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私がフリーランスを目指した理由
この話をするのは初めてだと思います。
私は2020年8月にフリーランスエンジニアとしての活動をスタートしました。
現在2021年7月。もうすぐ1年になるため、自分がフリーランスを目指した経緯を書き記そうと思います。(本記事の作成は7月)
私と家族
まず、私の家族についてお話すると、妻と子供二人(姉妹)です。
私は当時20代後半で長女は幼稚園に入りたてでした。
フリーランスになるということは考えてはいましたが、5年とか、もっとスキルが上がって開発現場でもそれなりにできてからという先延ばしな考えでしたが、ある事情により時期が早まりました。
当時の生活について
お恥ずかしい話ですが、その頃の私の仕事はSESの社員で給料は大体10〜14万円、家族4人が生活するレベルでは到底ありませんでした。
なので、妻の独身時代の貯金を切り崩してもらいながら生計を立てている感じでした。
ですが、それも長くは続くなんてことはなく、尽きるまでにはなんとか・・と思い仕事をしていました。
全く上がらない給料
いくら働いていても給料が上がらないのはSES社員という仕組みにありました。(少なくとも前職の場合)
では、なぜ辞めなかったか?ですが、それは担当営業から
「開発現場に入れば給料は一気に上がりますよ」
という言葉を信じ続けたからでした。
私は2年間、この言葉を信じてなんとか開発案件に入ろうと努力しました。
Javaという言語は苦手でしたが、家族を養うためならと自分なりには努力はしました。
フリーランスへの意識(その1)
私がフリーランスになることを早めた出来事は長女のある発言からでした。
「どうして普通の服じゃなくて、バスとか電車に乗ってるの?」
最初は何のことかわかりませんでしたが、妻から詳しく聞くと、私立小学校の生徒が制服を着てバスや電車で通学している光景を見て、自分もそうなりたいと言ったのがそれでした。
「ちょっと待って」と。
大人一人が生活するにも厳しい給料なのに、私立小学校なんて絶対に無理なのは誰もが思うでしょう。
娘には私立小学校を受験することについて色々と話しました。
誰でも行ける学校ではないこと。試験があって、そのためには幼児教室に行かなければならないこと。毎日受験勉強をすること。
しかし、娘は折れませんでした。(金銭的なことは勿論言いません。お金がないから何もできないということは思って欲しくありませんでしたし、子供が本当にやりたい事ならば親はその分苦労を伴うという考えからそうしました。)
結局、小学校受験をするという流れになり、私も早く開発現場に入らなければと思い、焦る気持ちもありつつ、娘のためにと日々の学習を進めました。
やっとたどり着いた開発案件
私がSES社員としての最初で最後がこの金融案件でした。
嬉しい反面、怖さを感じていました。
以前の現場でフリーランスとして来ていたエンジニアの方から金融案件が辛すぎたとか色々と聞いていたのと、ネットでも金融は地獄だとか飛び交っていたのがその原因でした。
実際に金融の業務をしてみてから、自分が思った以上に精神をやられる現場であるとを体験しました。少なくとも、私には合わない現場でした。
言語はJava, C++, シェルでした。
初めての現場でみたコードは軽く1000ステップを超えていて、SQLも今まで経験したことのないようなものでした。それとC++やシェルなんて全くの未経験でした。
(現場の話はまた他の記事に書こうと思うので、この先は割愛させて頂きます。)
やっぱり上がらない給料
開発案件に入ったものの給料は全く変わりませんでした。
ちょうど担当営業とのヒアリングがあったので、そのことを切り出しました。
すると、「稼動が安定したら上がると思います。5年くらい安定して大体手取りで25万は行きますよ。10年やれば30〜35万くらいの人はうちの会社にもいますから」
と。
この時、完全に吹っ切れました。
そして、そのまま会社を辞めることを決意しました。
とは言っても、辞めることは簡単ではありませんでした。
(辞めた時のことはブログでも書いたと思います)
営業には「今年中に3万上げます」とか言われましたが、たったの3万上がったところで生活レベルは上がりません。
最終的には「今のスキルで辞めたところで、今以下の給料が続くと思いますよ。このままうちの会社にいた方が安定してると思いますけどね。」と言われました。
普通ここでキレるんでしょうが、まだ辞めてもないですし、そこはこらえました。
フリーランスへの意識(その2)
会社を辞めてフリーランスになることを決意しました。
が、Javaもまともにできない人間ですから、エージェント登録をしたところで案件を紹介されることはありませんでした。
また、他言語をやっていてエンジニア経験があれば未経験の言語でもフリーランスとして案件を紹介してもらえるというのは過去の話だということもわかりました。
かと言って、私のような人間だとまた中小SESで安月給というコースですが、それは絶対にダメだと思っていました。
完全に先が見えなくなりましたが、あるエージェントから「派遣ならば未経験でも案件があるかと思います」と教えて頂き、私はフリーランスの前に派遣社員として経験を積むことを決めました。
派遣について
これも多少は割愛しますが、ここで1年Rubyエンジニアとして未経験から学ばせて頂きました。
給料も派遣社員なので時給2500円~2700円と正社員時代と比べれば多少節約してやっと生活ができるレベルになりました。
4月になり長女は年長、つまり本格的に受験生となりました。
今までよりは生活は良くなったとはいえ、幼児教室にかかる出費は凄まじいものでした。
愕然としたのは、夏期講習で55万も取られてしまったこと。(受験校によってはそれだけ対策講座を取る家庭もあって100万はざらです。)
それ以外の通常授業でも年長の場合は毎月20万は安い方です。
そんな中でコロナにより派遣切りにあいました。
これがあの有名な派遣切りか・・なんて呑気なことも言っていられず、慌てて次の現場を探しましたが、状況が状況なだけに全く案件がマッチしませんでした。
娘の受験、生活と焦りが大きくなり、派遣がダメならとダメもとでフリーランスでも探すことにしました。
この時はRuby(Rails)エンジニアとして1年でしたが、それでも商談を頂ける企業はありました。でも、スキル不足で採用には至らず。。
結局これも無理か・・・と絶望していたところに一社だけ採用を頂き、私の計画よりも早くフリーランスになりました。
その後
正社員、派遣、フリーランスとやってきましたが、ネットでもみなさん書いているようにフリーランスになって本当に今までとは比にならないくらい給料がアップしました。(元が低かったので当たり前ですが)
娘は受験校全てに合格し、春から小学一年生として通学しています。
賛否あるかと思いますが、ここまで読んで頂き感謝致します。
繰り返しになりますが、私は成り行きでフリーランスになってしまった人間です。ですので、しっかりと正社員としてスキルを積んだ人間には劣る部分が多いと思っています。
その部分を補うためにはやはり日々の学習しかありません。生活的にもここで諦めるわけにもいきません。
なので、私の場合はフリーランスと言ってもキラキラしたようなイメージとは真逆で今の位置から落ちないように日々一生懸命に生きているような感じだと思います。
最後に
次女が今年幼稚園に入り、やっぱり長女と同じ小学校へ行きたいらしいので、もっと頑張らなければならなくなりました。
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