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少し観念に遊ぶ

昨日カメラにカードを忘れて行ってしまった法華寺
では 今日100日の荒行が明けるとのことだ
大雪が東京でも降ると言われて 今のところ
東京の隣町ではほんの細かな雪が降るか降ら
ないかぐらいの塩梅だけれど これからが本降り
だそうで 仕事に出かけた息子以外は不要不急
の用事がなく 女二人と家にいて 窓にリンス
インシャンプーの薄めた液を刷毛で塗りつけて
外が見られるようにした ベランダの向こうに
桜の裸枝が骨を伸ばして広げているがその肌
地に降る雪が目立つよう見える やや強くなって
きた 息子の帰宅時が心配だ 首都圏では
少々の雪ですぐに行き来が止まるから 雪は
異常事態なのだ 年に数回降るだけの 雪の
地方では四半期の日常だとして 私も雪に埋も
れる暮らしを単身でしたことがあるが 意外にも
すぐ適応した 雪はもっと息苦しくて圧迫のある
ものかとおもったが 山岳地方で天気が変わり
やすかったから 晴れることも多かったから た
ぶんやり過ごせたのだろうと思う 何処までも
真っ白なところは想像するとパニックになる

ここまで一息に来てなに書くのか忘れた 引き
続き修練としての読書は蓮實重彦 松浦寿輝
古井由吉 とすすめる 蓮實重彦を読んでから
松浦に移ると面白い 二人は東大で師弟関係
だったかと思うが 文体が引き継がれているよ
うで ここに気鋭の論客千葉雅也を足すと 蓮
實 松浦 千葉 と三代の系譜が出現する 文
学部ではなく教養学部というのも異端めいて
興味深い 文学と哲学にわたる範囲はそちらと
なるのか ところで てつがくは細かい事のほじ
繰り返しだとふっと思った 細かいからと言って
つまらない事ばかりとは言えない ときに細かく
て気づかなかったことが世界を変えそうじゃな
いですか オセロが真っ白にひっくり返って

何となく共通するのは 時折身に迫ってくる
感覚 を表現していることだと思う 例えば 谷
にいて岩々に囲まれたときに それらが身に
迫ってくるような感覚 というか 錯覚 そういっ
たあり得ないけれど誰もが感じるだろう錯覚
感覚 それらを言語化して表現する あり得ない
物がリアルになる しかしそのリアルというのは
現実から生じながら何処か非現実な 幻覚
幻想のようなちょっと現実から浮いてしまった
別次元でのリアル という感じがする 一段 観念
に近い世界でのリアル と言った気が私には
する 俗に言えば浮世離れした世界のことかと
いう事か そういうところが現実には今足りなくて
少し観念に遊ぶ というか いや 妄想に遊んで
見ると言った方がいいえているか そういった
事が意外と重要なのではないかと考えている
白に少しだけ わからないように黄色や青の
絵の具が混ざる 真っ白に見えて実は違う き
っぱりとした色だけではないという認識

写した光景の色味をいじると面白い それは
簡単な妄想のとばぐちで 色を無くしたり 淡く
したり 強調したり 色々に見えた物を変えて
いじくる 何でもない町並みがなんだかとても
淫靡になったり 植物が動き出す いない人が
見えて 何やらよからぬことすらし始めかねない
私はそんな世界で生きているから 阿保のよう
に老けない 子供面して座っている 無為徒食
六年 ほとんど座って生きている 文章はかれ
これ四十年 優しい光など求めない 荒行は前
年十一月朔日から二月十日までなので厳密に
は百日越える

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