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小説、、[2nd stage]その2__戸川純子&久留米博__

 ざわついた教室では英語の授業が行われている。
 「"Mothers! What do they know?"はい、ここ。Mothersが複数形なのは母ちゃんたち、つまり姉や兄弟も含んでいますから複数形ですねー。で、なんでtheyが斜字で強調になっているのか。分かりますかー?彼らは何を知っていますか?と訳せますがtheyが強調されている。この場合はネガティブに叫んでいる訳です。あんたらに何が分かるんだ、と。オレの気持ちなんか全然分かっちゃいない、と言外に言っている訳です。そういう風に捉えて下さい。えー、次、I've run awey home. Oh,how brave I am! ここが斜字なのは何ででしょう。分かる人ー?いませんね。つまりここは強調は強調ですが、さっきのとはちょっと違いますねー。これは、オレは家出した。なんて勇敢なんだ。と心の中で思っている訳です。実際に喋っている訳ではない。鍵カッコもありませんから。そういう強調です。分かるかな?」
 久留米博はクラスのほとんどが興味を持たない英語の授業を続けながら思う。
 廊下側の後ろから3番目。吉田週一。あいつはまた机の下にエロ本を隠して読んでいる。右手のポケットでしこりながら。He always hides an erotic book under his desk and reads it while masturbating in his right hand pocket. 英語で言うとこうなる。瞬間翻訳機とはまさに私のこと。病んでいるわ。本当に。しかし中学生なら中学生らしく読むべき本があるだろ。サリンジャーとかケルアックとか、エミリ・ブロンテとか。
 窓側の一番後ろ。お前はいつも写メで女子のブラ透けを盗撮している。AI加工してPixivにアップロードして稼いでいるの知ってるんだぞ、私は。ちゃんと盗聴裏アプリで君たちのLineは全部チェックしているから。
 真ん中の委員長席の後ろのお前、堂々と授業中にメシを食うのはやめろ。知ってるんだ。お前が女子をだまくらかして毎日弁当作らせてることぐらい。毎日「愛してる」だの「絆」だの「熱病」だの「恋仲」だの、つまり、白メシに海苔で詩を書きつけた詩弁を毎日毎日作らせて、お前という奴は。
 「こらー、浦上、お前、まだメシの時間じゃないぞ!」
 久留米は我慢の限界を超えて言った。
 「先生、おれは早めに食っとかないと練習で腹痛くなるんで今食ってるんです。」
 浦上十(うらかみじゅう)は反論した。
 「またお前は中嶋だまくらかして弁当作らせてるんだろう。」
 「いいや違います。」
 「フラれたての女をだまくらかすのはいとも簡単か。恨まれるぞ。」
 「だから全然違うって言ってるじゃないですか。先生は何も分かってない。」
 「今日もポエム弁当か?で、何て書いてあったんだ。」
 「今日は、わたしの愛、食べて。でした。」
 「愛の味はどうだ?」
 「うまいです。」
 「キスしたのか?」
 「してません!」
 「美雪、本当か。」
 中嶋はうつむき下を向いたまま黙っていたが、いきなり立ち上がり久留米を睨みつけて教室を出て行った。
 「中嶋はお前にイカレてるようだな、ハハ。」
 「お前、ひどか。」
 浦上は弁当を食いながら言った。
 「大体、恋が3か月以上続くなんていうのはだな奇跡なんだよ。それから先はマンネリの日々で、分かれるまでの苦難の毎日なんだから、恋なんか最初からしない方がいいんだ。」
 「そいはお前やろが、、」
 浦上は独り言のようにつぶやいたが、それを書き消すような大声で久留米は叫んだ。
 「純子!帰ってきてくれー!私はそれでも好きだったんだー!」
 久留米博はしばし虚空を見つめて放心したまま過去の妻、戸川純子の幻影に心を奪われてしまった。
