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映画感想『フェラーリ』

原題「FERRARI」

◆あらすじ◆
1957年、夏。エンツォ・フェラーリは人生最大の危機に直面していた。仕事では業績不振でフェラーリ社は倒産の瀬戸際で、家庭では1年前に息子のディーノが亡くなって以来、妻ラウラとの関係が冷え切っていた。その上、ラウラに秘密にしている愛人リナ・ラルディからは2人の間の息子ピエロの認知を迫られていた。そんなエンツォにとって、過酷な公道レース“ミッレミリア”での勝利のみが、危機を脱する唯一の道だったが…。


エンツォとラウラの夫婦が創業したフェラーリが経営難に落ち込んだ1957年の数ヶ月を描いた伝記物。

世に知られるフェラーリのイメージとは大分異なった背景だ。

愛人との子の認知問題も抱え公私共に頭を悩ますエンツォ・フェラーリ。
ことごとくマセラッティに勝利を奪われなかなかレースの覇者になれないフェラーリは次のレースに向けて策を練るうちドライバー達の命をも軽んじる言動を放つ。
そんな彼の冷酷とも思えるレース必勝へのこだわりを情熱からの執念や男のロマンと取るか非情な利己主義と取るかでこの作品の印象は変わる。


ただそんな事より個人的には妻ラウラに秘められたポテンシャルに魅せられ、そのラウラを見事に演じたペネロペに脱帽だ。
長年、夫婦としての関係は冷め娼婦と遊んでいると思い込んでいたが実はエンツォには別の女性との間に子供もいて認知するか否かと迫られていた亊を知る。
ラウラとエンツォとの間にも息子がいたが病で亡くなっている事を思うとラウラの気持ちはかなり複雑だっただろう。
家を顧みない夫と同居する夫の母親・・・彼女の唯一の権利は共同経営と言う【切り札】ラウラがエンツォに復讐ではないがそれに近い事を企てる一連のシークエンスは見応えがあった。
そんな精神崩壊寸前での踏み留まりをぺネロぺ・クルスが実に巧みに演じてるのがこの作品の要の様に感じた。

そして40歳のアダム・ドライバーがほぼ還暦のエンツォになり切ってるのも素晴らしかった。

まぁ、映画としては淡々としていて余計なメロドラマが割り込むのが観ていて「なんだかなぁ…」だった。

が、フェラーリのレーサーだったデ・ポルターゴ侯爵絡みの伏線から終盤に展開される“ミッレミリア”のレースは緊迫感も迫力もありあり且つ非常にショッキングだ。
その年以降中止になった【ミッレミリアの大事故】はその衝撃も然る事ながらそこに登場する家族の描写があの短時間で実に巧みに描かれてたのには感心した。

それを思うと益々あの昼メロ的な単なる差し込みの様にさえ感じる不要なラブ(ベッド)シーンは一体何だったんだろうか?と思わされる。
マイケル・マン監督、傘寿を超えてらっしゃるのに・・・もう・・・。

レーサーの一人に自身もチームオーナーでレーシングドライバーのパトリック・デンプシーが出演なのはご愛敬っすかね!


赤い車がビュンビュン走ってるのはカッコ良かったけどね«٩(*´ ꒳ `*)۶»

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