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第45回MMS(2012/11/2対談)「こころからのものづくり」を企業理念とする、紙の仕事人 小杉 博俊さま

本記事は2012年に対談したものです。情報はその当時のものですので、ご了承ください。

MMS本編

MMS045小杉さん

「紙の仕事人」小杉さん

~1970年台に一人広告代理店のような働き方をし、大手広告代理店を相手に仕事を勝ち取る~

 小杉さんは1942年生まれで、2012年現在70歳である。その年令を感じさせない発想力、行動力には驚かされる。

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 かつて、大手製紙メーカー子会社のデザイナー時代、1970年頃であるが、小杉さんは、親会社が販売先の目途が無いままに設備してしまった製袋機のために、販売先の開拓を命じられ、奔走することになる。

 ある大手百貨店に提案営業をした際に、今使用している紙袋が大手百貨店の広告塔の役割をしており、本当にそれは お客さまのためになっているのかという、小杉さんの感じた違和感を伝えたところ、まさにその通りという回答を得た。そこで、すぐさま袋用のオリジナルの紙を自ら試作し提案を行い、大手百貨店の了解を取り付けた。小杉さんは自らがデザイナーでありモノづくりができることと、経営の一翼を担う役員でもあってビジネスのアイデアをお客さまに伝えることの双方をこなしていたため、スピーディーに商談を進めることができた。

 しかし、企画は客先に受け入れられたものの、ここでトラブルが生じるのである。

 企画した紙は、客先のブランドイメージ向上に役立つものであるため、質感にこだわったものとなっており、製造現場では、想像以上の難題が待ち受けており、現場エンジニアから、小杉さんに対して、いかにそれが製造困難なのか、ということを徹夜して説得をされてしまうのである。しかし、小杉さんは本当にお客さまのためになるものという確信があり、製造現場の苦労を十分認識した上で、それでも本当にお客さまのためになるものを提供しなくてはならない、という想いは揺らがなかった。そこで小杉さんは一計を案じて製造現場に納得してもらえるように、客先の常務さんを巻き込んで行動を起こしたのである。

 大手百貨店の常務を務める方に製造現場を視察してもらい、苦労をかけることを製造現場の一担当者にいたるまで、ねぎらいの言葉をかけてもらえるよう小杉さんがお願いしたのである。このことに意気を感じた製造現場のエンジニアたちは、このこだわりぬいた紙を製造し、実際の袋の販売にまで漕ぎつけたのである。

 その後、この会社もやめて、フリーランスのクリエイター業をしていた時に、大手電機メーカーの病院向けデジタル体温計に出会い、その可能性を感じた小杉さんは、元々業務用であった、その体温計を一般ユーザー向けに展開してはどうかという提案をして、企画させて欲しいと頼み込んだところ、先方の了解を取り付け、企画をまとめた。

 商品の企画、パッケージデザイン、商品名、キャッチコピー、販促ツール制作、CM企画、あらゆるマーケティング領域を一人で企画された。CMに関しては流石に、一人企画会社では無理だろうということで、大手広告代理店とコンペすることになったものの、商品コンセプトからすべてのマーケティング領域の企画デザインをお一人でされていたため、CMの企画についても結局は小杉さんが企画を取りまとめ、その大手広告代理店が下請けをする形になった。一人広告代理店とも言うべき働きかたではあり、このようなことがもしも可能であれば、ベストのマーケティングではないだろうか。商品のすべてを知り尽くした人間がマーケティングのすべてを取りまとめるというのは、理論的には理想ではあるが、なかなか小杉さんのようには行かないものである。とはいえ、こういう仕事の仕方を1970年台の頃にされていたというのは、参考にはなる。デザイナーやクリエイターという人は、ビジネス全般まで含めてデザインするというのは目指すべき一つの理想なのではないだろうか。

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 このように、若いころ様々な失敗をしながらも、とてもクリエイティブで広範囲な仕事をしていた小杉さんは、いつしか成功してお金が稼げる状態になっていたものの、3.11の大地震のあと、成功している現在の自分になにか違和感を持つようになっていた。そのなか、70歳の誕生日を迎える1週間前に、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生の講演を聞く機会があった。そこで100歳を超えてもなお充実した日々の生活をしている日野原先生の言葉から、小杉さんがモヤモヤと感じていた違和感が鮮明になり、自らの使命に目覚めてしまったのである。そして、その時していた顧問などの仕事をすべてやめ、自らが本当にやりたいクリエイティブなことに全身全霊で取り組むことにしたのである。

 じつはモヤモヤしていた違和感というのは、ビジネス的には成功し、お金を稼ぐことができてはいたものの、その間なにもクリエイティブな仕事はしていなくて、改めて考えると、それはほんとうに自分がやりたいことではなかったことに深く深く気付いてしまったということである。それに気づいた小杉さんは、すぐに其の生活を断舎離し、クリエイティブな若者が集まる、co-lab渋谷アトリエにオフィスを移した。 今は身も心も自由になりすべてをクリエイティブなことにエネルギーを費やしている。実際、IT時代のクリエイターとしていろいろなアイデアを形にするべく精力的に動きまわっておられる。

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 このマインドセットの切り替えは、マイクロモノづくりではとても重要なことである。自分が主役となって新たなことに取り組むためには、自身の使命に深く気付きそこに全身全霊取り組む必要がある。小杉さんは日野原先生の言葉でそれに気付いたのである。

 最後に

enmonoで小杉さんにご出演していただいた時の放送になります。

2015年追記

 近況: 2年経過した現在、小杉さんはIT時代のクリエイターとして、素材からのものづくりを提唱する「マテリアルガーデン」をco-lab西麻布に開設、また未来の紙を研究する団体「紙のエレクトロニクス応用研究会」を設立したり、デジタルホビーという新しい産業分野の協会設立を画策したり、日本郵便本社の「年賀イノベーション研究会」に参加し、新しい年賀状文化を創出中である。

マテリアルガーデン

紙のエレクトロニクス応用研究会

紙のFantasist(2015年から「紙の仕事人」を改称)
Material Garden Curator
System Creates Chief Officer
小杉博俊さんFACEBOOK

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