 「先生、早く授業を進めて下さい。」
 委員長の洞木友子(ほらきともこ)が言った。
 「ああ、そうだった。」
 気を取り直した久留米博は授業を続ける。
 「Johnny Depp happily roller alone,exploring the new world,not giving a thought to how sad his mother would be to find him gone. ここはコンマが2つありますが、独立分詞構文ですねー。付帯状況のwithは主語がheで一致するので通常は使いません。with him exploring~、とかwith him not givingとはならない。and he was exploring~、and he was not giving、の省略形です。his mother would be~、のwouldは仮定ですね。もしも~、のifの省略。his mother would be sad, if she find he had gone. ジョニーデップは幸せに一人で転げまわった、新世界を楽しみながら、母ちゃんが彼が行ってしまってどんなに悲しむかという考えも持たずに。となります。こらー、週一ー。お前はさっきからエロ本ば隠し読みしてからー。先生が気づいてないと思ってるのかー!」
 「いいえ、エロ本じゃありません。」
 「じゃあ、何だ。」
 「昨日SF_shop*で買った<もう一つの青い星>です。」
 「なんじゃそりゃ。」
 「ブループラネットの設定集ですけど、ブルーオーシャンとか全然興味ないんで、やっぱりこれからはプラネットの時代だと思いますね。」
 「ほー。エロ本じゃないのか。」
 「そんなものに興味はありません。」
 「そんなものって何だ、そんなものって!昔のエロ本はなー、ブスでも可愛かったんだぞ。」
 誰も聞いてない授業でもこういう喝を入れるときだけは皆聞いていないふりをしながら聞き耳を立てている。そもそもの教育カリキュラム自体が生徒たちにとって無価値なのかもしれない、と久留米の悩みは尽きない。
 小さな茶店で久留米の娘、桜は口にミートソースをいっぱいにつけてずるずる音を立てながら大食いで大盛りスパゲッティーを平らげたあと言った。
 「パフェも頼んでいい?」
 「一番高いのを頼みなさい。」
 向かいに座っている久留米博は言った。
 「あのー、スペシャルミックスゴールデンパフェをお願いします。一つで。」
 と、久留米桜は店員に言った。
 「お母さんは相変わらずか。」
 「うん。」
 「また浮気してるのか。」
 「あれは仕事だから浮気とかじゃないでしょ。」
 「まだお父さんのこと愛してそうか?」
 「うーん、わかんない。でも、お父さんも悪いところあるって分かる?」
 「うん、わかるよ。」
 「何が?」
 「桜、お前、お父さんのところに帰ってこないか?」
 「またそれ?苗字は久留米で継いだんだからいいっていう話だったでしょ。お墓も初代久留米家の娘として継ぐんだから。」
 つまり久留米博は末男なので墓は初代の墓になるのである。子供は2人いたが、2人とも戸川純子が引き取ったので跡取りがいない。それでは困るので桜に久留米姓を名乗らせ、名前だけは初代久留米家の跡取りということにした訳である。桜は女なので婿養子を貰うか、嫁に行った場合は子供を2人以上産んで1人には久留米姓を名乗らせ久留米家の跡取りにする必要がある訳である。
 ふと久留米博が窓の外を見やると、桜の兄、戸川高一がガラスに両手をはりつけてこっちをジロジロ見ている。店内ではTHE BLUE HEARTSの「チェインギャング」が流れている。目が合った高一は博に、ラーメン食わせろ、とジェスチャーで示した。博は仕方なく手招きした。イエ~イ、という感じで高一は入ってきて、「リリー、ラーメン一杯。」と店員に頼んだあと、座りながら言った。
 「桜、お前、何食ったんだ?」
 「ミートソース大盛よ。」
 「うおー、オレも替え玉しよう。悪かですねー、お父さん。」
