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年齢を重ねるのは悪いことではない

11月の終わり、名古屋での研修に参加するべく金曜の仕事を午前で切り上げ、中目黒の駅から東横線に飛び乗った。研修は土曜だったが、早朝に家を出るような体力はないので、夫に無理を言って前泊すると決めたのだ。

横浜線に乗り換え、新横浜を目指す。道中で一杯ひっかけると決めていた。平日昼間に飲むビールは、あくせく働く人間の最高到達点だ。考えるだけで胸が高鳴る。

階段を降りて、新幹線の改札を目指す。東京に出て10年目、この駅は幾度となく利用しているのだから、途中で立ち寄る売店の位置も覚えている。

真っ赤なシュウマイの箱を手に取り、酒類の棚の前に立つ。酎ハイか、発泡酒か。ほんの一瞬悩んだものの、気づいたらキリン一番搾りを手に取っていた。

ほんの少し前までは、スーパードライこそが頂点だと思っていた。キレのある喉越し、さっぱりとした味。他のビールは麦っぽさが消えなくて、なんだか苦くて、好き好んで飲もうという気持ちになれなかった。

会計を済ませて、ホームへと急ぐ。新横浜と名古屋は一駅で、2時間ほどで着いてしまうので敢えて指定席の切符は購入しない。

自由席で座席を確保してどっぷりと腰をおろす。出来るだけ荷物は少なくしようと思うのに、大きなリュックサックは着替えやらパジャマやら雑多なもので随分と重たい。しかしこの容量、背負ってしまえば両手があくというふたつの点において、子を持つ親の外出アイテムとしては随分と重宝しているのもまた事実である。

それにしても、だ。座席に腰をおろした私の目の前に、目の覚めるように赤い崎陽軒のシュウマイと、オフホワイトの缶をバッグに金色の翼を翻す麒麟の姿が並んでいる。

まったく、いつから私はこんなおやじくさいビールを好んで飲むようになってしまったのだろう。ぷしゅっという景気のいい音を立てて蓋を開け、金色の液体を喉に流し込みながら、社会人になって初めて名古屋に出かけた日のことを思い出した。

あのときも、新幹線でお酒を飲んだな。でも、昼間からこんなところでお酒を飲むのは緊張して、気づいたら氷結の缶がすっかりぬるくなって最後は美味しくもないのに無理やり流し込んだっけ。大学の頃の友人に会うのが楽しみで、気恥ずかしくて、でも待ちきれなくて、ああ私は若かったんだなぁとしみじみとしてしまう。

いつの間にか、結婚して、お母さんになって、でも仕事も勉強も頑張りたいと夫にわがままを言って、それだけではなく麦のコクまで覚えてしまった。

年をとったんだな、と思った。

言わずもがな、体型は25歳くらいの私とは比べものにならないし、自慢の黒髪に白髪が混ざるのを気にし始めるようにもなってしまったし、すぐに肌が乾燥するし飲みすぎた翌日は信じられないくらい眠くて動けない。

それらは大層なことではあるが、取るに足りないものでもある。何故ならば、人生というのは、思ったよりも豊かだからだ。

若き日の私が通り過ぎてきたものたちを、ふとした瞬間に手にとり、眺め、改めてそれを噛み締めると、不思議なことにそこにある奥深い味わいにはっとする。

それはたぶん、スーパードライが頂点だと信じて疑わなかった私が、新幹線という非日常を楽しむためのスパイスとして迷うことなくキリン一番搾りを手に取ったこと、同じことなのだと思う。

そんなことを思いながら、安城をすぎ、豊橋をすぎ、車窓には野球場やらビルやらが飛び込んでくる。こんなことを言ったら怒られるのかもしれないけど、あの日飛び出したこの街は、ホームに降りるまでの瞬間だけが美しい。




読んでいただきありがとうございます。まだまだ修行中ですが、感想など教えていただけると嬉しいです。