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【劇場版ポケットモンスター ココ】感想・ザルードの部族感が好き

ココ、ようやく観てきました!
えーめっちゃ良かった……個人的にはポケモン映画屈指の名作です……

「ポケモンに育てられた少年」を主役にした、人間とポケモンの親子のお話。その基本設定の通り、本作かなり感動させられてしまうお話なのですが、それ以外にも楽しい部分やしっかりしたアクションもあり。『キミに決めた!(2017)』や『みんなのものがたり(2018)』で描かれた「ポケモンと人が共に生きる世界」の空気感がしっかり出ていて、その上で久しくポケモン映画で見なかった無慈悲で強力な巨大ロボも登場する。見応え抜群の一作でした。

特に良かったと感じたのがザルード族周りです。
ザルード族周りというとココも含まれるので結局この映画全体なんですけど、いやホントにザルードたちの描写が良かった。群れを通り越してもうあれ部族なんですよね。しかも蛮族の部類。

森で猛威を奮う蛮族の戦士が、親のいない赤子を拾い、掟を破ってその親となり共に暮らし、成長を見守る。けれどその赤子は人間で……
成長した少年は高い身体能力を持ち、森のポケモンたちとも仲良く暮らしていたが、自分がザルードらしい姿にならないことを不思議に思っていて……

これですこれ、となる。
想定外の展開は殆ど無いんだけど、一つ一つの王道展開をしっかりと丁寧にぶつけてきてくれる感じ。種族値バランスが良くて技構成もしっかりしてたら当然勝てるぜってくらいに強い。

というかもうほんと、開幕から強かった……

森の部族・ザルード

この映画、開幕から「他のポケモン達からきのみを奪い取り我が物顔で占領するザルード族」の描写から始まるんですが、それが良い。

『掟の歌』を高らかに歌い上げ、足踏みと咆哮で周囲を威圧しながら士気を高揚させ、他のポケモンを追い出しきのみを独占し食らい付くザルード。
完全に悪いヤツで他のポケモンからは嫌われてるんだけど、その『掟の歌』がザルードの強さと連帯感を表していて、群れの強固さをしっかりと感じさせてくれる。

※最初に紹介される曲が『森の掟』。他の楽曲も軒並み良かった。

で、そんな森の荒くれであるザルードの一体が、妙な気配を覚えて向かった先には……小さな赤子!
放置して帰ろうとするも、そのままではすぐに死んでしまうだろう。困ったザルードはその赤子を連れて帰るが、森の掟によってよそ者を縄張りに入れる事は許されない。ならば、とザルードはその赤子を連れ、縄張りの外で暮らすことを決める。

この時の他のザルード達の反応が良くて。
赤子を連れてきたザルードに怒るのはもちろんの事、掟を守る為にサラッとその赤子を殺そうとしたりする。完全に追い出すとかじゃなかったよあれ。「ならオレがやる」って始末するの意だったよあれ。

恐らくオムツにあれをしてるであろう赤子の臭いを「スカンプーのケツの臭いだッ!」と評して嫌がるザルードたちの反応なんかも楽しかったんだけど、何より良かったのは津田健次郎声のリーダーザルード。赤子を連れて森を去ろうとするザルードに「それは群れへの裏切りだ!」「これでもオレはお前を信頼してたんだぞ!?」と怒りながら止めようとする。ああこれ父ちゃんザルードに自分と一緒に群れをまとめて欲しかった的なアレ……

ところでザルードたちの縄張りは森に聳える神木の周り。
神木から溢れる治癒の泉を失わない為に、掟に従い他のポケモンを拒絶している。掟を重視しつつ父ちゃんザルードの事を案じている長老もいる。部族ですよこれはやっぱり……森の部族……

フライゴンを助ける為に治癒の泉を使って捕らえられるココとか、自分に立ち向かってくるココに「お前がオレに勝てると思ってんのか!」といきり立つリーダーザルードとか、設定やキャラクター周りをしっかり活かしてくれてる感があって観ていて楽しい。ザルードの図鑑設定にも忠実で、これはポケモンの設定と映画の内容どっちが先なんだろうな。映画やる前提ではあると思うんだけど。

ココ=人間、への導き方

この辺も良かった。
人間の目から見ればココは当然人間の子どもなので、サトシも一貫してココを同年代の人間として接してるんだけど、ちゃんとココ自身が「自分は人間なのかもしれない」と感じるまでの導線を引いていた。

