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三十年ふたたび
三十年ふたたび
三十年という時間の重さは人によっても意味が違うだろうが、たいていのことが無になるのがそのくらいの時間の経過ではないだろうか。三十年前のことはたいてい忘れているし、そもそも三十年前に想いを馳せようと言うのも五十年程度生きてからのことだろう。
そこからは三十年前が順送りされて三十の時、四十の時、と思い出も薄れ、ましてや五十での三十年前のことなどもはや夢物語に属する記憶となり、覚えていること自体もう本当のことかわからない。
そのような年代に当時の仲間にあったとしても何が本当かわからなくて、みんなに作られた事実を押しつけられてしまうかもしれない。三十年の単位が人のサイクルだと思う。しかし、三回目のタームはなかなか越えられない。最後の三十年の二十年から三十年の間にだいたいの人はこの世を去る。
はじめの三十年に想いを馳せ始めた年代の仲間も何人か第二タームに入れずこの世を去った。本当のこととして確かなのは、三十年前にその仲間が六十を前にして死ぬなどと露ほども思っていなかったことだ。それは言える。
三十の一タームも越えられずに死んでしまった仲間のことを忘れて、人に消息を尋ねたら「死んだ」と言われた。そいつと海に行ったことや車に乗せてもらったのを思い出して嘘をつかれているような気がした。
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