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「人生」について書いてみたのですが。

この世の中には「成功の秘訣」や「人生論」に関するレクチャー本が沢山あります。その多くは大企業の創設者やエリートさんが執筆したもので、その本を読むのは一般の人達です。

事業の成功者の多くが豪邸を建てます。敷地の広さを誇示して、ガレージには高級車が何台もあります。そうなると、多くの人達がそんな豪華な生活に憧れて、会社では偉い肩書きになる事が人生の成功だと勘違いします。

このエッセイは、そんな皆さんに贈る、ちょっと風変わりなお話です。

僕は50代の会社員ですが、レクチャー本を殆ど読みません。読んでみても、「私はこうして成功した」と自慢話が続くからです。そんな僕が誰から人生の歩き方を教えてもらったかと言うと、「地球」です。

街を歩いていて、一本の街路樹に野鳥が留まっていました。その野鳥がパッと飛び去った……皆さんもきっと見た事がある風景でしょう。それを見た時に、身体に衝撃が走りました。「恋愛の極意」がその風景にあったからです。

女性は野鳥です。捕まえて鳥籠に入れても、隙あらば逃げ出します。逃げ出した野鳥はいつまでも飛べないので、どこかで休憩する必要があります。ではどこで休憩するのかと言うと、街路樹なのです。

街路樹の枝は、掴まるのに丁度良い太さです。葉っぱが繁り、雨や雪から守ってくれます。果実は喉を潤してお腹を満たしてくれます。そして飛び去っても怒らないし、また戻って来ても快く迎えてくれます。野鳥にとってとにかく居心地が良いのです。

女性に理想の男性像をアンケートすると「優しい人」「包容力のある人」がトップに来ますが、街路樹みたいに一緒にいて居心地が良い男性を求めているって事です。

多くの女性が欲しているのは「安心感」でしょう。幸せな人生を送るには、生活に困らないお金が必要です。「綺麗だね」「有り難うね」の言葉は、女性が自分の価値を確認出来るので必須です。
「いつも私の事を見ていて欲しい」と願っているので、それを叶えて安心させてあげる事が円満の秘訣です。

一方の男性側はどう考えているのか。
昭和の頃は「俺に付いて来い」とリードする強さが必要だと考えられて来ました。「男子厨房に入らず」とか「男のくせに泣くな」と良く言われました。「女性の賞味期限は24歳だ」なんてオッサンがパワハラ発言をしても、それが常識みたいに思われていた。
地方では男尊女卑の文化が根付いていて、長男だけが優遇される地域もありました。

僕は日本史研究をしていますが、平安時代までは母方の家系で子供を育て、夫は妻の家に通っていました。それが父方の家系の発言力が強くなった背景には、武士の台頭が関係するのだと思います。源氏や平家を筆頭に合戦が頻繁に起こる時代には、腕力のある男性が社会の中心となる訳です。

しかし、本来は安定思考の女性が中心になった方が社会が安定します。邪馬台国では卑弥呼が没した後に男の王が国をまとめられず、結局少女の台与がまとめました。

昔の男性雑誌には「女子がキュンとなる運転テクニック」だったり、「デートで使える時計特集」がよく記事になりました。女子にモテたいなら、何かモノを買う必要があるように暗示をかけられていました。

みんなが格好良い車庫入れのやり方を練習し、軽自動車ではダサいからローンを組んでセダン車を買う中、僕は中古の自転車を愛用していました。時計も800円のオモチャの時計を買っただけです。

結婚式には200万円必要で、婚約指輪もブランド品。結婚したら新築の家を建てるのが一人前の男だ……そんな風に誰もが考える時代に、「別にダメ人間で構わないっス」と飄々としていた僕。
稼いだお金を貯め込む訳でも無く、誰かがお金に困ると「困った時にはお互い様だよね」とポンッと出してました。

「老後資金に2000万円必要だ」と突然言われて騒ぎになりましたが、僕の人生にはそんなに大金は必要無いと判断しています。それを言い出した人達は、別に僕達の老後を心配してくれる親切からでは無くて、「貯蓄で動かないお金を投資市場に回させたい」と言う思惑があるだけです。

