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瞑想日記⑨ 【 人生が変わる時は一瞬 】

こんにちは。

noteを始めてみたものの、私のプロフィールというか、私自身がどんな人間かもお伝えしないまま、このnoteをかいている状態なので、少しずつ私のプロフィールらしい事も書いていけたらと思います。

そこで、今回は、私の人生を変えたアンコールワットの話をしてみたいと思います。











人生の分岐点


今では、全くそんな人にみられないのですが、私は20代、芸人として活動していて、大阪の吉本の劇場に出ていました。

同期の芸人だと、東京はオリエンタルラジオ、大阪だとミルクボーイに当たります。

芸人といっても、今は瞑想や探究という、お笑いとはかなり違う道を歩んでいるので、結局は全くもって芽が出なかったのですが、それでも、自分が吉本の門をたたく事がなければ、今のような自分のやりたいことで生きていく人生はなかったと実感しています。

そういう意味では、芸人を目指したことは、私にとって人生の大きな分岐点でした。

しかし、今思い返しても、芸人を志そうと決める事は、簡単な事ではなく、ある一つの出来事がなかったら、今も芸人を目指さず、そして自分が芸人を目指さなかったことを後悔するような人生だったと思います。

そんな人生を後悔することから救ってくれた出来事は、未知の国カンボジアで起こりました。




初のバックパッカー


20歳の頃、私は自分の将来について悩んでいました。

それは、自分の人生を芸人という本当にやりたいことにかけてみるか、もしくは、どこかに就職する道を選ぶかです。

私の学生時代は、スマホやネットなどの情報はなく、漠然と親の世代の考えに強い影響力がありました。

なので、今ほどいろんな選択肢がある考え方が当たり前ではなく、吉本に入るというのも、とんでもない選択くらいの印象でした。

もちろん売れる保証もないですし、自分の人生が周りの人と同じような安定と思っていた枠組みから外れることへの不安も感じていました。


悩みながらも、答えがでない、もしくは、このままだと芸人を目指さない選択に流されそうな秋ごろ、
私は、1ヵ月半かけて、人生で初めて海外にバックパッカーとして旅に行きました。

当時は、高橋歩さんの本が、ビレッジバンガードなどで話題になっていて、海外に一人で旅をすることにとても憧れを抱いていました。

おそらく、
〈もっと自分らしい人生を生きたい〉
〈もっと自分らしい自分になりたい〉
〈もっと自分の事を好きになりたい〉

というような思いに駆られていたと思います。

その答えが旅にあるような気がして、自分も行ってみようと思い、初のバックパッカーとしてタイとカンボジアへと向かいました。





広い世界を知る喜び


スマホもない時代の海外一人旅は、情報が少ない分、今の時代では味わえないような刺激で一杯でした。

お決まりの地球の歩き方は読んでいましたが、まだ一人暮らしもしたことのない20歳の青年が、いきなり一人で、言葉も通じない異国に降り立った時の、あの興奮は今でも忘れられません。


当時のタイは、まだまだ今のタイとは違い、発展途上国の空気が存分に漂っていて、無機質に感じていた日本とは全く違う、人間の生命力に溢れた映画のような世界でした。

水槽から海に還った魚のように、広い本当の世界を知る喜びをはっきりと感じたことを、今でも新鮮に覚えています。


もともと、親の影響から、仏教には馴染みがあった私は、タイの首都バンコクから、アユタヤ、スコータイと仏教遺跡をお参りしながら北に上がり、最後は南のパンガン島に向かうというルートでした。

その、北から南に折り返す流れで、タイの東にあるカンボジアへと向かいます。


カンボジアの目的は、1992年に世界遺産になっていた仏教遺跡(元はヒンズー教遺跡)のアンコールワットです。

写真で見ただけでも、そのパワーが伝わってくるような巨大なアンコールワットは、当時の世界的にもまだまだ秘境の場所で、そもそもカンボジア自体も、個人での旅は情報も少ないような未知な国でした。

