外部へ向かうほど内部と向かい合う

<前回の話>

バイトとはいえ仕事が安定し始めた頃、定期収入があることで、私の生活にはいくつかの文明が生まれていきました。

ある時、数日間のお休みをもらって、関西方面へ旅行に出かけました。当時、私の親戚・知り合いには西側の人間が一切いないばかりか、そもそも新幹線で言えば米原より西に行ったことがなく、関西方面自体が完全に初体験でした。私は20歳頃だったでしょうか。

新宿発、4列シートの夜行バスで、朝5時に京都駅に降り立ちましたが、まず「夜行バスにはもう二度と乗らない」ということを固く決意して、それから、一通りの観光名所を巡っていきます。

金閣寺に銀閣寺、龍安寺、清水寺、平安神宮、祇園。色々と回った中で、特に気に入ったのは、建仁寺でした。その後、京都へ行くときには、なるべく建仁寺へ立ち寄ることにしています。建仁寺へ初めて行ったこの時、たまたま私は坊主頭だったのですが、拝観料を払ったお坊さんから「坊さんですか?」と聞かれたことが、とても印象に残っています。

旅行当時、まだ私は「食」という文明には出会っていなかったものですから、旅先でも見知ったチェーン店に、ついつい入ります。必要に応じて腹を満たすだけでよかったので、その点では安上がりでしたが、いま思えば色んな意味で貧しいものでした。食事にお金や時間をかけるより、少しでもいい宿に泊まりたいとか、できる限り遠くへ行ってみたいとか、そうした気持ちが大きかったのを覚えています。

このような西に向かう旅を、数ヶ月後にも再び実行しています。当時からノープラン旅を好んでいたので、日程だけ決めたあと、当日に切符売り場で路線図を見上げて、なんとなく行く場所を決めるような感じでした。

「ああ、こうして時々旅行へ行くのが、このまま趣味になっていくのだろうな」と、私自身けっこう思っていました。しかし、旅行はこの二回のみで、ひとまず終了となります。

どういうことかというと、私はこの頃、音楽と出会ってしまいました。

「私の人生に、なんとなく音楽が必要な気がする」

という思いは、かつて不登校から引きこもりに至る一連のなかで、ずっと頭にありました。しかし、当時はSNSもYouTubeもなく、本来なら情報源になり得るような同級生なども皆無のため、何かを聴き始めようにも、一歩を踏み出すための取っ掛かりの一つすらありません。

ただ「自分には音楽が必要なんじゃないか」という、何となく欠落した埋めがたい気持ちが常にあって。ジグソーパズルの巨大な空白と向き合うような期間が、何年も続いていました。

音楽を聴く最初のきっかけは、バイトから帰ってきて深夜にたまたまやっていたTV番組「小林克也のベストヒットUSA」でした。

紹介されていた、The Musicというイギリスのバンドの“Welcome To The North”なる曲を聴いたとき、なんとなく「ここからスタートできそうだ」と思い、翌日すぐ街へ出て、HMVでそのCDを買いました。すべてはそこからです。

音楽に関して「最初の一手」をつかんだ後の私は、バイト収入の大半を注ぎ込むことで、堰を切ったように猛進していきました。当時の洋楽新譜を中心に、店頭で目ぼしいものを、手当たり次第に聴いていきます。気に入ったCDに添えられた手書きポップに「○○を彷彿とさせる~」的な文脈があれば、名前を挙げられた昔の音楽も漁っていくことで、シナプスが形成されていく心地よさを感じていました。やがてその中でも、80年代のものや、「New Wave」と呼ばれるジャンルが私の好みに近いらしいことを、徐々に探り当てていきます。

これは当時からある、一貫した感覚なのですが。まず「私の好みの音楽」というものが、ある程度確固たるものとして、すでに私の中には存在していました。

そして、さまざまな音楽を聴くことは、その「答え」に少しずつ迫っていける、とてもスリリングな行程でした。経験の蓄積とともに「答え」に向かう解像度もどんどん上がっていくので、さらに自分にとって気持ちがいいツボをとらえることができます。そういった繰り返しが、楽しくて仕方がありませんでした。

ところで、解像度が上がっていった結果、実は「The Music自体はそこまで私のツボじゃない」ことにも気付きました。最初にThe Musicの曲を耳にしたとき、ずっと探していた「音楽の登山道」を発見するには至ったのですが、それからしばらく歩みを進める中で、見える景色は自然と変わっていった、ということです。(私を動かした大切な曲には違いありません。)

<次の話>

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