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俳句を始めたい

俳句を始めてみたい 昔句集を何冊か読んだ
水原秋櫻子 西東三鬼 山口誓子 永田耕衣
金子兜太 夏石番矢 加藤郁哉 高柳重信
拾い読みだったり文庫版句集だったり 単体の
句集だったり 

句集は読みづらい 特に文庫版句集はページ
にいくつもの句をつめるので見ただけで読む気
が削がれる 長さを統一するために字間を調整
しているのもなんとなく読みづらい ならば 一句
一句 書き写すような読み方をすればいいのかも
しれないと今思いついた 昔の文学青年は好き
な作家の小説を模写したというけれど そのよ
うな読み方で勉強するというのもありかもしれない

しかし 切れ字とか 古文的な言葉を使わない
俳句を書きたい 伝統に寄らなくても俳句は
書けると思うから 上記した俳人たちからもそう
言う傾向を好むことがうかがえるかとも思う

俳句については何の教養もないという前提で
の話である 私がイメージする俳句と言うのは
普段何気なく見ている何という事のない光景
や物事を言い当てて普遍性を持たせる といっ
た性質の文芸だと思っているが違うだろうか

夏の河赤き鉄鎖の端浸る

山口誓子の句であるが 短い言葉で撮った写真
みたいだ うだるような夏の日 錆びた鎖が水
に端っこを浸している それだけ 何気ない光景
を短い語句に収めただけなのに何でこんなに
情景が浮かんでくるのだろう 俳句はつまりこう
言う事なのではないかと私的に感じている

ひょっとしたら何かを暗示しているのかもしれな
いし 光景に思いを託しているのかもしれないが
空虚 暗喩の文芸かもしれないが空虚 しかし
虚を突き 何だかハッとさせられる 俳句はそん
なものじゃないと言われるかもしれないが 私は
俳句としてそんなものを書いてみたい 

しかしながら俳句の決まり 季語や季語被りの
禁止などはとりあえず守りたい 破調もいいけ
れど 初めからそちらに流れようとは思わない
表面上はスタンダードなものを作ってみたい

ゆくゆくは句集を作っても見たい 今の時代
簡単なことだ それだけの分量の句作が出来
れば 俳句や短歌はすそ野が広く 素人名人
がごまんといる世界だ 流派みたいなものも
ありそうだし結社とか厳しい人間関係の世界
でもありそうだが 趣味だからそんなの関係ない

俳句が書きたければ 歳時記片手に何か とに
かく書いてみればいいのだろう 書いてみたら
記事としてアップしてみよう 手始めに坪内捻典
の季語集と言う新書を買ってみた 違うだろ
と言われそうだがそこからとっかかっていこう
と思う


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