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【無料】サンマ天鳳位いちはらとの邂逅【コラム】

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面白い文章とは

「面白い文章を書くコツ」と言えば、私はこれしか思い浮かばない。
それはズバリ「実体験を書くこと」だ。

文章というのは、背伸びしちゃあいけない。
自分の目で見て、耳で聞いて、そして肌で感じた、ありのままを書くと大体面白くなってしまう。

私の遭遇したイカサマ現場
麻雀戦術本・裏話
燃え盛る下半身


本人としては「何も面白くないぜ」「ちんこがもげそうになっただけだぜ」…という話でも、読む人からすると興味深かったりする。
読む人は、文章を読むことで、その著者の体験を擬似的に味わえるのだ。

何か書いてみたいけど、何を書けばいいのかわからない。
面白いことが浮かばない。

そんな方は何でもいいので、自分の実体験から書いてみよう。
特に自分が本当にハマったものや、これなら細部まで知っている!というジャンルは、たとえマニアックになってしまっても、必ず読みたいと思う人がいるはずなのだ。

風俗紀行なんて、その典型的な例だと言える。
パネマジで横綱が出てきた、というありがちな話でも体験談だとなぜか面白い。

というわけで、本日は、サンマ天鳳位の中でも有名な「いちはら」との思い出を書いていこうと思う。
いちはらを知らない方でも十分に楽しめるよう書いたので、是非最後まで読んでもらえると嬉しい。

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サークル21

西暦にして1995年。
携帯電話どころかポケベルもない時代。

高校を中退したばかりの私は、名古屋の郊外にある「サークル21」という雀荘に通っていた。当時は21(ツーワン)という愛称で呼ばれていた。

21は地下にあった。
薄暗くて狭い階段を降り、黒くて重いドアを開くと、青い絨毯が敷き詰められた、広い店内が広がる。

麻雀を打つ誰もが「心のホームグラウンド」が存在するのではないか?
一番多くの時間を過ごし、一番思い出の詰まった雀荘。

私にとって、21は青春そのものだった。

21で麻雀を磨き、本当の仲間ができて、恋愛もして、仕事を覚えた。

青い絨毯のせいか、そこだけが外の世界と分離している、水槽のような感覚を持っていた。

21は当時の私の全てだったのだ。


いろいろあったようにカッコつけて言ってみたが、9割は麻雀だ。
月に平均で300半荘は打っていた。そこでの鬼打ちの経験が、今の礎(いしずえ)になっていることは間違いない。

周りも強い奴らばかり。
そういや、21はメンバーが30人以上いた。

当時珍しい「ボード精算」のお店で、ボードに麻雀のスコアを記入して、帰りにカウンターで勝ち負けを精算するというスタイルのお店。
そのボードに、メンバーは各自に割り振られたアルファベットを書くわけだが、それがAからZまで使い切って、「α」とか「Σ」とか出てきたから、30人以上いたのは間違いない。

今思い出したが、私に割り当てられたのは「O」(オー)だった。
20年後にZEROと名乗りだすとは何かの運命を感じる。

その30人の中でも、私はイキのいい若手として頭角を表していた。
麻雀だけは誰にも負けない!そんな強い気持ちで打っていたのだ。

水槽にサメがやってきた

そんな21にヤツはやってきた。
今回の主人公「いちはら」である。

当時のいちはらは20代半ば。
中肉中背にスネオヘアー。
誰にでも話しかける明るいキャラクター。

既にいちはらは瀬戸(愛知県)にある雀荘で「瀬戸の神様」と呼ばれていて(本人からしか聞いていないので怪しいものだがw)それだけでは飽き足らず、名古屋に遠征にきたのだ。

強かった。恐ろしく強かった。

門前派なのに全局参加してくるイメージだ。
牌効率に長け、嗅覚だけでギリギリまで押し、そしてリーチを被せてくる。

超攻撃麻雀。

彼は中指盲牌ストだ。
中指盲牌で36mの高め三色の6mを秒でツモリあげたのを見た時は、衝撃が走った。
驚く部分が違うかもしれないが、5mと6mを瞬時にわからない限り、盲牌はするべきじゃないな…と、この時思った。

