行政評価関係の書籍紹介

政策はなぜ検証できないのか(2020)西出順郎著

 いわゆる”お手盛り評価”が生まれる要因について考察を行った本です。過日、行われた行政経営セミナーでも取り上げられたことで書名をお知りの方もいるでしょう。私も救国シンクタンクの懸賞論文で主要参考図書として利用させていただきました。
 しかし、約5000円という高価な専門書なので、読むにしても図書館で借りるのが主流になるかと思います。必然的に読む時間が限られてくるそうした方の読書ガイドとして参考になればと思います。

本書の構成(考察対象は中央官庁であり、施策レベルの評価です)

第Ⅰ部 序論
 第1章 本書のあらまし
 第2章 評価制度導入以前の政策評価研究
 第3章 評価制度の先行研究
 第4章 作為的評価行動の仮説
第Ⅱ部 評価行動の研究
 第5章 作為的評価行動の探索:行動は実際に起きているのか
 第6章 作為的評価行動のモデル化:行動はどのように起きるか
 第7章 作為的評価行動の説明:行動はなぜ起きるか
第Ⅲ部 制度設計の検討
 第8章 現行制度の枠組:制度は作為的な行動を統制できないのか
 第9章 評価制度の成立過程:統制できない制度がなぜ設計されたのか
 第10章 評価制度の見直し過程:作為的な行動をなぜ評価するのか
第Ⅳ部 まとめ
 第11章 起こるべくして起きた作為的評価行動
 第12章 政策検証の限界:政策はなぜ検証できないのか

 記事執筆者が本書におけるキーワードと感じたのは「作為的評価行動」、「評価の囲い込み」という2つの概念です。

 「作為的評価行動」の仮説は第4章において、ミクロ経済学の合理的選択理論、行政学におけるこれまでの官僚制研究の成果から演繹する形で提示されています。そして、政策評価の内部アクター三者の評価目的を次のように分析しています。
ア 政策部門
 予算や人員を獲得するために、評価結果を利用したい。
    → 行政資源の獲得の支援
イ 評価部門
 評価の有用性をアピールしたい。制度を”円滑に”運用したい。
     → 予定調和の制度運用
ウ 幹部部門
 評価結果をPRツールとして、自機関の予算や人員の獲得に利用したい。
    → 活動功績の積極的標榜

 第Ⅱ部では、法科大学院制度についての政策評価の経年的検証、官僚へのアンケート、同インタビューのパス解析結果を用いて、仮説の検証と修正を行っています。
 「作為的評価行動」という評価目的のための評価作業が行われることで評価結果が帯びる特性を次の3つに整理しています。
①「高い評価判定の提示」
②「既存の政策情報への追従」
③「中庸化された情報の提示」
 書評という記事の性格からそれぞれの特性の解説は控えますが、興味のある方は記事執筆者が提出した論文のP7-8をご覧ください。

 第Ⅲ部では、行政機関自らによる内部統制も外部牽制も機能していない現行の政策評価がなぜ生まれたのか、存続しているのかについて分析しています。
 その中の第9章では、評価シートは政策部門が原案をつくり、評価部門がとりまとめ、外部有識者が意見を述べ、幹部が最終的に了承するという、我々が当たり前と感じている評価の仕組みが、実は政策部門による「評価の囲い込み」の結果だったことが検証されています。
 検証の中から一例をあげると、最初は評価を専担する組織として構想された評価部門が、最終的に評価システムを運営するのが主任務の組織に変わってしまっています。

 第Ⅳ部では、日本の行政職員集団の特性と評価システム自体が持つ特性の相性の悪さから、日本の行政職員集団と評価制度が本質的に”非親和的関係”にあること、予算や定員管理等の既存の組織管理システムを動かす中で、政策を検証する評価的作業は既に行われており、付け足しのような評価制度は無用の長物と化していることを述べています。
 本書のまとめとして、最後に著者は次のように記しています。(記事執筆者による要約)
 「本書は、単なる「お手盛り批判」を批判し、実効ある改革・改善への貢献を意図したが、結果は妙案を見出す困難さを強調することになった。
 評価制度を改善して政策検証の実効性を高めるためには、政策検証を肯定的に捉えるように組織特性の変化を促しながら、また、システムとしての限界を飲み込んだうえで、行政職員集団と共存できるセカンドベストな仕組みを、前進後退を繰り返しながら地道につくり上げていくしかないと考える。」

 本書の紹介記事はここで終了です。厳密には「おわりに」があるのですが、そこには西出先生の政策提言も含まれています。分析内容を誤解して伝えるのと、提言内容を誤解して伝えるのとでは、後者に対してより慎重にならざるを得ないので、今回は控えさせていただきます。
 この記事を書くために、懸賞論文で引用しなかった第Ⅳ部を中心に改めて読み込んでみましたが、正直、よくわからかなかった箇所、見解に納得できなかった箇所がありました。また、米国では評価システムがそれなりに機能しているのは、日本とどこがどう違うかなど改めて考えさせられました。
 それらについては、また、記事を改めて拙論を述べてみたいと思います。