「風のくわるてつと」と「ちぎれ雲」
「風のくわるてつと」は松本隆さんがはっぴいえんど在籍中にしたためた詩とエッセイを収めた本(1972年11月発売)。当時、書店でたまたま見かけた青いハードカバーを購入し、「ゆでめん」から始まる壮大な歌詞の秘密に迫るべく、折に触れページを開いてきたが、未だに多くの謎は解けないままだ。というか、読むほどにかえって謎が深まるという摩訶不思議な本である。
本に収められている詩は、はっぴいえんどの楽曲でお馴染みの作品や、南佳孝さんに提供した「おいらぎゃんぐだぞ」(佐藤奈々子さんのカバーが最高!)とか、まだ手付かずで歌になっていないものなど、多岐に渡る。
「ちぎれ雲」も、まだ手付かずの部類に属していたのだが、実は鈴木茂さんがはっぴいえんど時代に曲をつけ、ライヴで何度か披露していたことを知る。実際の音源もはっぴいえんどのボックスセットが出た時に聴くことができた。「風をあつめて」の原型である「手紙」も当時話題になった。ただ、両作とも、後年になってから ”こんなんありました〜!” と発掘された未完の作品と言えるもので、3枚のオリジナルアルバムに収められた鉄壁の作品群と同列には語れない。(※この時の「ちぎれ雲」は録音も演奏も荒っぽかったので、きちんとした形で発表すればそれなりの評価は得られたと思う。)
さて、鈴木茂さんがはっぴいえんど加入以前に活動していたSKYEが半世紀ぶりに再結成し、アルバムをリリースした。新たにアレンジされた「ちぎれ雲」も収録されているという。ちなみにメンバーは茂さんの他に林立夫さんと小原礼さん、松任谷正隆さんという、お祭り状態。オリジナルのSKYE3人に松任谷正隆さんを加えたというか、ティン・パン・アレーのベースを細野さんから小原さんにチェンジしたというか。とにかくこれは聴くしかないでしょう。
以下、SKYEについてと、アルバム全体のことは置いといて、「ちぎれ雲」についてだけ語ります。
イントロのギターの澄んだ音色に、まずやられる。(なるべく良いスピーカーで聴こう!)クリーントーンが代名詞の茂さんではあるが、ここまで澄んでいる音、今まであったかな。しかもスリーフィンガー(ピッキング)なんですよね。ギター初心者がまず覚えるのがアルペジオとスリーフィンガー、基本中の基本ですよ。このシンプルな爪弾きに数秒でノックアウトされる。そういえば細野さんも「最近はギターを弾く時、スリーフィンガーかツーフィンガーばかり」と言っていたっけ。極め尽くすと基本に還っていくものなのでしょうか。このイントロだけずーっと聴いていたいと思うほどの美しさなんだけれど、それだと肝心の歌にいつまで経っても辿り着かないから先に進みましょう。
茂さんのヴォーカル、ウィスパーボイス?と思うほど音域が低い。高くて伸びのあるいつもの声じゃない。というか、メロディーが違う。アレンジはもちろん、メロディーも変えたんだ!テンポもグッと落として、バラード調になっているし、別物に生まれ変わっている。Bメロは同じみたいだけど、これは同名異曲、全くの新曲と捉えた方が良さそうだ。少しトーンに変化をつけた中盤のギターソロも完璧。それにしても、ロックテイストだったオリジナル「ちぎれ雲」がなぜこうも変化したのでしょうね。
ここで改めて歌詞に目をやります。木陰に横たわって眠る女の子。見つめる男の子。子供たちがはしゃぐ足音、そよぐ風、ぽっかり浮かぶ雲、朝露、木漏れ日・・・。ここは天国ですか?歌われている情景に、悩みや苦しみや痛みや憎しみといったマイナスの要素がひとつもない。人の機微を描き続けて半世紀、松本隆さんの作品の中で、ここまで無垢で無防備かつ平穏な歌詞があっただろうか。
ところで、眠っている女の子の唇を盗むのは男の子ではなく、風が彼女の唇を盗んでゆくと歌っています。風の擬人化ですね。しかし、深読みすると、男の子は彼女の唇を通り過ぎてゆく風に自分の唇をイメージしているのだ。実際は眠っている彼女を眺めているに過ぎないが、頭の中では唇を重ねているのだ。言葉を一切発することなく情景を淡々と連ねただけで、少年の静かなる心のさざなみを描くとは。平易な言葉を使いながら深淵を描く松本隆さんの技は、この時点で既に完成していたことがわかる。く〜っ、すげえや。やっぱり松本隆は50年前から凄かった。(※文脈上、この部分だけ敬称略します。ぺこり。)
特筆すべき点は、想像キッスの後、普通の男の子ならば当然ムラムラした感情が湧き上がるところ、そうはならない。松本さんはこの時点ではまだ歌謡曲に歌詞を提供していないにもかかわらず、既に繊細で爽やかを旨とする作風が見られる。ドロドロとした情念の世界はクミコさんの登場によって解き放たれることになるのだが、それはずーっと後の事になる。
おっと、話を元に戻さねば。鈴木茂さんも、若きロック少年だった頃に作ったオリジナルバージョンのアレンジに違和感を感じていたのではないでしょうか。歌詞の示すところ、茂さんの改作の意図を察したSKYEの演奏も盤石。至福の8分10秒に身を任せるべし。
49年の歳月を経て、「風のくわるてつと」のピースがまたひとつ埋まった。
追記:「風のくわるてつと」は何度か文庫版で再発されているので、入手しやすいかと思います。文庫には松本隆さんと鈴木慶一さんとの対談も加えられていて、興味深いものがあります。風街オデッセイで、なぜ慶一さんがはっぴいえんどのサポートとして出演されたのか、知りたい方は一読されることをお勧めします。
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