「なんで?」を考えないで、誰かが2000万円必要だと言ったから鵜呑みにするのは、「車を買わないと女子にモテない」と盲信していた昭和男子と同じです。自分が必要だと思った人だけが買えば良いのですよ。

老後について考える時に、僕はいつもタイ=カッブ選手とゲイのAさんの事を考えます。タイ=カッブ選手は大リーグ史に残る伝説の選手で、「悪魔の選手」と呼ばれました。彼にブーイングを送る為に観客が押し寄せて、球場が連日満員。ポケットに拳銃を隠し持ち、ボールをぶつけた相手投手に銃口を向けたりしました。

一方のAさんは無名です。ある兄弟のお母さんが重病となり、高価な注射を毎日打つ必要がありました。兄弟は親戚中を回って資金を集めようとしましたが、みんなに断られてしまいます。唯一Aさんだけが、黙って大金を出してくれたそうです。そのお陰で兄弟のお母さんは数年間生きる事が出来ました。

タイ=カッブ選手は立派なお墓を建てましたが、家族全員が同じお墓に入る事を拒否しました。
Aさんは老後に寝たきりとなりましたが、兄弟が献身的に介護をしてくれました。

2つのエピソードから僕が学んだのは、元気なうちに周りの人達から感謝される大切さでした。有名人だから家族が慕う訳では無いのです。
老後に向けた準備と言うと、皆さん貯金に目が向きます。確かに老人ホームの資金も大切でしょうが、それと同時に「感謝の貯金」も貯めておく事をオススメします。

老後についてもう少し書きましょう。世の中には様々な性格の人がいます。自分が優秀で高い地位にいた人ほど、引退後も沢山の部下を従えていた頃と同じ様に扱われると勘違いしがちです。

僕は毎朝出勤すると、ビルの守衛さんに必ず「お早う御座います」と頭を下げますが、僕以外の社員さんは無視して通り過ぎて行きます。
職場では女性事務さんにも新人さんにも必ず敬語で話します。頼んだ仕事で誰かがミスをしても、「何やってんの!」と声を荒げる事はありません。
ミスを怒るのなら、自分でやるべきだからです。

誰に対しても、「いつも有り難う御座います」と頭を下げ、街で美味しいお菓子を見付けた時には、翌日職場の同僚に「こんなのありましたよ~」と配ります。

僕にとっては当たり前の日常なのですが、実は「老後の自分」に備える習慣だったりします。

人はお母さんの子宮から産まれます。大きく育つまでは、みんなに世話をしてもらいます。そして学校に通い、職場で働いて、老人になります。
最後は死んで子宮と同じくらいの大きさの骨壺に戻るのですが、死ぬ直前までは、オムツを履いてまたみんなに世話をしてもらう事になります。

それなら、「この人を喜んで世話したい」と思って貰えるような人を目指した方が良い。「コッチは金を支払っているんだ!」と偉そうに振る舞う人の世話は、みんな嫌がるものです。

ちなみに孤独な老後を送る人、人生が思い通りに行かない人に共通する事があります。それは、女性を「ババア」と呼ぶ人です。少なくとも僕は、女性をババアと呼ぶ成功者を見た事が無いです。その言葉を耳にする度に、止めた方が良いのにな~と思います。
「婆」は波に女と書きます。ババアと発した悪意の波動は、そのまま自分に跳ね返ると思った方が良いでしょう。

それなら「ジジイ」はどうなのか。これが不思議な事に、余り関係が無いように感じます。「爺」は父に耶と書きます。耶は「~なのか?」と疑問を意味する漢字なので、爺の語源は「父なのか?」になるようで。つまりジジイと悪意の波動を送っても、「悪口……なのか?」と気付かないのかも知れません。←あくまで僕の感想です。

高校時代に電車の中で同じ学校の学生が「糞ジジイ」と暴言吐いたら、オジさんが激怒。「糞ジジイとは何だ!」とブチ切れながら、結局学校まで付いて来た事がありました。揉める二人を眺めながら「ウンチおじさまって丁寧に言えば良かったのに」と思ったのですけどね。