「オレの蔦はいつ生えてくるのかな?」とザルードにあるべき蔦が無い事を気にする描写から、「きのみを食い荒らされた」→「じゃあ育てればいい」という生産の発想。初めて見る人間や人間の世界に驚きつつ、サトシと手を合わせることで自分と同じ生き物かも!と気づく感覚。

あくまでもザルードの息子・ココの目線で話を進めているから「お前は人間なんだよ」と誰かに諭されることもなく、自ら出会い知って気づいていく。与えらえる情報じゃなくて、ちゃんと自分で動いて話を進めていっているから観ていて飽きない。人間の世界に踏み入る事になるキッカケも、父との言い争いからの「今までそこに無かった人間の機材に激突して川に落ちる」という状況の変化で、その変化の理由は序盤にサトシパートで描いてもいる。

ザルードたちメインのパートでは、ザルードたちは人間の言葉で普通に話していた。ので、「ザルードは喋るタイプのポケモンなのか……?」とか思ってたら、サトシと出会ったココはザルード語で喋っており、人間との意思疎通が困難であることを描写される。ここまでの描写はザルード視点だったから人間の言葉に翻訳されていただけで、あくまでザルードはザルードの言葉で喋っているのだ。この徹底も好きポイント。最初はピカチュウを通してピカチュウとサトシの名前を聞くから、サトシの名前を「ピカピ」と呼ぶ(すぐ訂正されて察するココ)。

以後もサトシ視点ではココもザルードもポケモンとしての言葉で喋っていて、視点が切り替わると普通の言葉になるし、サトシの言葉もココには完全には伝わってなかったりする。小さい子がここの切り替えについて行けているかは分からないけど、個人的にはかなり好きな描写でした。

あとこれはサトシのサトシらしい好きポイントなんですけど!
ココがポケモンの言葉でしか喋れないと分かったサトシの反応が「ポケモンと喋れるなんてすげぇ!」なの本当にサトシで好きです。人間の言葉が分からないと分かっても変な顔一つせずに、身振り手振りを交えてどうにか伝えようとする。それよりも身体能力が高くてポケモンと意思疎通が出来るという特技の方がサトシには重要。あーこれは良いサトシです。
最初は人間に戸惑って怖がってたココが人間に興味を持つようになったの、こういうサトシの屈託のない接し方が大きかったんじゃないかと思います。

あとこう、一番近くで接するサトシがそうだったお陰か「野生児のココを社会復帰させる」みたいな描写がほぼ無かったのストレスが無くていいですよね。あるじゃないですか、野生児を無理やり現代社会に適応させようとするタイプの描写。そういう押し付けが無くて自然にサトシたちと人間の文化を初体験していくココが観ていて楽しかったです。

そういう描写や、街でのタイレーツの一件とかがあった上でのあの結末なので、納得感も強くて良かったです。

巨大ロボ

巨大ロボだーッッ!!!!!

なんでポケモン映画ってしばしばクソ強マシンが猛威を奮うんでしょうね。
そりゃラストに倒すべき相手としてちょうどいいからですよ。
というわけで本作では久々にクソ強い無慈悲な巨大ロボットが登場しました。しかも……恐らくは工業用だ……ッッ!!!

ザルードたちとサトシ&ピカチュウ、そしてココの共闘。
それでもまだ勝てない相手に対し、父ちゃんザルードは自分たちザルードが嫌われていると知りながら、ココの友達である森のポケモンたちに助力を乞う。

最後の一撃までの流れがめっちゃ熱くて最高でしたね。
最高のアイアンテールだ……アイアンテールで決めるんだ!?

