「効率化」に感じた違和感の正体

「限りある時間の使い方」という書籍を読み始めたのがきっかけで、普段から感じていた違和感の正体に気づきました、というお話です。この記事では時間効率化に対する違和感、について感想を述べたいと思います。

ITエンジニアという役職柄、常に効率化、生産性向上が求められるお役目です。そのため、以下のような謳い文句に常にさらされ続けることになります。

  • 生産性を向上させろ

  • 無駄な業務は効率化しろ

  • もっと有益な時間の使い方をすべきだ

最近ではChatGPTを始めとしたAIの台頭に伴い、皆が皆AIを勉強して理解しろ、使い方を学んで自分の時間を効率化しろ、などとお達しが回ってくるのは困ったもんですね。

効率化の先にあるもの

結論から先に述べましょう。効率化を図って便利になったところで、空いた時間は別のタスクにあてがわれるだけです。

仕事というものは終わりがありません。短時間の間にこなせばこなすほど、処理できる量が多ければ多いほど、周りのあなたに対する期待値は際限なく上がり続け、降ってくる仕事の量も際限なく増え続けます。

際限なく増える仕事量を完璧にこなそうと思えば思うほど、効率化・生産性向上をもっとしなければ、という錯覚に陥ります。しかしこれは間違いです。やればやるほど、突き詰めれば詰めるほど状況は悪化します。何故ならあなたに対する期待値と仕事の量は無限大だからです。

違和感の正体

仕事の量をこなせばこなすほど、効率化をすればするほど「やらなくてもいい事が際限なく増え続ける」ということが違和感の正体でした。そして皮肉なことに、社会の期待に応えるためにそれらを完璧にこなそうと思えば思うほど状況は悪化していきます。

本当にそれらを完璧にこなす必要があるのでしょうか。
それは本当にやる必要があることなのでしょうか。
自身の許容量を超えている仕事量までやらなければいけないのでしょうか。

完璧である必要はないでしょう。かくいう僕自身も以前は「何事も完璧にこなすべきだ」という考えでした。ただし、仕事の本質が「やらなくてもいい事、望んでいないことで満たされ続けている」という事に気付いた時、全てを完璧にこなす必要はないのだ、と認識しました。

有限の時間とどう向き合うか

効率化を図ること=必ずしもやりたいことにつながるわけでは有りません。仕事をする以上、空いた時間は別の時間にあてがわれるだけです。本当に大事なのは、「有限の時間とどう向き合うか」に尽きます。

時間は有限です。際限なく膨らんでいくやりたいこと、実現したいことを全て叶えることは不可能です。それは効率化を図ったところで解決しませんし、タイムマネジメントをしたところで意味がありません。人間の欲望というものは素直なもので、一つ経験したら次へ次へ、となるもので。

あえて効率化しない、という選択肢

有限の時間と向き合うには捨てる、という選択肢も必要です。色んな事を実現をしたいがために時間を確保する、そのためにはあらゆる事を効率化、圧縮化しようとしますが、最初から効率化などせず、選択肢を捨ててしまえばそのような労力は不要なのです。もっと一握りの、自分にとって本当に大事なことと向き合えるようになります。

エンジニアとしてやりたいこと、実現したいことはもちろんのこと、自分の人生においても「本当に大事な事以外はあえて捨てる」という考え方を持てた事は大きな収穫であったと言えます。実現できない悲しみを背負うよりは、選択肢から捨てる喜びもある、という事をしれたのは大きかったかもしれません。

あとがき

まだ書籍を読んでいる最中なのでこの手の話はまだまだ出そうな感じです。タイムマネジメントやライフハックに関する書籍は多く出ていますが、「人生と時間」についての考え方を見直すには良い書籍です。いやまじで。

エンジニアを目指したキッカケを思い出させてくれた良い内容なのでもうちょっと踏み込んで紹介したいと思います。

ではまた。

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