の感覚は、インドの聖者ラマナ・マハルシが生涯過ごした、アルナーチャラ山に登った時と似た感覚でした。


山を登ることで一人一人の意識が「無」に還っていくような・・・。

信仰と探究の合わさったアルナーチャラ山は、シヴァのハートとも呼ばれている聖地ですが、この位山も信仰と探究の合わさった古代日本のハートとも呼べる場所なのかもしれません。
(シヴァのハート・アルナーチャラ山↓↓↓)




もし位山(くらいやま)に何故か興味があるという人は、
山に惹かれているだけではなく、
位山を中心としていた「古代飛騨文明」や「古代飛騨国」の記憶にも導かれているような気がしています。

そんな方は、ぜひ人生に一度、岐阜県の飛騨高山にある位山(くらいやま)に参拝していただく機会があれば嬉しく思います。



〈位山参拝を終えて帰っていると、なんと日抱岩(ひだきいわ)という磐座から、カモシカが私の帰りを見送ってくれていることにふと気が付きました。
飛騨(ひだ)の由来はこの日抱(ひだき)という言葉から来ている説があり、そんな日抱岩(ひだきいわ)で、偶然に出会えたのも、古代から続く位山とのご縁のお陰かなとも感じさせていただきました。〉



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