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文章のLD

文章のLD

拙い文章ではあるが、自分の経験や記憶を辿って書くときには幾分心楽しく筆が進む(もちろん筆など使ってはいないが)。

逆に、考えをこらしたり、ネタが見つからなかったり、体調が悪いと筆が渋る。それは日の単位でそうなることもあれば、週単位で渋ることもある。もうだめだ、と思った翌週にネタがあふれ出してくることもある。そういうときはやはり筆が軽い。

できた文章に関しては自分でどうこうは言えない。一応、日本語として成立しているとは思うが、そして、読みやすくということも心がけてはいるが、自分の尺度での扱いなので広い間口を持つかどうかはわからない。

また、間口が狭かったとしても、狭いからと奥行きがあるとは限らない。間口が狭く、奥行きのない文章。どんな文章だろう。なかなか難易度が高いかもしれない。

あるいは、逆で、いともたやすいものかもしれない。間口の狭さは、専門用語を使う、文節を破綻させる、辞書から無理矢理探してきたような難しい言葉を多用するといったことで演出できそうだ。

そうした言葉で、誰かに言い尽くされたような論説を書いてみる。いや、やはり難易度が高いかもしれない。良い文章というのがわかっていないと、意図した悪文はかけそうにもない。

意図した悪文は一種の芸となるだろう。意図せず、無意識に読みづらい、つまらないという文章は悪文ですらなく、自分の文章がそうなっていないかのおそれがいつも書き物をするときにつきまとう。

そのおそれを手懐けるために常に批評精神を働かせなければならない。

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