絵葉書音楽序論その3

さて、ここで第一回目に書いた「アラビヤの唄」の自己言及性こそが絵葉書音楽の構造なのではないのか?という所にもう一度戻ります。この曲の訳詞は、だいたい原曲に忠実です(もちろん歌としては、ですが)。
歌手/主人公は恋人に一緒に「アラビヤの唄」を歌って、寂しい調べに今日も涙を流そう、と誘います。ここで明示されていない「アラビヤの唄」はイントロ部分での異国情緒たっぷりのメロディで暗示されていますが、現実には存在していない「アラビヤの唄」です。
......と書いちゃうと、マギー司郎の手品みたいな、なんだそれは!っていう感じがしますが、この「どこにも存在していないけれど、現実の名前を持つ」楽園こそが、エキゾチック歌謡の本質と言って良いだろうと考えています。

もっと極端な例を挙げてみましょう。
オリジナルの柳井はるみ(松島詩子)盤が見つからなかったので、やたらとエキゾティカなUA版です(個人的に好きなヴァージョンなので)。

UA / 月の沙漠
もう、月面なので、ここまで行っちゃえばファンタジーないしはSci-Fiなのですが、どこか「アラビヤの唄」をわたしに思い起こさせるのです。稲垣足穂の言う所の「宇宙的郷愁」に通じる「何か」。言葉にならないから音楽で奏でるしかない何か、が在ると。

閑話休題、時代をちょっと飛び越えて1979年のこの曲、クラウトロック版の「アラビヤの唄」をどうぞ(違うけど)

Holger Czukay / Persian love
この時代辺りになると、テクノロジーの発達やポップミュージックの範囲の拡大という現象が起きて、より本物に近い虚構の絵葉書世界が始まります。

そして、それは本格的な搾取とも取れる事例を生んでいきます。

Burundi Black / Burundi Black (1981Ver)
この曲は元々1967年にブルンジ共和国の民族音楽として25人のパーカッションを録音したものに、勝手にフランスのミュージシャンがピアノやギター等をオーヴァーダビングしたレコードを1971年に発表し、更にそれをイギリスでサンプリングして、ビートを足したりしたのがこの1981年版となります。その間、25人のブルンジのミュージシャンには一切ロイヤリティが入りませんでした。

搾取となるともちろんこの方、マルコム・マクラーレン御大。このブルンディ・ドラムをメインに据えたBow Wow Wowをプロデュース、更には自身の名義でのアルバムまで出してしまいます。

Bow Wow Wow / C30 C60 C90 1980年

Malcolm McLaren / Soweto 1983年
植民地主義の極致としか言えないですが、困ったことにわたし、Bow wow wowもマルコムのLP「Duck Rock」も大好きなんですよね。

さて、次回はもう一度、昔へと時を戻る予定です。
続けたい  続きました


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