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感謝を習慣化する前とのビフォーアフター

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

神様の実在に気づいて森羅万象への感謝を始めてから、ちょうど5年が経過しました。

そこで、感謝を習慣化する前と今を思い返してみて、何が変わったのかビフォーアフターを書いてみたいと思います。

感謝をする以前の自分

  • 自分の欲求を中心に物事を考えがち

  • 思い通りに行かないと強い不満に囚われる

  • 価値観の違う相手に怒りを覚える

  • 無駄な妄想や雑念に囚われる

  • 食事に頓着がなく、好きなものを好きなだけ食べる

  • 健康管理という意識が薄い

  • お金や物欲に執着する

  • 性欲コントロールの意識が無い

  • 半日、惰眠をむさぼることもある

  • ゲームに夢中になると半徹する(趣味の時間に際限が無い)

感謝を始めて5年が経過した今の自分

  • 自分よりも家族中心、他人を優先して考える

  • 思い通りに行かなくてもしょうがないと落ち着いていられる

  • 価値観の違う相手にもそれが当たり前と思って気にしない

  • 無駄な妄想や雑念が無い代わりに、四六時中自己観察が状態化している

  • 食事量が自然と4分の1になり、野菜中心にメニューを考える

  • 健康に良いことは率先して取り入れる健康オタク

  • お金や物欲への執着がない

  • 性欲からほぼ卒業している

  • 規則正しい睡眠を心がける

  • 娘から誘われない限りゲームから卒業している

  • 毎朝、神棚参りと日拝、先祖供養を欠かさない

  • 週2、3回は氏神参拝を欠かさない

  • 動植物への献身的な世話を欠かさない

  • 常に落ち着いていて幸せを感じている

感想

こう自分の成長を振り返るのも恥ずかしいものがありますね笑

これだけ成長したぞ!ということをドヤ顔したいわけではなく、森羅万象への感謝を始めると、誰でも自然とこういう方向へ意識が向かうという参考として書かせていただきました。

前回記事で「精神の深化が進むと自然と清貧を意識するようになる」と書きましたが、だんだんと唯物的な価値観を滑稽に感じるようになりますので、自然と離れ始めます。

この世の役割とは、どれだけ唯物的な世界において唯識的な価値観を体得できるかというところだと感じます。

近代最高の聖者と言われるラマナ・マハルシが著書で言っていますが、神様を真剣に求め始めると神様はそれに応えるということが事実としてあります。

神様は言挙げをしませんので話しかけてくることは絶対にないし、周波数が違い過ぎて物理的にも不可能ですが、インスピレーションとして導いてくれるようになると感じます。

これは霊界の伝達手段でもあるテレパシーでもあり、瞬間的なイメージの感得だと言えるでしょう。

慣れない内は自分の思い込みだと思ってしまいがちですが、観察を続ける内に明らかに神霊から導かれているように感じ始めます。

そして、それが進むといついかなる時も、神様が常に一緒に居るという感覚を覚えるようになってきます。

なぜなら、一番の導き手は自分の右胸に坐します内在神だからです。

そして、神様が存在するという感覚が当たり前になってくると、それまで起きていた不思議な体験がパタッと止まると感じます。

これは僕の体験的なことですが、何も奇異が無い普通の日常の中で、それでも当たり前に森羅万象へ感謝をすることこそが重要だからであり、何も起きないことは神様からの一定の信頼を得た、と思っています。

奇異が起こることを喜ぶスピリチュアル界隈の話は、とても幼稚なことだと感じるようになります。

奇異を意図的に喜ばせるような存在は邪霊の類です。

この違いは明らかですし、直感で分かるようになります。

何もない普通の日常を送れることが、何にも代えがたい幸せだと気づいた時が、親鸞聖人もおっしゃった絶対の幸福の最中にあるのだと思います。

ラマナが言うには、真我のみが実在していて森羅万象はスクリーンに投影された映画だとします。

スクリーン=真我であり、自分(自我)を含む森羅万象一切は虚像ですが、スクリーンは映画があって初めて意味を為すように、自我があってこそ真我に回帰するための成長が起こるのです。

僕たちは映画を観て感動するように、映画の主演俳優としてこの世での役割をしっかりと演じきって、楽しみきってからあの世に帰りたいものですね😆

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊

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