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卑下

俗にいう あるある ということなのかも
しれないが 家族で誰か人と会うとき
たとえば 別の家族とか 親類の集まりとか
そういう場に出た時に 家族は私に
いつもよりずっとと厳しくなった

何か口走ればふざけるんじゃない だとか
少し体を揺らしたら 落ち着きがないとか
あっている相手の誰かを引き合いに
誰それちゃんを見習え とか 比較して
誰それちゃんは偉いね とか

小さい頃のあれ 本当に嫌だった 考えると
こちらを卑下して あちらを立てる みたいな
謙譲的な心理だったのかもしれないが
その 窮屈さ 卑屈さ 自らの身内を貶める
感じ そして こちらも必要以上に委縮する
あのたまらない感じ 本当に嫌だった

だから そういう機会 例えば正月のような
時というのは嫌いで お年玉がもらえないなら
一人で家にいた方がましだといつも思いながら
そのようにシーンを過ごした

自分が嫌だったので 我が家で例えば
親類に会うときは できるだけ子供たちは
放任にしている 行儀が悪かった時は
さすがにたしなめるが それでもそれほど
目くじらは立てない 許容の範囲をまず
超えることはないし 身内なんだから
つくろっても仕方ないかとも思う 他人よりは
DNAの関連が濃いはずだから 少なからず
子供らは身内のある部分を引き継いでいる

そして かしこまる必要のある他人には
会わない そのような義理も事情も
5年ほど前にすべて捨てたので 特に
卑下する必要も感じないし 繰り返すけれど
そもそもあわない

私には変なところで卑屈になる 委縮させるよう
な年上の他者(身内を含めて)が身の回りに
多すぎた だから 子供らはできるだけそう
ならない様に育ててきたつもりだ それが
成功しているようには私の眼には見えない
けれども

最後についそんな書き方をするところも自分が嫌だ




こういうの「身内下げ」っていうらしいですね 


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