2021→2022

昨年、修論発表を終えた勢いでnoteを開設したものの、ほとんど投稿していない。

本当に逃げたいと思いながら大学に通い、周りの助けにより奇跡的に修了出来た、そのことをどうしても書きたかったんだなと、改めて思う。
今、久しぶりに読み返してみたけれど、かなり恥ずかしい。

あれから約1年。私にとってはとても辛かったあの場所から離れてみて、心境の変化がある。まるで関係のなさそうな趣味に関しても。

あの記事を投稿してから、人生最後の長い春休みを過ごした。その期間に、大学の友人たちとゆっくり話せる機会が何度かあった。
ある日、学科の友人数名とカフェで会った。話題といえばやはり修論。私は、いつものように研究室の愚痴を話していた。言ってスッキリすればいい、くらいに思っていたのだが、思いもよらない言葉をかけられた。

「その状況で、そこまで達成できたんだね。すぴ、頑張ったね。すごい。」

初めて言われた言葉だった。前の記事の通り、私は完全に挫折、失敗をしただけだと思っていた。頑張ったつもりでも、頑張ったと認められることは何一つ出来ていないと認識していた。
何気ない励ましだったのだと思うが、この時から私の認識は変わっていった。全否定をしなくて良い、と考えるようになったのだ。

さて、趣味のオーケストラでの演奏。大学院時代もずっとやっていたが、卒業後にオフシーズンが明け、再開した。
再開した時に驚いた。こんなにこの趣味は楽しかったのかと。そして気付いた。
どうやら、私は全般的に…2020年度の記憶が曖昧になっている。

修士1年(2019年)の頃、その時点で研究室に対するストレスをためており、それを発散するためかのように1番の趣味であるオーケストラに頼りきった。誘われる本番のほぼ全てに参加し、週末は合わせ練に明け暮れた。ちょうどその年、毎年参加している団体で、昔からどうしてもやりたかった曲の演奏もでき、趣味は大変充実した年だった。
しかし、もともとそこまで突出した技術があるわけでもない。だんだん、限界を感じるようになった。そんな折、社会の情勢も悪くなり、集まって演奏すること自体がストップした。
少し助かったと思っている自分がいた。楽器ももはや楽しめなくなっていることは自覚していたから。
幸運にも2020年の秋、演奏会に参加することができた。その時は、「楽しい」と思っていた、ような気がする。けれども、今、その時の記憶はない。モヤがかかって、その時の風景も、心情も、思い出すことが出来ない。

なぜ記憶がないような無気力な状態で趣味に向かっていたのか。今も定かではないが、大学院や自由に出歩けないことへのストレス、好きな曲の演奏を終えてしまったこと、あたりではないかと思っている。

私は、オーケストラが好きだ。これは変わらない。どうしても前のように楽しみたい。そう思い、意識して練習に取り組むようにしてみている。
2021年も後半になり、ようやく、昔のように趣味に向かう感覚を取り戻し始めた。
いつも周りに気を張り、いつもどう演奏したいか考えて練習する。これが楽しかったのだと、少しずつ思い出している。

また、幸いにも今は、3年前からやりたかった仕事をすることが出来ている。
この先がどうなるかは分からない。仕事もずっと続けていけるのか、続けたいとずっと思えるのか、そんなことも分からない。
でも言えることは、間違いなく今、2020年の私より「生きて」いると感じるのだ。
目の前のことを流すのではなく、意識が逃げるでもなく、ただ集中している。なんだか、頭が冴え渡っているような気がする。今、生きているなぁと、本当に思う。

2021年、劇的な変化の年だった。
今このように感じている時を、また1年後、どう思うのか。全然違う捉え方をしているかもしれない。
けれども、2022年正月の私は、今のように生きていきたいなと思っている。

これまでお世話になった皆様に感謝を込めて。
本年も、これからも、どうぞよろしくお願いします。

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