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訃報記事

フィリップソレルスの訃報が載っていた ただ
一冊 ドラマ という小説を読んだだけなのだが
その一冊は何かにつけてものを書くとき思い
出されるテクスト というかエクリチュール とい
うか その小説は筋書きのような物がなく 今
となっては何が書かれていたのか思い出せない
だけれど延々と何かが書かれていて とても長
い散文詩 当時 同時に読んでいた入沢康夫
の詩集 季節についての試論 にあるような
像を結ぶようで結ばない ありそうでありそうも
ないでたらめのようで論理的な空疎 意味も
解釈も拒むような散文詩の その書き味を薄く
蕎麦生地を伸ばしたような 色味すら蕎麦に
似た灰色のような それはその本が灰色という
のか銀色なのか 黒と白のあいだの曖昧な
色をしていたところからさかのぼるイメージなの
かもしれないが とにかくただ何かが書かれて
あるとしか思い出せない長い書き物で そもそも
ソレルスを記事はヌーボーロマンと区切って
いたけれど 記憶ではヌーボーロマンもしんがり
の ヌーボーロマンの次に来るいわばヌーボー
ヌーボーロマンのような位置づけの書き手だっ
たのではないかという印象があり クロードシモン
とかロブグリエとは一線を画す人なのかと思って
いたが 新聞記事と私の記憶の どちらが正し
いかわからない 配偶者がクリステヴァだという
のも常識なのかもしれないが私は記事で初めて
知った ここ 内外の 若い時分に何らかの刺激
を受けた または愛好した文化に関わる人の
訃報が続く ここニ三年 多分そういう歳まわり
なのだろう

ゴダールの死に様に関してもあまり詳しい情報
が報じられていないので 何かゴダールらしく
センセーショナルな何かがその死にまつわり
背後にあるのかと思えば そうではないようで
自分の意志に反して生き永らえさせられる た
とえば眠ったようになってしまって実は苦しいの
に生かされてしまう そういう状況に恐怖した
というのが情報から読み取れた安楽死へ向かっ
た要因で 例えば呆けて意識が消失してしまう
というより肉体的な苦痛を忌避したいという気が
強く働いたのだろうなどと自らに照らして考えて
しまう 革新的なフィルムを数多く撮ったけれど
人間としてのゴタールは痛覚を恐れた などと
思った方がより伝説としてふさわしい気も他人事
とも不謹慎にも思う

個人的には 詩人の福間健二の訃報も割と衝撃的だ
った 彼の読者では必ずしもないのだけれど
彼のあずかり知らないところでちょっとした しか
し私にとっては若い頃 その後の人生をともすれ
ば少し変えたかもしれない出来事の中に 彼の
出世作 急にたどりついてしまう という詩集が
かかわって おりしも連休中に本棚を整理して
いたら 白地に黒文字の 題名と著者名といった
そっけない装丁の薄い詩集が並んだ本の上の
隙間に積まれた本の中から掘り出されたところ
だった 晩年は映画も撮っていた 詩人で映画
を撮ると言えば鈴木志郎康がそうだった 園子温
が現代詩手帖の投稿詩人から出発し 東京
ガガガから映画へと身を変遷させていったのは
これもまた有名な話なのだろうか

鈴木志郎康 天沢退二郎 小田久郎 福間健二
ソレルス この人たちの訃報記事は短いもの
だった ソレルスは生きていたと知らなかった
気になると切り抜いて大きさを見ている 上記の
人達はほぼ同じサイズかと見えた

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