「前回いちはらさん、60のトップです!3連勝です!おめでとうございます!」

ボード精算特有のトップコール。いちはらの連勝を何度聞かされたかわからない。

それだけ勝ちまくっていたのにも関わらず、いちはらは、ほとんどの客やメンバーに好かれていた。

「いっちゃん」という愛称で呼ばれ、全員を巻き込んでやいのやいの言いながら打つキャラであり、あそこまで楽しそうに打っているのを見ると、こっちまで楽しい気になってくる。

「くぅそんな素人のカン6sに負けるかぁ…!」

と彼が言っても、嫌味に聞こえないのが不思議だ。

いちはら自身も21が気に入ったのか、最初は週末だけの来店だったのが、そのうち連日連夜来るようになった。

夜まで打って、そこから他の店でサンマのセットを打って、また朝から21に行く…そんなことはしょちゅうだった。

私もたくさん同卓した。
分は明らかに悪かった。

この人には絶対勝てない、そう思った。

自分は「水槽の中の蛙」だったと気付かせてくれたのである。

東風荘時代

いつから…というわけでなく、仲の良かった21メンバーも、徐々にバラバラになっていった。

卒業して就職するもの、田舎に戻るもの、上京するもの…21の最盛期が静かに終わりを告げた。
かくいう私もパチスロの世界にどっぷりと浸かり、21は辞めていた。

そんな時代に私がたまにプレイしていたのが、オンライン麻雀の先駆け的な存在、「東風荘」である。
ダイヤルアップ接続というのが主流で、接続が定額(テレホーダイだったかな?)になる夜の23時以降になると一斉に人が増えるのが特徴。

今となっては信じられないが、誤ロンすると即チョンボだった記憶がある。
ロンボタンは常に存在し、いつでも押せるのだ。
フリテンに気付かずにチョンボする打ち手も多かった。

後チャットもあった。
私がリーチを打った時に「36p」とだけ言い残して消えていくギャラリーもいたw

そこにも、やつがいた。
ハンドルネーム

「〓いちはら〓」

いちはらは21で麻雀漬けの日々に、このままではいけない、と一念発起し、SEになっていた。年収を自慢していたので、そこそこのエリートだったのだと思う。
彼は上昇志向の塊のような男だ。

それで、夜は東風荘を打ち込み、そこでもレジェンド的な存在になっていた。

いちはらが追い求めるのは、自分が「一番強い」という証明。
東風荘でもRは最上位だったし、それだけに飽き足らず、全員との対戦成績を逐一チェックしては悦に浸っていたのだ。

私は私で「あゆたん。」という名前で打っていて、彼とよく同卓した。

21時代よりはいい勝負をしていたと思う。

天鳳時代

そんないちはらが「強さを求める」ことだけに特化した天鳳に流れるのは自然の摂理だ。

2009年8月にサンマの二代目天鳳位になるや、四麻でも最高で十段3600/4000ptという天鳳位まであと一歩というところまで迫った。

当時
「天鳳はラス回避、とにかく放銃を避けるべし!」
という風潮が強かった時代に彼は
「放銃率は高いほうがいい」
とか
「先切りするな」
とか独自の理論を展開していた。

3・先切りするな。
・先切りはするな。特に赤がある手の場合は。上がりを逃すばかりか、先切りをして待ちを出やすくしたら、リーチしたら打たれるじゃないか。
そば聴上等。ツモって祝儀を取りにいけ。
各数値を見てみると、放銃率が137なのが気になる。
低すぎるな。
ちょっと降りすぎのようだ。せめて140位までは上げていかないと。

いちはらの麻雀ブログより引用)

リーチしたら打たれるじゃないかw
低すぎるなwwww

このような、天鳳にあるまじき超攻撃型な打ち方で、サンマ天鳳位を獲ったのである。

私はいちはらを追いかけるように天鳳を始めた。
21時代は絶対に勝てる気がしなかったけど、少しずつ差は縮まってきているように思う。

それにしても、21、東風荘、天鳳…と、長い間ずっと同じ場所で活動していたが、俺らの間には卓と麻雀牌しかなかったな、と苦笑してしまう。

いちはらと飯を食いにいったとか、飲みにいったという記憶が一切ない。
飯は雀荘のカツカレーだったし、終わればすぐ解散した後に、帰って寝た。

俺らの遊びの選択肢は「サンマ」か「ヨンマ」か、その二者択一だ。

こうして、いちはらはその実績を買われて「闘牌列伝 天鳳祭り」というスリアロの番組に呼ばれたことがあった。

画像1

今改めて見ると、メンツが凄いな。解説やMCも含めて。
当時は独歩さんもすずめさんも顔出ししていなかった。

俺は心底羨ましかったけど、でもいちはらなら仕方ないか、と素直に思えたよ。
生涯追いかけているライバルが、強いと認められれば、やはりそれは嬉しいじゃん。

紹介動画もあるので暇な方はどうぞ↓

(河野プロが完全ヒール役を全うしているし、福地先生もなんか言っている。)


