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愛しの毛玉ボール

猫をブラッシングして抜けた毛をまるめて毛玉ボールを作る。
それを見て自分の頭の中みたいだなと思う。

一本一本の思考が絡んで1つの球体となっている。

解こうにも解けなくて、いつもその膨大な毛玉ボールを眺めながら終わりのない討論が頭の中で繰り返される。

一度この毛玉ボールを本格的に解体しようとして、飲み込まれそうになったことがある。

何度も何度も解こうとした。
色んな本を読んだり、色んな人の話を聞いたり、紙に書いて頭の中を整理しようとしたりした。

しかし、全く整理されないどころか、今までこの存在を見て見ぬふりしてきたツケが回ってきたのか、大きくなり過ぎてどこから手を付けたらいいか分からない。


そして毛玉ボールに近づき過ぎた為に飲み込まれてしまった。


飲み込まれてからは眠れない。
全身を覆うほどの大量の思考が絡みついて、次々と思考が脳に流れ込んでくる。

あまりのうるささに「うっるさいねん!」と、自分でもびっくりするぐらいキレたことがある。
きっと今までの人生で最も声を荒げた瞬間だろう。

そんなうるさい思考を無理矢理にでも黙らす為に、酒とタバコに逃げた。
ほろ酔いで肺パンパンにタバコを吸うと、俗に言う"ヤニクラ"が起きる。

すると文字通り頭が真っ白になってフワフワするので、なんだか楽しくなる。

その瞬間だけは、いつも縋るように聴いていた尾崎豊も、縋るように読んでいた太宰治の女生徒も必要ないと感じる。

やってることはほぼヤク中だ。
簡単に手に入らない環境で良かった。


こんなことではダメだと精神科に行くことも考えたが、私の中で精神科に行くということは、白旗を振るようなものなので、くだらないプライドが許さなかった。


私はこんな毛玉が憎くて仕方なかった。

けど今はこんな毛玉が愛おしい。

そもそもこの毛玉を作ったのは私自身である。
元は一本一本の簡単な思考を、変にこねくり回したせいで大きな毛玉ボールになってしまったのだから。


ここ数年でやっと、"暑い" "寒い"が何なのか分かった。

それまでは暑いか寒いかと聞かれても、

「暑いと言われれば暑いんかも知らんけど、別にクーラーを付けたり涼しくなる工夫をしないとあかんぐらい暑くはない。けど、「暑くない」と言い切れるほど暑くない訳でもない。ちょっとではあるが肌の質感がじめっとしている。けど「暑い」と言ってしまうと、何かしら対策がなされる。そうなると今度は冷えそうで、もし冷えてきて寒いと無意識に言ってしまったら、「さっき暑いって言ったやん」ってなるかも。」

結論「暑いってなに?どこからが暑いなん?」

という状態に陥ってしまう。
たかだか暑いか寒いかの質問なのに、「そんな難しいこと聞かんといてくれ」と発狂しそうになっていた。

けど今では、暑いか寒いかの質問に対して、ほぼ脳死で答えることができるようになった。

そもそも暑いか寒いかなんて聞いてくれるような聖人には、仮に「やっぱり寒い」と言ってもそんな事では怒らないだろうし、仮に怒られたら適当にヘラヘラしながら謝ればいい。

それに、案外そんな簡単に体が冷えることはないので、少しでもじめったいと感じたら「暑い」でいいのだ。

今では、「何故こんなことも分からなかったのだろう」と思うが、
よくある"人生1周目、2周目"という概念があるとするならば、きっと私はこの世に初めて生まれてきたのだろう。

全ての物事に対して「なんで?なんで?」と突っ込みたくなるし、どうしても白黒つけたくなってしまう。

明確な答えがあるものなんてきっとなくて、殆どの物事がグレーなのだろう。
と、分かってはいても、答えを探そうとしてしまう。

だから雁字搦めになっているのだ。
分かっていてもこの思考の癖はなかなか治らない。

治らないのであれば、こんな毛玉ボールも愛してしまおう。

もう暑いと寒いが分かる私にはこんな毛玉ボールが愛おしくて仕方がないのだ。

万が一、また飲み込まれることがあったとしても、きっとヘラヘラしながら毛玉をむしり取って出てこられるだろう。

それだけ自分にとって大切なものや大切な人、好きなことや興味のあることが何なのか明確に分かってきたから。

こうやって徐々に人として成長していけば、いつかこの毛玉ボールも消えてなくなるのだろうか。

想像すると少し寂しいけど、頭の中の毛玉ボールがいなくなった私も楽しみだ。


次回「毛玉ボールからの卒業?!」
書く時が来るか分からないが、乞うご期待。

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