さて、老後に付いてお話して来ましたが、お次は性格についてお話します。

僕は周りの人達に優しいとよく言われます。ビジネスの世界では、優しい人はダメと言われる事があります。世間は冷たく、優しい心につけ込んでお金を騙そうとする悪い人も確かにいます。それでも、僕は優しい人であり続けようとしています。

小学2年生の時に、新聞に女の子とお母さんの話が紹介されました。女の子は引っ込み思案な性格で友達がいません。その子が学校から帰ると、毎日お母さんとお手玉やおはじきの練習をしている。そんな内容の投書でした。

娘に友達が出来るようにと願うお母さんの気持ちを想像したら、何とか友達が出来るようにと頑張る女の子の気持ちを想像したら、涙がボロボロと溢れ出て止まりませんでした。同じクラスにいたら、絶対に友達になるのに……と心の底から思いました。

50歳を過ぎた今でも、思い出す度に涙が溢れます。僕の人生を決定付けてくれた、宝物の様な記事。その女の子が幸せな人生を送っている事を願っています。

中学生の時に、クラスのボスグループから「◯◯と✕✕をシカトしろ」と指示が来た事がありました。みんなは標的になりたく無いので、指示に従いました。僕は断固拒否。
「従わないならお前もターゲットになるけど良いのか?」と言われたので、
「どうぞどうぞ」と答えました。

イジメを無くそうなんて正義感からでも無ければ、格好付けた訳でもありません。イジメに加担する僕を小学2年生の僕が見たらガッカリする。それが嫌だっただけです。

それから半年以上、僕はクラス全員からシカトされました。それなのに「僕は悪く無いもんね~」と、毎日晴れ晴れとした顔で学校に通ってました。

自分から進んでイジメの標的になった変な僕に困惑するボスグループ。結局半年経った頃に、元々仲良しだった友達達が「もう耐えられない!」と反旗を翻して、ボスグループと休戦する事になったのでした。

もう一つ、地球から教わった事をご紹介します。それは「人生は渦だ」と言う事です。

星が形成される時には、ガス体がグルグルと回転しながら集まって固体となります。同じように、人間の身体も生命エネルギーが回転しながら集まって作られる。その回転方向を示すのが「つむじ」なんだと思います。

台風は渦を作りますよね?海流も渦を作ります。鳴門海峡が有名です。宇宙の銀河も渦状。大きなエネルギーは集まると渦を作るのが原則です。だからコンサートやスポーツで観客が大興奮すると、「熱狂の渦」と表現します。

テストで満点を取るとハナマルを描くのも、エネルギーの象徴だからでしょう。花びらを描くならチューリップでも良さそうなものですが、やっぱりハナマルの方が嬉しくなります。ハナマルは太陽にも似てますよね。

人間は赤ちゃんとして産まれますが、時間も場所もお構い無しで泣きます。まるで小さな台風みたいなもので、両親を始め大人達は振り回されながら世話をします。

幼稚園や学校など集団組織に行くと、この回転速度のコントロール方法を学びます。そうやって、個性がぶつかっても弾き飛ばさないようにお互い配慮しながら、社会が上手く形成されます。

人生で悲しい事や辛い事があると、この渦の回転が遅くなり過ぎます。そんな時には、親しい人が話を聞いてあげると良いです。

会話とは言葉の波動の交換です。交換する事で弱っている人に生命エネルギーがプラスされて、回転スピードが安定します。

これを把握していると、悩んでいる人に対する正しい接し方が判ります。僕は悩みを聞いて「こうしたら良いと思うよ~」と一応は自分の意見を伝えますが、そのアドバイスを聞いても聞かなくても、どっちでも良いです。

「こうしなさいよ!」と正解を押し付けるのでは無くて、「へー、そうなんだ~」と悩みを聞いてあげる事に重点を置く。回転が安定したら、本人がちゃんと解決策を導き出せるようになるからです。

立体的な渦が「螺旋(らせん)」です。らせん階段の面白いのが、本人は階段を真っ直ぐ登っているけども、同じ場所をグルグル回っているだけです。その代わり、上へ上へと登って行きます。

