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毒親と絶縁するまで

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毒親(自分の両親)との関わりを書いていきます。 過去を思い出しながら順序立てて、記事にしていきます。 2023年3月の引っ越しを期に完全絶縁するまでの記録です。 思い出せるだけ詳…
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毒親の記憶 絶縁状

2月も終わりになり暖かい日も多くなり春が近づいてきました。 私の引っ越しも近づいてきました。 絶縁の期日です。 連絡先の変更 まず電話番を変えるところから始めました。 メールアドレスも変えました。 地元の同級生にも身バレ防止として伝えていません。 ホントに残念な事ですが仕方ありません。 もともと友達は居ないに等しいですが。 刺青を通じて新しい友達と知り合えたことが後押しになりました。 職場に根回し 職場は詳しくは伝えていませんが地元のネットワークで伝わるかもしれません

毒親の記憶 分籍届け

8年振りの役所 運転免許証を取るために住民票を取りに行って以来でした。 埼玉県志木市の志木市役所 知らないうちに変わっていて、8年という時間の流れを感じました。 無機質な床とコンクリ打ちっぱなしの壁 知り合いのおばちゃん達が忙しく働く。 ガラス張りの4回建て タッチパネル式の案内板。 受付の方が居る総合案内は1階に2か所もありました。 敷島神社も敷地内にある田子の富士の模型もありました。 駅前の看板で文化財になっている事を知りました。 分籍届け 私の記憶では古い

毒親の記憶 絶縁のきっかけ

突然の実家泊り 2022年6月に祖母が逝去し、群馬県高崎市が義理場になり行きました。 通夜と式だけ参加し、すぐに帰るつもりでしたが他の親戚も居て実家に泊まることになりました。 もうピアスだらけで胸割り進行中でした。完成はまだまだだったけど額はほとんど暈し終わってました。 バレるところは風呂だ。ここだけ何とか凌ごう!と思いました。 そこそこ広い家だったので風呂場と脱衣所、洗面所が別だからシャワー浴びるのは大丈夫だった。 なぜかディスられる 電車で義理場に行った私は親の車で

毒親の記憶 距離感

今回も毒親関連の話を、とくに距離感について。 専門学校に入学した18歳から職場の寮に入り実家を飛び出した。 最初の2,3日は電話やラインが鳴りっぱなしだった。 リュックとトートバック2個だけでフラッとでできました。 段々と電話攻撃が収まってきました。 居場所が分からないし、連絡手段はケータイだけ。 電話には出なかったです。 声を聴きたくなかったので。 親を捨てるのか、育ててやったのに、そんな事は世間様が許さないぞ。 これの繰り返し、焼き直し、言い換え DV・モ

毒親の記憶 人暮らしの最安値

今回も毒親関連の話しです。 家は休む場所ですが休めない場合は何よりも早く出ていきたい。 そう思う。私はそうだった。 高校3年生 高校時代は必死にバイトして学費を払いながら免許代を貯めていました。 調理師免許を取ったら埼玉から離れた場所で働いて自分の生活がしたい。 本屋で漫画を衝動買いしたり、コンビニやファミレスに行ってみたい。 そう思ってた。 自分のバイト代で学費を払っているからなのか、どんなに眠くても授業中は全然眠くならない。1時間でも寝たらお金無駄にしてることだ

毒親の記憶 中学~高校

今回は日々の中学校から高校までの話をします。 いくつか記事で実家の日常を話しました。 今風に言えばモラハラ、人格否定発言は日常的でした。 15歳まで無視されてました。 ダウン症の次男を虐待する親父と泣くお袋、家に居る間は常にイライラした親父がいる家庭。私はいつも図書館に避難していました。ケータイも持ってないから娯楽もありません。平日、土日関わらず怒鳴り声と悲鳴で睡眠不足な毎日。 その中で自衛のために一言も発さずに、影を消していました。 欲しい物があっても何も言わない

毒親の記憶 小学校高学年~中学校

昨日、小学校時代の事を思い出して記事を書いていました。 頭の隅の方に追いやってアンタッチャブル。 家事やお風呂を済ませて寝ようと思い布団に入ってから眠れませんでした。 あの時、こうやって言われた。こんな態度を取られた。 色々思い出し目が冴え一向に寝付けません。 把握していた以上のダメージを喰らっていたようです。 小学校高学年から中学校生活について書きます。 多くの方はこの時期に一生の仲間と出会いや社会人になってからも居酒屋で思い出として語り合える、部活動や勉強に塾や趣味に打

毒親の記憶 弟への虐待と助けを求めて

私が3兄弟の長男で次男はダウン症を持っていました。 親父は次男が嫌いなようでした。 学童期の記憶で親父は存在そのものを認めていない、人間だと思っていない、そんなイメージでした。 基本的に平日の仕事終わりや休日の寝起きは親父を警戒して過ごしていました。 TVや単語一つに反応して極論を振りかざして怒鳴り続けます。 出来るだけ波風立てないように、視界に入らないように過ごしていました。 仕事で嫌な事があったのか理由は分かりませんが不機嫌な時は、家に居る間イライラしたオーラを全開

毒親の記憶 前置き・ウチの日常

2023年3月以降は一切思い出さないようにして、忘れるようにするから今のうちに記事として残します。 私の家は、外側から見たら恵まれている家庭でした。 急行が止まる駅、商店街、そこそこ物価の高い街。 新築マンションに住み、常に左ハンドルのドイツ車がある。 ただ見ただけではわからんのよ。 同級生に幸せそうな人が居ても、悩みが無いと決めつけないで。 父、母、私を含む3兄弟の5人家族でした。 次男はダウン症でした。 1番古い記憶は怒鳴り声で目が覚め、布団の中で震えている事です