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<日月神示×弥勒の世>第一巻 上つ巻 第十七帖(十七)&不食者の受難

いつもお読みいただき、ありがとうございます🙏✨
タカミチです。

もう1週間くらい記事を書いていない感覚でしたが、意外と3日ぶりでした笑

実を言うと、6月16日に朝起きてから1日中精神状態が最悪という状況がありまして、さらに昨日は胃がんか膵臓がんを疑うような症状で病院にかかっていました。

5月初旬頃から肘や膝に蕁麻疹が出ていて、アレのシェディングの影響かと考えていましたが、昨日の朝に胃と膵臓あたりに違和感を感じて調べてみると、内臓癌からくる蕁麻疹も少なくないと知りました。
癌でなくとも、内臓疾患と皮膚病は密接な関係があるようです。

「はぁぁ?」と思い、思い当たるふしもあったので近くの内科に行き、大きな病院を紹介されたのでその足で行ってきました。

神様への感謝の道を歩んでいても、病気と無縁なわけではありません。
とくに僕なんかは始めたのが約4年前ですから、それ以前にこさえた因果や、過去生の因果が、このタイミングで発動する流れであっても不思議ではないと感じます。

4月に漫画家を目指す宣言をした際に、内心で「新たな因果が起動する可能性がある」と感じていましたが、因果律では人生が新しい局面に移るタイミングで新たな苦が発生することはよくあると感じます。
僕は20年近く経済苦を経験してきていますが、漫画家になれば経済苦からは脱出しますので(メジャー誌なら)、経済苦が長らく病気の因縁を抑え込んでいた可能性はあると感じていました。

あるいは、娘が親の大切さを学ぶための因果の材料として、僕の病気というイベントもあり得ると感じています。

大病院の待合室には多くのご老人が居ましたが、認知症や大病により入院予定を話す声が耳に聴こえる中で、僕がもし癌だった場合の意味について考えていました。

僕は今年42歳です。本厄です。
この本厄という言葉、本来は「社会の"役"に立つ年齢になった」という意味のようですが、ビジネス目的で「災いが起こる"厄年"」とされてしまったようです。

しかし、40歳を超えてから父や義父から「40超えたら体にガタが出始めるから気をつけなさい」と、先達からのアドバイスをされていて、厄年関係なく潜在的に進行していた病気が表面に出やすい年だと思います。
僕は20代から重度のストレスの中で生き、結構無茶していましたので、今頃になって癌になってもおかしくないと感じるわけですね。

僕の脳裏に真っ先に浮かんだのは、娘が悲しむ姿でした。
もちろん妻や両親、親族に悲しむ姿も胸に痛みますが、僕はまだまだ娘にとって居なくてはならない存在だと感じています。

友達については疎遠になって久しいですが、グループLINEで訃報が伝わったら弔電かお葬式に来てくれるでしょうか。
それが無意識にあったのか、今日の夢で高校時代の友達が出てきて、「宿題やった?」「いや、やってねーわ」という他愛のない会話をしていました笑

僕も死ぬのは嫌です。
この世界が好きですし、これから漫画を通して社会に重要なメッセージを発信したいという目標もあります。

問診表の「重大な病気の告知を希望しますか?」の欄に、「はい」と〇をつけながら、「あぁ、そうか、42(死に)寄り添う年なのか」と、ふと思いました。
ちなみに、胃カメラの予約の話が出たところで、経済的事情もありもう少し経過観察をしてからということで拒否しました。
以下に書いていますが、健康対策を実施してみても、あまりに違和感が続くようなら受けに行く予定です。

今日、神社猫に会いに行きましたが、いつもはいの一番に飛んでくるチャトランが、前回同様にやってきませんでした。
キジママとサバもやせ細って衰弱している様子だったので、恐らく亡くなったのだと感じています。
これについては改めて「神社猫を見守り隊」の記事で書きたいと思います。

チャトランは太陽のような子だと感じていたので、その死(と決まったわけではありませんが)は太陽が沈んだことを意味すると直感しました。

そして、6月16日とは「616」、つまり旧約聖書の獣の数字とされる「666」に隠された、真の獣の数字とされています。
このタイミングなので、以下の記事を書いたことで悪魔から攻撃されたかな?なんて感じたりもしました笑

まぁ、これは冗談です。
僕はどちらかと言えば、今回リアルに死について考えていることについて、神様による恩寵だと思っています。

僕は自分が死ぬことが悲しいというよりも、娘を始めとした身の回りの人を悲しませるのが辛いという想いが強いです。
もしかすると、死に直面した人、特に人の親であればそうした人の方が多いのかも知れません。
そしてまさに現在は、そうした悲しみを体験する人が急激に増えており、これからそれは拡大します。