バネも螺旋です。上からギューッと押して指を話すと、ビョ~ンと飛んで行きます。タイヤと繋げれば衝撃エネルギーを吸収して、クルマを安定させる事が出来ます。

人間のDNAも螺旋の構造をしています。人生を進むと上へ上へと成長して、やがて神様のレベルに到達する……なんだか「人間の目標」を表現しているみたいで興味深いです。

さて、人生が渦だと言うお話をしましたが、次は「人生の目的」についてお話をしましょう。

「高校生活に点数を付けるなら何点ですか?」とテレビ番組で街の人々に質問したりします。それを見る度に「100点満点以外に無いのにな~」と思います。しかし、「もっと勉強すれば良かった」「もっと友達作れば良かった」とか、「あんまり楽しくなかった」と不満の人が多いようで。

人生の目的は「経験値」の獲得です。人間は一生の間に経験値を積み重ねて行きます。レベル1から数えてレベル100まで行くのは、一回の人生では無理です。だから何回か産まれ替わってクリアを目指す。これが輪廻転生です。

高校生活なら、勉強に重点を置いても経験値を稼げるし、部活に重点を置いても経験値を稼げる。友達を沢山作るに重点を置いても稼げる。

高校を卒業して、次のステージに進んで経験値を稼いでいる人達が、街頭インタビューを受けている訳ですよ。
メチャクチャ経験値を稼いで来た人達が「楽しくなかった」と言うけども、「楽しく無い時間を過ごす」って言うのもまた、高得点イベントです。

大切なのは、高校時代の経験を踏まえて、次のステージでの選択に活かす事です。その事をみんな本能的に理解しているので、地味だった子がお化粧に目覚めて「大学デビュー」します。

「もっと勉強すれば良かった」と言う人も多いですが、「今からすれば良いじゃん」と思います。僕が日本史研究を始めたのは40歳になってからです。

人生の目的が経験値だと悟ると、人生がとても楽になります。例えば怪我や病気で入院すると「なんて不運なんだ」と嘆く人が多いですが、それもまた高得点イベントなのですよ。

ちなみに、この本質に中学生の頃に気付いた僕は、大きな病気も怪我とも無縁です。神様が「コイツを入院させても逆に喜ぶから意味無いな~」と苦笑いしているのかも知れません。

だから、自殺したい人がいると「勿体無いな」と思うのです。その人生は神様が組んだプログラムです。その人にとって耐えられる様に配慮されているもの。死にたいくらいに辛くても、一歩一歩進めば、その先に「助け舟」が用意されている。その人生を完走したら、普通の人より遥かに高い経験値を獲得出来るのです。

それなのに、死んでしまえばその人生ゲームは「途中脱落」です。経験値が稼げないどころか、そのまま地縛霊になって何百年もその場所に留まるパターンも多いです。

僕自身も修行時代に余りに過酷だったので、何度も「死んだ方がマシ」と思いました。それでも死ななかったのは、「人生を完走してあの世に戻ったら、神様をぶん殴る!」と決めていたからです。そして、本当に限界ギリギリの所で、「助け舟」の人と出会いました。

経験値のお話をしましたが、次は日本人の特徴についてお話をしましょう。
日本の文化と言えば、寿司・天婦羅・すき焼き・ラーメン・カレーが人気です。興味深いのは、どれも海外の料理を取り入れて魔改造した点です。

寿司は元々東南アジアで川魚を発酵させた「熟酢(なれずし)」が発祥で、日本に伝わった後に押し寿司となり、魚の熟成期間が短くなり、江戸時代後期に今の江戸前寿司が誕生しました。

ラーメンが中国発祥なのは有名ですが、中国の拉麺が肉や魚のスープなのに対して、日本のラーメンは野菜や味噌もスープに使い、次々に新しいスープが登場します。

カレーにしても、カツカレーやドライカレーを考案したり、パンの中に入れてカレーパンにしたり。家で手軽にカレーが作れるように、カレールーを発明したのも日本人です。

余談ですが、二・二六事件の時に鎮圧部隊の野営地が帝国ホテルの隣で、兵隊達の食事を頼まれたホテルのコックが選んだメニューがカレーでした。それを食べた兵隊達が故郷に帰り、美味しかったカレーを作った結果、カレーが全国に広まるのに一役買ったと言われています、

