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投稿詩の魅力

投稿詩の魅力というのがある 昨年の現代詩
手帖を思うところあり読み進めている まあ 思
うところというのは自分に喝を入れたいというと
ころで 別にぼやかす必要もないか 書き物に
詰まると昔から何冊も詩手帖を借りて来て 詩
書月評や 同人誌評を読んで その中に引用
されているほんの数行の詩句に刺激を受けたり
してきた それらは心に残ったりするけれど 誰
の何という詩までは覚えていない 本来 詩の
読まれ方など その程度でもいいのかもしれな
と思う たかが詩ですよ

投稿詩というのはその中でもとりわけ当たり外
れが激しくて好きだ 本選に載るくらいの作品
は当然 それなりの水準を満たしている 技巧
的にも優れているし テーマも切実だったり あ
るいは言語的にユニークだったり 刺激がとて
も強い それぞれ超素人を目指してしのぎを削
り 大抵 原稿料をもらって本文の方に載って
いる詩人よりも技術はともあれ 熱量と野心に
満ちている ギラギラしている 整った大人しめ
の作品にも緊張感がみなぎっている

とはいえ 私の独断と浅い素人的な読み つま
り一般読者からの読みとしては 上手いけれど
相変わらず退屈なものも多い 今まで積み重ね
られてきた詩作品の歴史の中で見てきたような
作品がほとんど といって 私はいわゆる詩手帖
に載るような現代詩しか読んでこなかったので
偏った歴史ではあるが 既視感のある作品は
多く パッと見てまいりました という作品はそう
そう見つかるものでもない しかしながら 少し
ずつ言葉遣いが旧来の現代詩口調から抜け出
してきているものも有り その一部は とてもで
はないが逆立ちしても私には思いつかないみず
みずしい感性のものも有る ちなみに 私は
感性の若い 老いている といった見方には懐疑
的だ ある程度はあろうとも年齢で決まるという
事はないのでは 感性は と考えている

私が手にした号では半期の総括のような 選者
による投稿詩人の作品討議がなされていた ま
いどながら 選者になるくらいの人たちだから
新鮮な読み方や私が見落としている細かな感性
技巧について または作品のありようについて
丁寧な評論がなされていていくつかの記事の
中でも非常に読みごたえがあった ここでも作品
の一部が引用されつつ批評がなされるが その
一二行がなんと魅力的に見える事 私などは
根が単純で素直なので と自分で言うか ほと
んどの引用詩句が素晴らしく思えて それだけで
充分に刺激的だ 多分 まっさらでぺらりとその
作品を渡されたら そんなことには気が付かない
それは自信がある それほど深く読める読者では
無いという自覚がある とくに 本選に漏れた佳作
の人たちの 名前 しばしばペンネームだろう
が 並んでいて寸評されているところなど宝の
山に思えて仕方がない 多分バランスを欠いて
いたりするのだろう そのバランスの崩れこそ
魚の目玉のあたりのように 一番おいしい読み味
をこらーげんたっぷりにまとっているだろうから
といって魚をだべないのだけれど嫌いで

詩に対しての向き合い方 詩を通しての社会
現実との対峙 それがあるかどうかが一番重要
であるといった見解が載っていたが 私はとくに
それはどうでもいい とにかく 何度も何度も
繰り返して言うのだけど 今までに無いような
変な 新鮮な 驚きな 憎たらしいほど未知に
思える その言葉の 発想の出どころがまったく
つかめないそんな言語作品に ともすれば言語
でなくとも構わないのだが そんな衝撃の作品
に出会いたいだけなのだ 考えてみたら別に
詩が好きなわけではなく 別に詩を通じて社会
と対峙などと夢思う事も無かったのでそのあたり
は思いなおす必要があるかとも思えなくもない
という事はなく 今までのスタンスを崩すことなく
ナンセンスの方向を「まなざして」いたいかと
思う それが私の「批評精神」かもしれないから

でも 一つ言うと投稿詩 長い 詩の最大の美
点は 短い なのだから 長いことは小説でや
ってほしい 多分そういう小説は読まないけれど
も それにしても投稿詩も知的で整った作品が
多い そうでなければ選ばれない それほど
レベルが高いという事なのかもしれないが 私
としてはもっと破綻した おバカな作品も読みたい
そのうちみんな投稿から卒業していく ある人は
自費出版し ある人は賞をとり ある人は別の
例えば映画監督になってセクハラパワハラで
足元をすくわれ ある人は伝説の詩人になる
それで 大抵の人は昔ちょっと書いていて と
記憶にとどめておきながら 何らかの拍子で
油断してついしゃべってしまう そういったはか
なさ 無情も込みで 投稿詩の魅力は輝く


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