カーリング観戦から団体スポーツの魅力を整理(再定義)する
「氷上のチェス」に目が離せない
北京オリンピックの応援に一際チカラ入るのは「氷上のチェス」こと「カーリング」で、テレビではオリンピックでしか、ほぼほぼお目にかかれない競技だ。
その競技性は、ポーカーフェイスでボソッと一言で笑いを取り、独自の世界観を持つ芸人と、肩を並べるほどシュールな競技と感じるのだが、なぜか選手たちの一挙手一投足に目を離すことができない。
#おぎやはぎ
素人目から見て感じるのは…、
絶え間なく変化する戦況に対して最適な「打ち手」を選択し、手から放たれたストーンがスウィーピングにより【距離・スピード・方向性】が微調整され、事前に練り上げられた戦術を総動員で体現する。
赤・白・青のハウスの中での攻防は見応えがあり、相手のストーンをハウス内か弾き出す「ダブルテイクアウト」や「トリプルテイクアウト」が成されれば、テレビ画面を通して観戦してたとしても、高揚した気持ちを抑えられず感情が声に乗り移る。
サッカーでいうところの、ロスタイムに勝ち越しゴールを決める気分に近いだろうか。
ストーンに込められた意思
1mmもズレが許されない一投は、ハウス内のストーンに衝突し、当たる角度に対して反射するかの如く動かされる方向が定められ、その行方に息を呑む。
そんな無言の言葉がリンクから伝わったとき、個人的にはカーリングという競技性の魅力を感じ、今夜のアメリカ戦も日本酒を片手に観戦することが既に既成事実とされている。
そもそも団体スポーツが少ない冬の競技
考えてみると…。
冬季オリンピックでは、割合にチームスポーツが少ない(たぶん)。
したがって、競技で使用する道具を中継地点にして意思を疎通する機会が少ないと感じていて、あえて競技名をあげるとしたら、「アイスホッケーとカーリングくらいかなー」と思うところだ。
当然に…、
野球で使用するバットやボールにも…、
サッカーで使われるボールにも…、
意思を文字として入力することはできず、中継地点に利用する器具を受け取る前後に、情報が可視化されて寸分の狂いなく受け手に伝わることはない。
団体スポーツの醍醐味
とはいえ、発信者の「何をどうしようとしたいのか」という意思を読み取ることはできると考えている。
「発信者」と「受け手」という "2つの点" が、発信者の微妙なさじ加減によりキレイにつながった時こそが、団体スポーツの醍醐味だと思う。
そんなことを、カーリング観戦から整理(再定義)することができた。
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