しかし、このカンボジアに入ってから、私の心は今までの人生では直面したことのないものへと変わってきました。





日本とカンボジアの大きすぎた差


陸続きの国境のない日本では体験できない事ですが、初めてタイとカンボジアの国境を超えた時、国境線を跨いだだけでこんなにも違う空気になるのかと、驚くほど国の力の違いを感じたのを鮮明に覚えています。

その違いは、私の人生では体験したことのない、建物から人から何から何まで、ここは明らかに貧困国なのだという実感でした。(2003年当時)


しかも、こちらは20歳の裕福な国から来た日本人であり、
カンボジアの人達から見られる鋭い視線と、タイでは体験しなかったレベルで、物乞いとして集まってくる子供たちの人数と切実さにいきなり圧倒されてしまいました。


物乞いの子供たちにお金を渡すことが、良いことだとか悪いことだとか、いろいろ考え方があると思うのですが、
とりあえず、20歳の私は、
その貧困の状況に初対面し、日本で生まれた自分の人生が、特別な状況であったことを痛々しくも実感しました。


自分が日本で、生活には何の不自由もなく、当たり前に不満を言っては悠々と生きてきた人生に、何故か申し訳ない気持ちや、かっこ悪い気持ちが湧いたのを痛烈に覚えています。


今まで直面したことのなかった現実に、内省的な気持ちに襲われながらも、
お金を渡しても意味はないんだという誰かに聞いたような考えを元に、
子供たちを振り切った私は、アンコールワットのあるシェムリアップへと急いで向かうことしかできませんでした。




今はどうかわからないですが、アンコールワットの観光の起点となる宿のある村から、アンコールワットまでの公共交通機関はなく、当時のカンボジアは、無数のバイクタクシーと交渉して、バイクの後ろに乗りながら、一日中かけてアンコールワットを回るというのが一般的でした。

ちなみに、アンコールワット遺跡群はとても広範囲にわたっていて、一日で回れるような規模ではなく、私は3日間で、バイクタクシーと値段交渉して、アンコールワットからのサンライズやサンセットもカスタマイズしながら回りました。





アンコールワット


アンコールワットを初めて見た時の気持ちを素直に言葉にするなら、自分の人生で初めて感動という体験をしたといっても過言ではなかったと思います。

それまでの感動は、社会の枠内での感動体験でしたが、アンコールワットは、その枠の外に確かにありました。


ある意味、私という内なる世界をありのまま感じさせてくれたのだと思います。

それは、迎合したり空気を読むことなく、こんなにも素直な自分でいることを許せて、こんなにも感じたことをそのまま感じることができて、こんなにも今自分が生きているということに誇りを持てるんだという感動です。


自分を好きになれず、自分を認めることができず、自分に誇りを持てなかったことが、
社会や他人という枠を打ち砕くようなアンコールワットの世界観によって、
自分は自然と自分らしさを取り戻していました。

精神的に、カンボジアに入ってから、常に不安や緊張を感じていたのですが、
その反動からか、同じ人類がこの大地に築き上げた想像を超えたアンコールワットの壮大さに、
人間の、そして世界のスケールの違いを感じ、
それは、狭い世界の中で、自分が人生をどう生きていくのか迷っていた私にとって、まさに救いのような場所でした。


(その時のアンコールワットの写真↓)



人生が変わる一瞬



そんな神の国のようなアンコールワットの遺跡で、ふとある光景が目に入りました。

それは、カンボジアに入ってからずっと直面していた物乞いの子供たちでした。


相変わらず、物乞いの子たちとは、私自身の答えではなく誰かの答えを答えにして、逃げるように対応していました。

どうしようもないとは思いながらも、
その瞬間の自分は、本心では何とかしてあげれないのかという想いを抱きながらも、
その想いから行動してみても、何か本質的ではなく、結果的に考えをうやむやにすることしかできないのですが、そのことが自分が自分の人生から逃げているような気さえ感じていました。