今回の悪役山寺さんことゼッド博士、「そんなデータ残しちゃダメだよ」とか「急に発狂したからみんな戸惑ってるよ」とか思う所はあるんですけど、本作の流れ的にそれくらいざっくり悪役を引き受けてくれた方が良かったかなと思う。でも……こう……殺人犯なのだなぁ……

研究員さんたちもクソデカ工業ロボで木々を薙ぎ倒して進んでおきながら「なんで襲ってくるの!?」は無いでしょと思うんだけど、まぁ本心は善意というか医療のためだったと思うので……反省もしたので……いいのでは……

治癒の泉を奪おうとしたゼッドのロボと、泉を独占し他者を踏み入れさせなかったザルードたち。長老が「あの狂った機械と我々の何が違うというのだろう」と自戒する流れも結構好きです。長老が長老ロールを完璧に熟している……長老ザルード、本当に「長老的なキャラクター」の台詞しか言わない味わい深い長老オブザ長老。そういう分かりやすさはこの映画の美点だと思います。

父と息子

いやーホントこの映画の主題的な部分ですが、ここも良かったですね。

父ちゃんザルードは実はどこからともなくやって来た親無しのザルードで、親がどういうものかを知らない。
そんな父ちゃんザルードは、息子であるココを愛しながらも「自分はちゃんと父親でいられているのか」を自問していた。ココが本当は人間であることも告げられず、自分が育てるという選択はココを不幸にするんじゃないかと気にしていて。

そんなザルードが「親になる事の意味」を悟る流れは本当に良かったです。
で、逆はないんですよね。ココは終始ザルードを父として見ていた。本当の親じゃないと言われた時は傷付いていたし、本当の両親の事を知る為に動きはしたけれど、ココにとっての父はザルード。ふーむ。

ザルードとココの親子関係は冒頭でOPと共に描写されていて、印象的なエピソードも別途回想として差し込まれるので、感情移入に支障はない。
OPや挿入歌と共に時間経過させていく流れって流行りなのかなぁ。
ココが人間の文化に触れるシーンでも、印象的な音楽と共に映像を流していく感じで進められていました。そういう部分や先述の『森の掟』の歌も含めて、楽曲面でも良かったなと感じます。

ポケモンアニメとの向き合い

いや改めて本作めっちゃ面白かったです。

で、この映画、『キミきめ』と『みんなの物語』経由してないとちょっと難しい映画だったなぁとも思います。ポケモンと人間の関係というか、「ポケモンのいる世界」のディテールはこの二作でグッと深く描写されるようになったじゃないですか。そういう土台がちゃんとしてたからこそ、今回のようなポケモン側の文化……というか生き方に焦点を当てた映画が出来た、という面があるんじゃないかなと思うんです。

メインで登場する人物が絞れるのも映画時空の良さですね。『みんな』も『ココ』もサトシは観客と登場キャラクターとを繋ぐ立ち位置にいて、あくまでもメインは他のキャラクターたち、みたいな。アニメと繋がった流れでやるとレギュラーメンバーの描写もあるから全般が薄くなってしまうし、オリジナルキャラにゲスト感が出てきてしまう。でもサトシだけを繋ぐ立場に置けば、あとはオリジナルキャラクターをメインで語れる(今のところロケット団はちょっと割りを食ってますが、それは以前からかなぁとも思ってます)。

ポケモン映画、単体としての面白さはやっぱり『キミきめ』以降かなり上がってるんじゃないかと私は思っていて(逆EVOは観てないですが)、普段ポケモンアニメを観ていない層でも楽しめるのは良い事だと思うんです。親御さんとかも含めて。

というか、ポケモンのゲームで遊んでてもアニポケは観ていないって層は意外といるんですよね。潜在需要というと少し違うのかもしれませんが、普段アニポケ観てる素振りが全然ないのに薄明の翼では大盛り上がりしてた人とか、結構多かったんじゃないかとか感じてます。証拠は無いので私個人の感覚ですけれど。

で、近年の映画はそう言った層にも響くような作品になってると思うんですよね。なのでもっとポケモン映画が大盛り上がりすればいいなと感じるんですが、うーん、しかしココは色々とタイミングが厳しかったですね。私自身ちょっと観るまでに間が空いちゃいましたし、2021年1月7日現在、首都圏ではもっと観辛い状況になってるし……(映画館は対象外とはいえ)。

まだ観れてないよ、という方は色々と気を付けつつ劇場で観ていただきたいな、と思うのですが、どうでしょう。本当にオススメのポケモン映画なんですけれど。


などと言いつつ。
映画だけでなく、TVシリーズのアニポケも最高に面白いので、そちらも観て欲しいんですけれどね!!??
現行シリーズもかなり面白いです。サン&ムーンもお勧めです。今となっては毛色が違うけど配信サイトで無印を観るのも良いぞ。TVシリーズもよろしくね……


というわけで、ざっくりした感想はここまでです。
お読みいただきありがとうございました!



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