日本人は武器の魔改造も得意でした。戦国時代にポルトガルから火縄銃が伝来した事は有名です。通説では種子島の領主はこの時に銃を二丁購入。翌年には改造して命中精度を上げ、国産化にも成功。戦国末期には世界最大の銃の保有国になりました。

ちなみに戦国時代にキリシタン大名が誕生しましたが、改宗する事で火薬の原料となる硝石を輸入し易くするのが狙いだったと言う説があります。

また、長篠の戦いでは「武田軍の騎馬隊を織田軍の鉄砲隊3000丁が破った」と教わります。ところが、実際の武田軍の主力は長槍隊。騎馬隊は小説の創作です。織田軍の鉄砲隊も1000丁で、圧倒的な数ではありませんでした。昔から信じられて来た三段鉄砲は完全にフィクションです。

では織田軍が勝利した理由は何かと言うと、兵の数には諸説ありますが、武田軍1万5千に対して織田軍3万8千と、織田軍が兵力で倍以上いたからです。

火炎瓶を発明したのも、航空機で戦艦を沈没させて世界中をアッと驚かせたのも、原子力潜水艦の原型となる大型潜水艦を開発したのも、みんな日本。
それでも太平洋戦争で一回負けると「戦争そのものがダメ」と思想が変わり、憲法九条の改正にも反対派が支持されています。

戦後はアメリカの文化がドッと日本に入って来ました。面白いのが、麻薬(大麻)と拳銃はまったく広まらなかった点です。

覚醒剤は疲労がポンと消えるので戦前から「ヒロポン」と呼ばれ、薬局で普通に買える強壮剤の様な扱いでしたが、健康被害が明らかになって禁止されると、街から一斉に消えました。他国の文化でも、取り入れるモノと拒否するモノをハッキリと選別するのが、日本人の特徴です。

みんなで熱狂した後に、一気に冷めるのも日本人の面白い所です。妖怪ウォッチが巷を席巻したり、タピオカが全国で大流行。鬼滅の刃も映画館が連日大盛況でした。少し経つとみんな忘れた様に下火になり、また次の流行に飛び付きます。何だかバッタの大群が農作物を食べ尽くして、また次の地域に飛び去って行くみたいです。

女性の眉毛の流行も面白いです。1990年前後のバブル期には太い眉が流行していましたが、バブルが崩壊すると細眉が流行。バブル時代にタイムトラベルする映画で主演した女優さんが「今の時代に生まれて良かったと思う。昔みたいな太眉はあり得ないです」とインタビューで答えていました。

ところが、2014年頃からまた太い眉がブームに。「あり得ない」と答えていた女優さんも、きっと流行に合わせて太い眉に変えたでしょうね。

島国の日本は保守的だと言われますが、そんな事もありません。4年ぶりに岐阜の飛騨高山へ旅行に行きました。インバウンドで外国人観光客の人気スポットとなり、4年前とは様変わり。朝市のお店には英語表記が並び、味噌屋のお婆ちゃんが「small size」「good present!」「only Miso soup、not cooking」と英単語を駆使して、外国人観光客と見事に会話していて感嘆しました。焼肉店でも店員さんがちゃんと食べ方をレクチャーしていました。

今の日本では「少子高齢化」が深刻な社会問題だと考えられています。僕は特に深刻だとは思いません。何故なら、80年前の日本の人口は6千万人だったからです。

平和な時代が続き、医療の進歩で子供の死亡率が下がって2倍の1億2千万人に膨れあがった人口が、80年前の正常な水準に戻ろうとしているのです。

ベビーブーム世代の高齢者層が増えるのは確かですが、それも20年も経てば通常の人口バランスに戻ります。
インバウンドで沢山の外国人観光客が来たら、何だかんだで会話が出来るように、高齢者が増えたら、何だかんだで対処するでしょう。

さて、若い人達の間では、「勝ち組(負け組)」「親ガチャ」と言う言葉が広まっています。それでは最後に、僕が歴史上の人物で最も尊敬する方をご紹介します。それは明治時代に活躍された中村久子さんです。

