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24歳会社員ながらヒッチハイクに挑戦してみたら、人の優しさに触れることができた

 数年前私は、入社3年目の会社員として、日々仕事に取り組んでいた。

ただ仕事と言っても、同世代より給料が良くて、社会的に安定していて、父親に言われたからという理由で、今の会社に入ったということから、「自分は今の仕事を続けていっていいのだろうか?」と漠然とした不安を抱くようになっていた。

正直職場に人間的に尊敬できる人や、仕事が抜群にできる先輩・上司はいても「この人みたいになりたい」と思うような人は一人もいなかった。

そんな時、26歳で会社員をしている友達から、ヒッチハイクに挑戦したという話を聞かされた。


ヒッチハイクとは、通りがかりの自動車・トラックなどを呼びとめてただで乗せてもらうという方法で行う旅行のことである。しかしヒッチハイクは、社会人が行うことではなく、お金があまりない高校生や大学生がすることだと一般的に認識されている。


ただそんな時に、その26歳の人のヒッチハイクの話を聞くことで、挑戦するのに年齢なんて関係ないのだと、年齢が理由で諦める必要はないのだと自分の考え方を180度変えるきっかけになった。

ヒッチハイクへの挑戦まで


 26歳の友達の話を聞き、若い時しか挑戦できないヒッチハイクは今やるしかないという気持ちになっていた。

そして、その時ちょうど岐阜に家族旅行で行こうという計画が浮上してきた。私の実家は京都にあり、自分以外の家族は全員京都に住んでいた。そして私は、東京に住んでいて中間地点辺りの名古屋に集合して、岐阜へ旅行に行こうという計画だった。

 ただ普通に東京から名古屋まで行っても面白くない。

だからこそ、集合場所の名古屋まではヒッチハイクで行こうと思った。

そして自分は昔から、何をやっても長期間続けることができない人間だったと自覚していたので、自分を追い込むためにも家族や友人にヒッチハイクで名古屋まで行くことを宣言した。

宣言して、できないとカッコ悪い。だからこそ挑戦するしかなくなった。

ヒッチハイクに関しては、色々ネットや本で情報収集をした。ヒッチハイクで必要なものやどこなら乗せてくれやすいか、ヒッチハイクでのマナーなどを学んだ。

これを見ている時も楽しかったしワクワクした。

いざヒッチハイクへ挑戦


 そして、2019年3月19日東京の用賀にある東京IC近辺から高速道路を使い、ヒッチハイクをすることにした。ちなみに用賀は、東京ICが近いことや停めやすい場所が複数あることから、「ヒッチハイクの聖地」とも呼ばれていて、多くのヒッチハイカーに愛されている場所の一つである。

 
当日、朝10時頃、東京IC付近に着いたのだが、既にヒッチハイカーが4、5組はいた。

「こんな自分がヒッチハイクに挑戦して大丈夫か。」と冷や汗が出ていた。だが、3月20日の朝には名古屋に着いていないといけない。タイムリミットが迫っていたので、もう四の五の言ってられなかった。


40分経っても誰も乗せてくれず、心が折れそうに


 まずは「海老名SA方面」と書いた大きなスケッチブックを掲げ、車が停まってくれることを祈る。

海老名SAは、東京から名古屋方面に向かう最初の大きなSAなので、そこまでは行く人が多いことから、スケッチブックにはこう書くようにした。

ヒッチハイカーを乗せる人もドキドキするだろうが、自分ももし乗せてくれる人がいるならどんな人なんだろうと心臓がバクバクだった。正直大学入試センター試験より、この時の方が緊張した。

コンビニやマクドナルドがあるので、そこに停車している人に直接「名古屋まで乗せていってくれませんか?」と営業することもできるはずだったが、自分としては恥ずかしさのあまりできなかった。


また相手からきつい言葉が返ってきたらどうしようという思いから、直接声は掛けず、ひたすらスケッチブックを掲げていた。

40分経っても乗せてくれる人は現れなかった。


その後たくさんのヒッチハイク経験があるので、今では40分間なんてヒッチハイクで乗せてくれる車を待つまでに大した時間ではないと分かる。


ただ当時は40分もスケッチブックを掲げることは、他の人の視線もあってきつかったしこんなことをしていていいのか?という気持ちも芽生えてきていた。

1時間経ち、ようやく乗せてくれる人が現れた

 1時間経ち、もう電車で名古屋まで行こうか…と思っている時に、走っている車の1台が手を振って、「おーい。一人か?一人だったら乗せてあげるから、この先の停めれる場所に来てくれ」と車の中から呼びかけてくれた。
 
 
この時自分の胸の高まりは最高潮に達していた。


遠くの方から外見だけしか分からない自分を乗せてくれる人がいることにびっくりしていた。車に乗せてもらってから数分はずっと心臓がバクバクしていた。

 
乗せてもらったのは、4人組の大学生で、静岡県の「夢のつり橋」に向かうところだった。


最初こそお互いぎこちなかったが、本当に気さくな大学生で、みんな優しかった。この方たちは、自分が学生時代属していなかったいわゆる「ウェイウェイ系の人」たちだった。


自分ではあまり関わってこなかった人たちだったが、自分は乗せてもらっている身だから、できるだけ場を盛り上げようと自分の失敗話などをたくさんし、話をたくさん聞くようにした。

