見出し画像

散文に かまけて韻を怠る

小説 評論 しかもとっつきづらそうなものを読も
うという今年の方針に従い そのようなものを読
んでいる どんなものかというと ええ それそん
なに難しいか と言われそうで 私はインテリとは
無縁の人間なので しかし 自分は莫迦だから
とは何となく言いたくない そこで向上心をシャット
アウトする感じがするから で今年 古井由吉
が妙にキていて 今更かよ そう今更だ ついで
に 中上健次とかへ進む予定 散文の力

詩は散文ではない しかし 文章だ 文章なのだ
ろうか 現代詩手帖の一月号は毎年新年作品
特集で 遅ればせながら今頃読んだ 散文に
かまけて韻を怠っていた そういえば 何で小説
だ詩だ騒いでいるかというと 特に文章が上手く
なろうとは思ってはいなくて 印象に残るものを
または読んだのに読んでいないような物を書き
たいから色々な文を体に取り込みたいといった
動機で 意味を意識して書いたり 意味を排除し
て書いてみたいと足掻いたりする自己慰撫の
日々

古井由吉を読み始めたからどうしても言及が
多くなるが古井の世界は特に何かドラマチック
にうごくわけではないのに描写の書き込みが
常軌を逸しているので匂いや気配や杞憂みた
いな心の動き杞憂に限らず心のざわめき 古井
風にいうところの 物狂おしさ が生々しく読み手
に食い込んでくる 生きているときの生きる筋
のまわりに漂っている何となく生きていることの
発臭というかまわりにかすんでまとわりついて
いるものこそがテーマであるように思えて それ
はすなわち私にとっては詩という事になる

翻って現代詩手帖に掲載された諸作について
そういった生々しさを伴って私に迫ってくる作品
は残念ながら感じ取ることができなかった こ
れはあながち 私の読みの稚拙さだけではかた
づかないだろうと踏んでいて なんというか み
慣れた現代詩の風景 いささかよう古臭くなって
しまっているようないつもの書き方 いつもの
謎めかせ いつもの喩 に見えてしまって 言葉
の凝らし方一つ 古井の長編の体力とカロリー
に比べて どうにも薄味に見えて それが企まれ
たものに見えない こんな風にすれば 詩 だ
よ という向こう透けに透かされてしまって

その中で 面白いと思えたのは詩書月評に引用
されている詩句の一部 または題名だったりす
るのは やはり満を持してぶつかってくる世に出
ようという書き手の渾身が見られるからなのだろ
う 詩の題名に 一度童子にどわらし というの
があって え 一度童子 に どわらし ってど
わらしって何だ と衝撃を受けたのだが 詩句を
読むと 一度童子 二度童子 とあって ああ
そういうことか と腑に落ちて しかし このような
読み間違えからくるイメージというかイメージの
浮かばなさなど いつまでおもしろがれるのだろう
まもなく老人になって 思考が老いるとそんな
些細を面白がれなくなるのだろうか とふと本
と目を閉じた

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?