おはよう
おはよう
おはよう、と言う挨拶が恥ずかしくて言えなかった時期が続いた。何で、おはよう、が恥ずかしかったのか、理由はよくわからない。ある時、何でもなく言えるようになった。
うちの妻はおはよう、が言えない。おはようございます、なら言える。きっとおはよう恥ずかしシンドロームから抜け出せていないのだろう。私も、ずっと、おはようございます、と言っていた。
学校時代、おはよう、と言われると身がよじれるような気分になった。うう、とか、うえす、とか返したような気がする。
少し逸れるが、出店などで食べ物や飲み物を買って、トレイにそれを乗せて持って行く、というのも、持ってきてもらう、というのも両方、同様に恥ずかしかった。おまたせ、などと言われると身悶えするばかりに羞恥が高まった。
私の場合はこういう言葉、シチュエーションだが、同じように思う人はいるだろうか。少なくとも、おはように関しては多少でも共感していただけるのではないだろうか。
というのも、私がいた職場では、みんな朝の挨拶がろくにできず、いつも私はいらだっていた。朝の挨拶ぐらい、空元気でいいからきちんとせよ、と。
もしかしたらそれにいらだち、おはよう、に抵抗がなくなったのかもしれない。おはようの挨拶ができない人が多かった。たまたまかもわからないが、朝ぐらいきちんと挨拶を交わすべきだと思った。もしも恥ずかしいのならその恥ずかしさは克服すべきだと思う。損はない。
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