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イメージと琺瑯

ふと目にしたものから話が広がる 話というより
思考とも言えないような淡い考えが濡らした紙
の上に置いた万年筆のインクのようにすっとひろ
がる 多分この例えは紙が余程濡れていないと
実際にはそうならないだろう 透明な筆洗の水
に絵の具を垂らした と言った方がイメージが
しやすいけれど そこに浮かぶ想像がありふれ
ていてどうかとひとひねりしてみたが 実際に
はそうならないものもイメージとしては言わんと
することを表して 伝わるものならば構わなくて
例えがイメージできても実際の現象ではそう
ならないというものを考えてみるのも面白いかも
しれないと書きながら思った そういう乖離み
たいなものは多分意外とありふれているので
はなどと思う

琺瑯だ 字面がいかめしい ホーローと表記さ
れると途端に軽くなり ほうろう というとほうとう
とかういろうとか細長く柔らかい感じになる それ
はあくまで個人的な印象だ あと 今 違うのに
水曜と勘違いした 木曜だった 琺瑯を今見かけ
なくなったのはより安くて扱いやすいバット 鍋
洗面器の素材にとってかわられただろう 医院
にあったクレゾールの入った洗面器は白地に
ふちが青く塗られていて 縁の青は絵筆での手書
きめいた線のむらがあったりした バットは紺色
の側面底面に内側が白 そこに卵液や溶いた
小麦粉が延べられてフライの一つ二つ前の手順
になった 衣がつくと昔新聞紙に並べてから
揚げた そう考えるとバットは一つではなく 二つ
三ついるのだろうが 我が家では揚げ物に今
どんな素材のバットも使っていない 

鉄にガラス質の釉薬をコーティングして焼いたの
が琺瑯でならば割れることもあるのではないかと
思ったらやはり割れることがあるそうで金属
だから電子レンジには使えない そういったとこ
ろをホーロー と入力することで芋づる式に調べ
られ そのことはたとえば広辞苑をひくよりも
遥かに手軽で重たくない それで失われた物
はなんだろう 失われるものがない変化など
あるのだろうか と思いながら琺瑯製品は重い
こと 新たな利器の電子レンジに使えないこと
でとってかわられていったのかなどと誰でも
思いつく推理のなかで 生活の変化を受け入れ
ている人々と変化を余儀なくされた生産者の
その後 今も生産している生産者の 何故淘汰
されなかったのかそのあたりの理由にふんわり
と思いを巡らせてみる 

私が子供の頃の自動車はいわば琺瑯製といえ
るのだろうか 車体の質感は明らか琺瑯製品
の見目で 塗装が欠けるところ そこから本体
の鉄が錆びてくるところなどはそっくりで 今の
自動車の鉄板が薄い感じ 実際薄いのだろう
さらに素材は多分ステンレスだろうから 昔の
車のように錆びて茶色く流れだすこともかなり
軽減されていると想像するに 最大に失われた
のか変化したのは質感で その他の安全性
燃費 耐久性はむしろ向上しているだろうから
見ため軽視の中身重視 反ルッキズム それも
あくまで個人の主観

木には漆 鉄にはガラス 欠けや剥がれが生じ
ると中身は劣化 漆器はプラスチックにとって
変わられ 琺瑯はステンレスやアルミにとって
変わられ 土鍋は土鍋として独立している む
しろ長く使われた土鍋から今までに煮炊きされ
てきた素材の旨味が滲みだしてくる そんな
情緒的な現象などありえるのだろうか なんと
なくそう思える物語の一種で 見渡すとそのよ
うな物語はいくらでもありそうだがいざとなると
すぐに思いつくものでもないのがなんだかムジナ
じみているとムジナのイメージを借りて例えて
みる 琺瑯はエナメルと訳すそうで エナという
のはエターナルから来てそうだとすぐに連想
されるけれど それ以上調べない むしろ全く
違っていてほしい

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