そんな心境の中、アンコールワット遺跡の道端で、貧しい子供たち7人くらいが一生懸命、歌を歌っていました。


その歌は、もちろん旅行者からお金を稼ぐためのものではあるのですが、アンコールワットによって素直な自分を取り戻し、その子供たちの歌と姿に感動して、長い時間見入っていました。

(その時の子供たち↓↓↓)




こんな小さな子たちが、学校には行けず、毎日ここで歌を歌ってお金を稼いで生きているが、
日本で周りの目を気にしながら甘えて過ごしていた自分よりも、強くて素晴らしい生き方に感じ、
そんな彼らに対して、少しでも助けになればと、わずかながらも目の前にある器に投げ銭としてお金をいれました。



と、その時、誰かの考えではなく、《自分自身の考え》が初めて意識の奥から湧き上がってきました。

それは、「子供たちに渡すのはお金ではない。自分自身の生き方だ!」というものです!


カンボジアの子たちは、私に比べて、人生に自由な選択肢が少ない環境で、生まれています。


それは、一人の人間の力ではどうすることもできない、国や社会や家族や歴史という抗えない環境によるものかもしれません。

私のように海外に旅に出ることもできなければ、学校に行く事も、好きな場所に遊びに行く事も、そして、自分の生き方を自由に選択する事も難しいかもしれません。

どうしようもないことかもしれませんが、そんな子供たちに対して、同じ命として、何か力になれないかという気持ちは自然と湧いてきます。


けど、何か力になるとかそういう考えではなく、
そもそも、日本という国で偶然生まれ、この選択できる環境を与えられた自分自身がそれに見合った生き方を本当にしているのか?

この子達が与えられた環境を一生懸命生きていることと同じだけ、自分は与えられた環境を一生懸命生きているのか?

この子達を助けれるほど、この子達に恥じないような生き方が本当にできているのか?



ちっぽけな今の私が本当にこの子達にできることは、気持ち程度にお金を渡すのではなく、この子達よりも与えられた環境があるなら、それに恥じる事のない生き方を自分が本当にするべきだと感じました。




選択肢が山ほどある日本で、選択を怖がって、臆病なまま人生を生きている自分に、この子達を助けようと思える資格はない。


成功とか失敗とか、安定とか不安定ではなく、宇宙に与えられた自由があるのなら、それを本当に生ききる決意をすること以外に、この子達に対して今のちっぽけな自分が返せることはない。




そんな考えが私の内から出てきたとき、
私は「与えられた自由があるなら、自分のやりたいことで人生を生きる」と心が変わり、アンコールワットの寺院で、自分らしく生きる為に芸人の世界を志すことを決め、日本に帰ってすぐに、nscという吉本の養成所に応募しました。



それ以降、私の人生は自分が本当に望む選択を生きていく人生に180度変わったのですが、それは、アンコールワットで、子供たちにお金を払ったあの出来事から始まっています。

この出来事は、現象次元では数秒ですが、心の次元では一瞬による変化で、しかもその一瞬は、それまでの私の過去20年の生き方から、今現在、または未来までも含めた変化へと繋がっていきました。


そのように客観的に捉えると、人生の変化とは、いつも一瞬に凝縮されるものなのかもしれません。


そして、この一瞬は、いつからでもどんな状況からでも起きる可能性があるのだと思います。



今は、世界の変化により、多くの人が、選択に臆病になるかもしれません。

しかし、私たちは、ものすごい選択の可能性と自由のある、日本という環境で生きています。

環境はどの国も同じではなく、本当に想像以上に違っています。

その中で、いくらでも選択と自由がある日本という環境だからこそ、環境を見誤って後悔するのではなく、今一度環境を理解することで、自分の命が本当に輝く未来へ一歩踏み出していけたらと思っています。

その一歩は心の変化という一瞬が始まりとなり、その一瞬はどんな時でも私たちの心の中に与えられている宇宙からのギフトのように感じています。


kaky

(当時のカンボジアの村↓)

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