初めての人と会う経験は、振る舞いや言動など気を遣う場面が多い。ただだからこそ自分を成長させることができるとそう感じた瞬間だった。


結局この方達には、東京ICを出て大きなSAの「海老名SA」まで乗せてもらった。何度も何度も頭を下げた。自然と出てくるのは「ありがとう」という気持ちだけだった。

2台目 80代の老夫婦の方に乗せてもらった

 海老名SAに着いて、まず最初にトイレに行った。


トイレでは、初めてヒッチハイクを成功させた高揚感もあったが、何よりこの先の不安がまた押し寄せてきた。「無事に名古屋まで着くことができるのか」「誰も乗せてくれなかったら…」「自分は一体何をしているんだろうか…」

そんな思いが押し寄せて吐きそうになっていたが勇気を振り絞り、もう一度スケッチブックを手にして、「名古屋方面」の車を探し始めた。

海老名SAは、日本最大級のSAでここでヒッチハイクをすることは、かなり簡単であると言われている。


単純にここのSAを利用する人が多いし、母数が多いと乗せてくれる人も多い。ここでは、30分ぐらいスケッチブックを掲げたと思う。

特に、トイレ前などがヒッチハイクをするのに適しているという情報がネットであったので、その通りにやってみたら30分ぐらいで乗せてくれる人が見つかった。


トイレ前は、多くの人の行き来があり目に付きやすいし、トイレで用を足している間も乗せようか乗せまいかを考える時間ができるというメリットがある。

そしてついに「静岡県の浜松駅まででよかったら乗って行くか?」と声を掛けられた。


「ありがとうございます」と3回ぐらい声に出して言い、乗せてもらった。その乗せてもらった方達は、80代の老夫婦の方達だった。

本当に優しい老夫婦の方達で、見ず知らずの自分を乗せてくれるだけではなく、カップラーメンやおにぎりなど食べ物も恵んでくれたり、途中のSAではご飯などもご馳走してもらった。


ただ乗せてもらっているだけなのに、本当にありがたかった。

この時自分の考え方が少しずつ変わっていった。


今までは、自分の人生は正直自分のことしか頭になかった。「何でこの仕事をしているんだろう」とか「何で自分だけこんなきつい仕事を任されるんだろう」「何で自分は生きているんだろう」等を考えていた。


毎日同じことを繰り返している会社員の人の中には、こんなことを思う人は他にもいるのではないだろうか。

この老夫婦の方達は、自分に無償で車に乗せてくれたりご飯などを恵んでくれた。正直なぜそこまで赤の他人にできるんだろうと思った。


ただこの老夫婦の方達は、話を聞く限りそこそこの資産家で千葉県の自宅の他に別荘も持っているとのことだった。

それを差し引いても、自分にここまで赤の他人に尽くすことはできるのだろうか?と考えるきっかけになった。


ただ世の中で成功するには、「どれだけ多くの人を喜ばせることができることにあるのではないか?」と思うようになっていった。

車は浜松駅へ到着

 車内では、80代の人だからこそ聞ける太平洋戦争を生で経験した話を聞くこともでき、ヒッチハイクに挑戦しなければまずこの老夫婦の方との出会いがなかったことに気づいたと同時に、一歩踏みだす勇気の大切さを生で感じた。

そうこうしているうちに車は静岡県の浜松駅に到着し、別れの時間になった。

ヒッチハイクは一期一会ということを強く感じた。


3時間程度という短い時間でも、別れるのは自分として結構辛かった。だからLINEを交換して、また会うことを誓った。

最終的には、静岡県から名古屋までは電車で移動

 浜松駅から弁天島駅まで3台目の方に乗せてもらったが、ここで時間として18時半くらいになっていた。


正直ここからヒッチハイクを始めて、その日に名古屋に着くのは難しいと感じていた。


そのため、ここからは電車で移動することにした。
 
ここで諦めるのは、勿体なかったが、目的は名古屋まで次の日の朝までに着くことだったことを思い出した。この旅では最初の目的を見失わずに、やり遂げることも学ぶことになった。

20時名古屋に到着 この旅で感じたこと

 名古屋に到着した時、自分は胸の中から湧き出てくる高揚感とヒッチハイクを東京から静岡までやり遂げたという達成感を感じていた。


そして「新しいことを始めるのは怖いけれど、意外とやってみたら何とかなるのではないか?」ということも実感として感じた。

 
自分は、何者でもない。ただの会社員、いや社会の歯車のような存在だった。


だけれども、ヒッチハイクに挑戦したことで「何か新しいことに挑戦することの楽しさ」を少しずつ感じ始めていた。それと同時に、自分が助けてもらった恩をいつか自分が大きな存在になった時に、返したいと思うようになっていた。

 名古屋に泊まったホテルで、乗せてくれた老夫婦からもらったカップラーメンを食べながらそんなことを考えていた。

#一歩踏みだした先に

【一歩踏み出した先に、新しい出会いとワクワクが待っていた↓】
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