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私はドラマーになりたいと思っていた。また、なれるとも思っていた。しかし、上には上がいることを思い知らされた。私ぐらいの叩き手は五万といる。

今は、サイレントドラム、音が出ないドラムも普及し、子供のうちから、また、年をとってから惚けを防止するためにドラムを始めるケースもよくある。ドラム人口が増え、曲芸のような難しいドラムを小学生が難なく叩く時代だ。

そして、夢が揺らぎ、今度は、書き物を生業にしたいと考え始めた。ところが、長い物語は一向に書けず、そのまま三十年が過ぎてしまった。かといって、言葉の芸術といえるような至高の美しい短章を物せたかというとそんなこともなく、どうせ食えないからと勤め人に殉じ、志を持ちつつも三十年が過ぎてしまった。

さあ、これから何でも出来ると勢い込んで早期退職をしたが、あれだけ退職したら読みまくろうと思っていた本も老眼におっくうとなり読めず、日々、物を書く習慣だけは何とか今、定着させようとがんばってはいるが、持久力が付いてこず、ドラムは一日三時間、六年続ければ一万時間ルールにより、プロになれるはずなのだがようやく一日に叩く何曲かのルーチンを設定したに過ぎず、午前の作業が少し立て込めば疲れ、疲れようが何だろうが、ニュースなどをチェックするうちに寝てしまい、午後の何時間はいつもなかったことになる。

その夢が示唆に富むものならまだしも、勤め時代の苦行の再現だったりする訳で、それすらを懐かしんでいる己の阿呆さ加減には辟易するばかりなのだが、それらの活動の原資はすべて、自分たち夫婦で築いた。スポンサーなどいるわけがない。

妻は専業、私は無業。自己責任においてこの生活を成り立たせているので、だれにどう言われる筋の物ではない。ただし、その生活が破綻した場合、だから言わないこっちゃない、と誰もが口をそろえて謗るのは目に見えているし覚悟の上、夫婦一蓮托生で、命がけで無業を生きる。

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