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上手

上手

カラオケで点数が出る。上手さが数値化され、競い合う。上手なのに心に響かない。ピアノの演奏。技術を競い合う。テクニックに感動する。こんなピアノ、どうやって弾いているのだろう。圧倒される。されるだけ。

技術は重要だ。最低限、技術がレベルに達していなければお話にならない。一般的には。必ずしも超絶テクニックバンドが感動を呼ばない。100点のカラオケが耳をすっと通り過ぎてしまう。味、ノリ、個性。曖昧でつかみ所が無いそれらで心を動かされている。

といって、技術も無視はできない。技術が足りないことを味、ノリ、個性で押し切れるほど常人はそれらを持っていないから。

才能というのはおそらくある。才能がその人の天然なのか。よくわからない。この手の話題は本当に難しい。職場に、どんなビジネス文書も現代詩にしてしまう人がいた。何を言っているのか、同じ日本語で書かれているのに全く意味が分からない。その人の個性、あるいは才能がそうさせるのだろう。仕事という観点からは失格なのだが、自分の目指すところの文才を持っている人だと思った。

いったいどういうことなのだろう。点数で割り切れる世界は楽だ。しかし、人間はそういう世界には生きていない。数字ではかれるものははかれないものの中のほんの一部でしかない。そんなことを考えていると基準が溶ける。

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