 久留米博は憮然としたオヤジ顔で言った。
 「お前はいつも、桜に迷惑ばっかりかけてるだろ。お前がバカばっかりやるから桜は学校で肩身が狭いんだぞ。」
 「オレがいたんじゃ彼氏もできない。分かっちゃいるんだ、妹よ。」
 「バカ言うな、お前は。父ちゃんは情けなくって涙出てくるよ!」
 「で、なんで母ちゃんに逃げられたんだ?」
 「バカこけー!そういうことに子供は首を突っこまんでよろしい。これは大人の世界の話だ。」
 「ふられたんだろ。」
 高一は運ばれてきたラーメンを啜り始め、桜は巨大なパフェを食い始めた。そのとき高一のメール着信音が鳴った。
 「お。バイトやバイト。」
 高一はスマホを取り出した。Lineが来ているようである。
 「ぷぎょ~。蛭子が大当たりらしか。代打ちに行かねばならぬ。」
 「パチンコか。」
 「父ちゃん、ビールも一杯飲んでよかでしょ。リリー、ビール。」
 高一は父親の返事も聞かずに注文した。
 「替え玉は食ってる暇ないんで、桜、お前にやるよ。」
 「その代わりビールか。」
 「景気づけです。お父さん。」
 ラーメンとビールを一気飲みした高一はパチンコ屋に走って行った。
 「あげなバカは誰の子や。」
 「でもわたし、そんなに嫌いじゃないよ。」
 「母ちゃんが別の男に腹ませたんや。」
 「お兄ちゃん、もう貯金2000万円あるんだから。この前、通帳見せてもらった。」
 「パチプロでか。」
 「知らない。他にもいろいろやってるんじゃない?フォートナイトとか裏アプリで稼いでるみたいよ。」
 「バンされんのか。」
 「うまくイタチごっこしてるんじゃない?」
 「使わんで貯めとるのだけは偉いが、金持ちのくせに私にまで奢らせて。」
 大分日が傾いてきた茶店の窓からはたそがれた夕日とランニングする野球部の姿が見えた。
 走る浦上十の横で自転車に乗った中嶋美雪が「ファイト!」と声援を送っている。
 「マネージャーでもないのに、どんな奉仕なんだ。」
 とそれを見た博は言った。
 「それで、桜、将来はどうするんだ?」
 「将来?んー、全然先なんて考えられない。」
 「先が見えない時が一番花なのかもしれんが。でもお母さんのところ継ぐのだけはダメだからな。あんなボンクラ男どもの相手とか桜がせんでいい。」
 戸川純子のバー「ユーミン」には今日も××東中学のオヤジたちがたむろしている。
 戦友からLineが来て、北方ムナカタ戦線はドローン攻撃で壊滅的打撃を受けたのだとか。バカ指揮官のためにまた徴兵される、と皆ブーブー言っている。
 「ここも水城防衛線がやられたら危ないな。」
 と、そのうちの誰か一人が言った。
 「今のうちに酒飲んどけー。」
 ワイワイと炭坑節が始まり、何人かは裸踊りを始めた。
 「ここは狭いんだから、やるなら外でやってよね。」
 と純子は言った。
 男たちは「月がー、出た出たー。」と踊りながら外に出ていった。
 「昨日のお客さんからゴミで拾った花火セットがあるから、これでもしながら遊んでらっしゃい。」
 と、純子は男たちに大きな埃まみれの花火セットを渡した。
 男たちは地面に置くタイプのデカい箱型の花火に火をつけ、火花を散らしながら酔っぱらい炭坑節全裸を満喫しているようであった。
 ほどなくケーサツがチャリでやってきたが、「ムナカタ戦線がドローンで壊滅したんやろが。」と言ったら黙って帰って行った。
 「明日ー、死ぬ死ぬ、人がー死ぬー、(ア、ヨイヨイ)バカの命令で、人が死ぬー、あんまり人間、死んだからー、お月さんも呆れて、屁ーふった、(アラ、ヨイヨイ)」
 永口強死(ながぐちつよし)は細身だが角刈りのマッチョで、多分毎日筋トレしているのだと思う。いつも裕次郎(石原)をカラオケで歌っている男である。カウンターで純子の目の前に座り、酒を飲んでいる。
 「つまりだ、引き金を引く勇気はいらないのさ。運を天に任せるだけさ。どうやって手柄を立ててやろうかっていう命を捨てた博打みたいなもんさ。」
 永口は言った。
