絵葉書音楽 ~箸休めの回「ロカビリー剣法」

ひとまずここらで箸休め、という感じでお茶を濁す回です。
今回はこの傑作曲を聴きましょう。

美空ひばり / ロカビリー剣法 1958
なかなかご機嫌な一曲でしょ?
「通説」としてロックンロール(ロカビリー)の最初のヒット曲といわれるビル・ヘイリーと彼のコメッツ(当時の日本語での表記です)の「ロック・アラウンド・ザ・クロック」の日本語カバーを江利チエミがオリジナル盤発表の同年である1955年に、エルヴィス・プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」は小坂 一也 & ワゴン・マスターズ(そう、若人の皆さん、『わごーんますたぁ~』でおなじみ?の人ですよ)が同じく56年に、と、それぞれ当時としては最速に近い速度でカヴァー盤を出していて、ネットもテレビの世界中継もまだ無く、輸入盤屋さんもほとんど無かった時代なので、今考えるとその速度に意外な感じもします。しかしそこは戦前から貪欲に海外の楽曲を邦訳して日本語でカヴァーしてきた日本であり、更にこの当時はまだまだ戦後すぐなので「進駐軍」としてアメリカ軍が基地を作り、自国の兵隊さん向けのラジオ放送(FEN / Far East Network Radio)を行っていた事を書いておかないとわからない人もいらっしゃるかも(こんな文章を読んでいる方には、いないかも)な21世紀でございます。もちろん、わたしはその当時などには影も形も無く、基地の街で育った母からよく聞かされた昔話でございます(母はリトル・リチャードが大好きでした。だからなのかよくわかりませんが、後にわたしが集めたレッド・ツェッペリンやらザ・フーやらのCDやらビデオやらを勝手に持ち出して熱心に視聴していました。キース・ムーンがお気に入りでした)。

いつものごとく脱線気味ですが、日本語のロックンロールとしての「ロカビリー剣法」と、もう一曲、とても大事なこの曲を。

市丸 / 三味線ブギウギ 1949
昭和24年!この曲はジャパニーズ・ポピュラー・ミュージック史に大きな足跡を残した服部良一作/編曲の大名曲だとわたしは思っていますが、服部先生の「ブギウギ」はわたしが言う絵葉書音楽とはちょっと違うのです(「したら何で貼ったんや」「聴きたかっただけやで」)。もう、戦後のブギウギは服部先生の手腕のたまものなのか、遠い異国のものではなく、例えて言うならカレーライス、ラーメンの様な「自国の味」に「完成」してしまっています。

「日本のロックミュージック」史としては異端である「ロカビリー剣法」ではありますが、今の耳で聴くと平尾昌晃や山下敬二郎がカバーした楽曲よりも洗練されて聴こえる気がするのです。これは美空ひばりの天才たる所以なのか、カヴァーではなくオリジナルである強みなのか、所謂「正統」とされる「日劇ウエスタンカーニバル」系があくまでもそのルーツを「ウェスタン」に置いていたからなのか、この辺りは何とも言えませんが、はっぴいえんどばかりが日本語ロックの始めじゃないよという事を書いておこうと思いました(大瀧詠一師匠が自らおっしゃっていられた様に)。

続くはず! 続いた!


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