明治30年に岐阜県高山市で生まれた中村さんは、2歳の頃に凍傷で手足をすべて失いました。更に9歳でほとんど失明した中村さん。それでも彼女は針を口に咥えて裁縫をする技術を磨き、小さな人形を作れるまでになりました。ところが、お母さんは「何だこの唾だらけの汚い人形は!」と壁に叩き付けたと言います。

お母さんも必死でした。本当は褒めてあげたい心を堪えて、「もっと技術を磨け」と鬼になったのです。そして13年掛けて、布地を濡らさずに人形を縫える様になりました。

その後中村さんは、見世物小屋で「だるま娘」の名前で働き始め、自立した生活を始めます。口だけで人形を縫う芸でお金を稼げる様になった彼女ですが、興業主に貯めたお金を騙し取られるなど、苦難の連続でした。

その後23歳で結婚した中村さんは長女を出産しますが、旦那さんが病死。その後再婚して次女を出産しますが、その再婚相手も病死してしまいます。
見世物小屋で働きながら、別の男性と結婚して三女を出産しましたが、今度は三女が病死します。

口に筆を咥えて文字を書き、料理や洗濯など家事をこなし、子供達を育てた中村さん。そんな彼女に、昭和の時代にある人物が訪ねて来ました。それが三重苦で世界的に知られていた偉人、ヘレン・ケラーでした。

「どうしても中村さんに会いたい」と日本まで来たヘレンは、涙を流して「貴女を尊敬します」と伝えました。
中村さんこそ、道徳の教科書に載るべき偉人です。

そんな中村さんが残した詩『ある、ある、ある』が本当に素晴らしいので、ご紹介します。
「さわやかな秋の朝
「タオル取ってちょうだい」
「おーい」と答える良人(おっと)がある「ハーイ」という娘がある
 歯をみがく
 義歯の取り外し 
 かおを洗う
 短いけれど
 指のない
 まるい
 つよい手が 
 何でもしてくれる
 断端に骨のない 
 やわらかい腕もある
 何でもしてくれる 
 短い手もある
 ある ある ある
 みんなある
 さわやかな
 秋の朝」

そして中村さんが残した言葉もご紹介します。
人の命とはつくづく不思議なもの。確かなことは自分で生きているのではない。生かされているのだと言うことです。どんなところにも必ず生かされていく道がある。すなわち人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はないのだ。

皆さん、人生で苦しい時やツラい時には、中村久子さんの姿をネットで検索してみて欲しいです。
そして世の中には中村さんの財産を奪う様な酷い人がいます。一方で、中村さんの側に寄り添い「自分は幸せだ」と感じさせてくれた旦那さん達の様な人もいます。
自分がどちらの生き方を選ぶかを、時々考えてみて欲しいです。

イチロー選手は大リーグで観客から連日「日本へ帰れ」と罵声を浴びました。アントニオ猪木さんは新弟子時代に力道山に海の上から突然「泳いで帰れ」と放り投げらました。東郷平八郎元帥は若い頃に海軍を解雇される寸前でした。

生きていれば苦難や窮地は必ず訪れます。それはこの世が経験値を積む場所だからです。神様が「この試練を与えたら、どんな反応をするだろうか」と、ジーッと眺めて審査している訳です。

そしてどんな試練にも「終わり」があります。苦しくても一歩一歩進んだ先に、助け舟になる人との出会いがあるものです。その仕組みに気が付くと、人生がとても楽になります。

皆さんが亡くなった時に、どれだけの人達が泣いてくれるか。どれだけの人達に「お世話になりました」「有り難う御座いました!」と感謝されるか。

もし世の中に「勝ち組」がいるとしたら、それは沢山の人達に良い影響を与え続け、感謝される人生を歩んだ人の事なのだと、僕は思っています。

〈追伸〉
中村久子さんの事を書いたのは、飛騨高山旅行から帰る新幹線の中でした。中村さんの出身地は存じあげてなかったので調べた所、岐阜県高山市出身と載っていて、思わず鳥肌が立ちました。きっと神様から「書きなさい」と指示されたのでしょうね。






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