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個老

個老

マラソンに人生を賭けた人の気持ちは分からない。マラソンに人生を賭けた人は多分、文章を書くことに人生を賭けた人の気持ちは分からない。

分かるかもしれないが、私は運動を忌避しているので、分からないと思いこんでいるだけかもしれない。実際に話したことがないので分からない、今の気持ちで言っている。

しかし、影響を与えたり、与えられたりという関係性を持つことはできたかもしれない。今からでも遅くない、と慰めを言われても遅い。

そもそも、そのような関係性を持つ気がない。可能性と気力。残時間と知力。個人で、老人にひたひたと近づいている。集団から離脱してしまった。再度新入りになるのは面倒で嫌なのだ。

影響は受けていないようで受けるものだ。指摘されて分かる。ここからは影響を遮断して、過去の影響だけでやっていく、などと言うことが個人で老人には可能なのだろうか。

意図せずしてそうなるのと自らそうしているのとは全く違う。そして、わかっていて最良を選択しないのが一番厄介だ。

テーマなど知らない。分かっていても知らないふりを決め込んで、早朝に走り込んでいる人たちを見る。見るだけで加わらない。個老を気取る。それにもまた、相当な覚悟がいる。

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