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裾野から

とにかく文章を書いてみる 月曜 水場に行こう
と思ったが それに見合った一日の晴天だった
がやめた 明日も明後日も晴れの予報で 気温
が明日からぽんと上がるという事で 明日を
置いて明後日に行こうと思う 水温は気温におく
れてあがるだろうから そんな予想もものとも
せず 勝手に水中は春で タナゴの新子たちに
溢れているのかもしれない 水場に行かない
かわりに水槽のメンテナンスと新しい竿一式の
仕上げをして この文を含めて三つ書いた 書
けても書けなくても試してみる 自分では面白い
ものを と思いながら書いている

ジャーナリストがAIの創作について書いていた
つまり創作はAIにとってかわられうるのかと
私はそうなりえるかもしれないと思っている ひ
とが面白いと思うもののパターンはそれほど
バリエーションに富んでいないと思われるから
しかし ジャーナリストいわく 創作物の富士山
のてっぺんのような物の下には 膨大な玉石
混淆のすそ野が広がっていると それを抜きに
ぽんと新しい物語がAIに生み出せるのだろうか
と 膨大な裾野に立ちすくんで 多分 裾野から
少しだけ上がったところまで登れるのかどうか
私の書き物は多分一生かけてそんな塩梅かと
も思われるので その膨大な裾野も頂の肥料と
して AIに学習されればいいのかもしれないと
考えた しかし AIが主流になった世界では
誰がすそ野を形成するのだろう いやいや そ
れはもちろん人間だ 人間は機械任せでは
いられない生き物だ 機械に任せた方がいいと
分かっていたとしても

先日亡くなった他のジャーナリストは 本当の
ことを言おうとしたら それは詩になる と言った
と新聞に出ていた 大切なことを言おうとしたら
だったかもしれない つまり喩を使った方が
高度な物言いができるのだと 厳密に詩という
事を考えてみれば 詩は真実を言う文芸かも
しれないとその人の言葉や他の詩人の思索から
思ったりもした そういう意味で 厳密にいうところ
の 詩 というものは確実にあるのだろう が
私は厳密な意味での詩 というものにあまり興味
があるわけではない もっと周辺的な 先ほどの
言い方で言えば裾野の玉石混交の中に多分
偏愛するものが混ざっている

明後日水場に行く 行かないかもしれない と
いうのは明日は通院の予定があるのだ ついで
に床屋とブックオフにも行く 今 読む本はたま
っているところだけれど いつも本は溜め込んで
生きてきた 溜めておく間に興味を無くしても
また興味が戻ることがある きちんと整理してお
けば新たに買う必要はないけれど どこかに
やってしまって何冊もある本もちらほらある こ
の間 興味がぶり返して引っ張り出した本が
何冊かあった そういう時は本来そうではない
けれど得したような気分になる そういえば世の
中 お得 お得ばっかり言っている 損と得は
ゼロサムだろうか ゼロサムってなんかさもしい

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