その渦中の一人に居ることを感じて、「出来る限り、精一杯生きるためにあがこう」と思いました。

これまでも人一倍健康マニアな生活をしてきましたが、今回をきっかけにして、さらに拍車がかかりそうです笑

手始めに、毎日1時間歩こうと思い、封印していたウォーキングマシンを引っ張りだして来ました。
でも極力お日様の下を歩いた方が健康には良いので、休みでもあったので神社猫に会いに行くがてらウォーキングに行ってきました。

途中で「せっかくならちょっとミスマ(ミスターマックス)で野菜買ってこ」と思い、軽い気持ちで寄ってみたところ。。。
なんと、今まで一番のお買い得セールをやっていて、野菜を3つほど籠に入れたところで1分間悩みました。

「この調子で放り込んでいったら、帰りがえらいことになる。。。」

しかし、目の前には超特価のお野菜さんたちが。
僕は見切り品コーナーが大好きですが、訳あり品として部分カットされたキャベツ3つ入りが100円だったり、大きなアスパラやセロリが50円だったりして、誘惑には勝てず「ええーい、何とかなる!」と考えるのを止めて次々と籠に放り込んでいきました。

その結果、以下の量の野菜が3500円程度で買えました!
特に大葉は100枚以上入って400円くらいです😆

今日はごま豆乳鍋笑

10kgにせまるいきおいの大量の野菜を抱えて、息を切らしながら歩くおじさんはそうそう居ないでしょう。

古い野菜と総入れ替えしたため、今日のお鍋は大盛野菜となりました笑(結局半分しか食べられませんでしたが)

まだ食欲は減退していないので、僕の思い込みであることを祈ります。
もしそうなら、より健康志向に拍車をかけさせたこのイベントは、神様からの恩寵でしかありません。

というよりも、難事が起きた時ほど「神様からの恩寵」だと思い込んでみるのは、人生を豊かにするひとつのテクニックなのです。

確かに「神様に毎日感謝のお祈りを捧げているのに、なんでこんなに苦労が続くんだ。。。」という想いが、微塵もないと言えば嘘になります。
でも、それは唯物的自我がそう思わせるだけで、悟り求道者ガチ勢の僕は「苦労する分だけ因果が消滅し、悟りに近づいている」と感じるので、問題に感じるのは身の回りの人を悲しませることへの懸念だけです。
死に対して一定のワクワク感すらあります。
しかし、苦しいのは嫌ですし、せめて80歳までは寿命を全うして、やり切ってから死にたいと思っています。

<日月神示>第一巻 上つ巻 第十七帖(十七)

この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先づ神に供へよ

それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ

何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。

今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。

六月の二十五日、ひつくのか三。

<日月神示>第一巻 上つ巻 第十七帖(十七)の感想

今日ミスマで購入した、お土で獲れたたくさんのお野菜たちも、お鍋を食べる前に心中で「お恵みをいただき、生かしていただいてありがとうございます。お恵みを捧げます」と神様に供えています。
これは、毎食かならずやることです。

これにより身魂が太ったのかどうかは分かりませんが、確かに「今の半分」で足りるようになっていきます。

今は胃が不調なのもありますが、今日のお鍋も今までの半分量でお腹いっぱいになりました。
5年前くらいから、「今の半分」が3、4度繰り返して今に至り、いつの間にか不食者と呼ばれる領域に入っていたわけです。

実を言うと、胃の不快感を感じるようになったきっかけが、16日ごろに一番近くにある不老神社へのお参りの時だったかもしれないのです。

夏は草がぼうぼうなので、以前お知り合いになってインスタグラムを交換させていただいた不老神社の管理人様へ、「差し出がましくなければ、草取りをして防草シートを敷いても良いでしょうか?」とDMしていました。

「願っても無いことですが、お願いしても良いのでしょうか?」とお返事が来たので、今日実行するつもりで草刈り道具一式も持って行っていたのですが、上記の大量の野菜の誘惑に勝てず後日に回すことになりました汗

この日、お参りを済ませて去ろうとした瞬間に、胃に刺すような痛みが走り、呼吸をするたびに痛むので「うわぁ、荒神様に何か失礼してしまったかも。。。?」と思っていました。
草刈のビフォーアフターのために、お詫びの上で正面から写真を撮影していたので、「お詫びをしてもアカンかった神様かもしれん」と思い、写真は削除しました。

でも、管理人様にインスタグラムで報告を約束しているので、ご拝堂を写さないようにして写真を撮ろうと思います。

とはいえ、やっぱり神様のお怒りというよりは、真剣に「死に寄り添う」機会と、より健康マニアを推進させるための恩寵だと感じているわけですけどね。

とか言いながら、今後妻により僕の訃報が「たまむすび」やインスタグラムで流れた時は、冥福を祈っていただければありがたいです笑

あなたの心に、常に太陽が在る事を祈りつつ。。。
明日も善い一日となりますように😊

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