 「男は博打が好きね。」
 純子は言った。
 「手柄っていうのは、つまり歴史を動かす手柄さ。」
 「壮大な手柄に酔いたいのね。」
 「例えばの話で言ってるんだが、この戦争は絶対勝てない戦争なんだが、例え勝ったとしても歴史は動かないのさ。勝っても動かない歴史を動かす、その英雄になるって皆ウズウズしてるのさ。」
 「あんたがもし動かしたら一杯奢ってやるよ。」
 「オレはいい男か?」
 「早死にするんじゃない。」
 「純子の為にね。」
 「キザな人。あの電柱にテープでぐるぐる巻きにされてる人たちのテープを切ったら動くんじゃない?」
 「おう!今からやって来てやるぜ。ちゃんと差し入れしてくれよな。オレが巻かれたら。」
 「全裸で差し入れしてあげる。」
 つまり戦争拒否者は電柱に巻かれる罰を受けるのである。今はこの高神地区では6人が巻かれている。戸川純子は思う。本当はみんな、死にたい、死にたい、死にたい、と死にたい病になっているんだ。これは不治の病よ。吾妻広木(あづまひろき)も言ってたもの。戦争が始まったらパチンコも競馬もつまらなくなったって。戦争のせいよ。男たちは命を賭けるようになっちゃった。みんな自分のチンポの大きさを競い合ってるのよ。
 「純子、オレのことが好きか?」
 永口は言った。
 「強死さん、それとこれは別の話よ。」
 「純子、こんなに好きにさせといて、そんな言い方はないんじゃないか。」
 「あなたが勝手に好きになっただけよ。わたしの罪にしないで。」
 「好きなんだ、心から。」
 「ゴメン、タイプじゃないの。」
 「オレは諦めないからな。」
 「純情なの、分かるけど。」
 「キス、、」
 永口は口をたこ口にして純子に迫った。
 「いやん、馬鹿ァ!」
 純子の平手打ちはまともに永口の顔にヒットした。倒れた永口は「いやぁ、最高。」と言った。
 純子はバーではこういう永口強死のような男にも合わせているが、本当はこう思っている。戦争なんてそんなことほっぱらかして家の洗濯とか皿洗い手伝ってくれたらいいのに、と。なんでもっと平和に生きれないの?もっとムーディーで文学的な、ナーバスでひ弱な、この世で一番ダメでゴミだって言われるような男の子にわたしは憧れてるのに、本当は。
 ぐでんぐでんに酔っぱらった久留米博が店のドアを開けたのは7時24分だった。プロレスリング中継の途中だったが、まだカシアス蟻多は出てきていない。金曜ドラマ「パルチザン伝説」が始まるのは8時からだ。博は入ってくるなり、いきなり叫んだ。
 「純子ー!帰ってきてくれー!」
 そう言って泣き出した。他の男たちは「バカ、お前は出入り禁止だ。」とか言いながら博を追い返した。外に出された博は一時ドアを叩きながら泣き叫んでいたが、今日も見込みがないと分かったのか、声はしなくなった。諦めて帰ったのだろう。
 「ねえ、お母さん、たまには入れてあげたら?」
 と手伝いに入っている桜は言ったが、純子は「ダメよ。」と言った。
 桜が部屋で予習をしていたら高一が帰ってきた。二階の狭い二人部屋に入ってきてタバコに火をつけながら言った。
 「今日は23万稼いだぜ。」
 「吸う時はちゃんと窓開けてよ、煙いんだから。」
 と桜は窓を開けながら言った。
 「桜、5万ぐらい貸してくれんかね。」
 高一は桜に言った。
 「んもう、今日稼いだんでしょ。」
 「まあ、それはそれで、そうなんだけれども。」
 「なんでお金がいるのよ。」
 「黙って貸してくれ。すぐに返すから。」
 「返したことないでしょ。」
 と言いながら桜は財布から5万出して高一に渡した。
 「うひょー、ありがてえ。」
 高一はタバコ臭い服のまま、風呂も入らずグースカ寝てしまった。口を大きく開けたままいびきをかいている高一の寝顔を見ながら桜はつぶやいた。
 「あなたとわたし、血、繋がってないよね。半分も。」

__つづく

 
 

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