再会

3~4年前だったかな、そんないちはらと再会した。

知人から
「昔の仲間が集まるからZEROもこない?」
と誘われ、
「いっちゃんもくるよ」
と。

私は過去に過ちを犯し、多くの仲間を裏切った。
その飲み会に集まる知人たち対しても同様だ。

彼らに直接何かをしたわけじゃないが、一方的に連絡を断って孤独になった。一度「ZERO」になったのだ。

あれから15年以上の時が経っているが、私の中でそれがずっとわだかまりとなって残っていた。

でも、彼らに謝り、許しを請わない限り、私はいつまでたっても前に進めない。気は進まないが、ここは無理にでも行くべきだ、そう思った。

集合場所は名古屋駅付近の雀荘だった。

俺らには結局麻雀しか無いのか。
卓を挟まないと会話もできないコミュ障かw

降りしきる雨の中、小走りで雀荘に駆け込んだ。

「遅かったな」
「超久しぶりじゃん?」

みんな、温かかった。
私が勝手に裏切ったつもりでいたが、周りはそういうわけでなく、むしろ心配していてくれた。

嬉しさと、気恥ずかしさ、それとやはり幾ばくかの申し訳ない気持ちが混じったまま、麻雀を打つことになった。

2卓立ったが、人数の都合で自分の卓はサンマになった。

そして対面に、いちはらがいた。

天鳳の話から昔の話まで、いろいろ語りながら打った。

相変わらずの中指盲牌から繰り出される攻撃は、まるで衰えていなかった。

しかし、いちはらは現代人らしく、スマホを片手に打っていた。
お前はホリエモンかと。

仕事の忙しさをアピールしたり、嫁の若さと、娘のかわいさ、を自慢していた。(こう言うとただのイヤなやつだがwいつもの彼でもある)

そう、彼は結婚していたのだ。


勝ち負けは全く記憶にない。
ただただ、彼の中で麻雀は終わったんだな…と、そう思った。

まぁそれは極めて一般的であり、普通の流れだが、いちはらはずっと麻雀を打っているような気がした。

悲しくない、というと嘘になる。
しかし、満面の笑みで娘の動画を見せてくる彼は、間違いなく幸せであり、人生の成功者と言えるだろう。

私は私で、現在、限りなく天涯孤独に近い生活をしているが、とても幸せである。
好きなことだけをやっているのに、今ではこのnoteの記事を待ってくれる人がたくさんいて、必要とされていることを実感できている。
承認欲求が満たされまくりだ。

ただ…。
結局、30人以上いた仲間のうち、今でも麻雀だけを打ち続けているのは私だけになってしまった。

一冊の近代麻雀に何人も取り囲み、かじりついた。
爆岡の闘牌に盛り上がったアイツらは、それぞれの道を歩み、今何をやっているんだろうか。
たまには牌を握って、今は無き「サークル21」を思い出したりしているのかな。

そして、ずっと高みを目指し、俺の目標であり続けたいちはらも、1人のいいパパになってしまった。


なぁいっちゃん。

いっちゃんが獲りそこねた天鳳位、俺はまだまだ諦めないでいるよ。

もしも天鳳位になれたら、その時はーーー


俺の「勝ち」でいいかな?




麻雀なんていつでも打てる。

そうは言っても、彼らと朝から晩まで麻雀だけを打ち続けるような日々は、もう二度とこないだろう。


遠い思い出はセピア色になって記憶の底に沈んでいく。

遥かな時が流れ、世界が変わり、そして彼らも変わっていった。

変わっていないのは、俺だけなのかもしれない。

来て本当によかった。
わだかりも取れてスッキリし、みんなの顔を見れた。

しかし…

子育てや仕事の話で盛り上がる彼らに別れを告げ、外に出ると、いつの間にか雨は上がっていた。

(ゼロマガ2020/6月号)

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