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頑張っていることの証明
変なプライドを持っている私は、寝る時はいつも暖房をつけずに布団と毛布だけでやりすごしている。
そのプライドのせいかどうかは分からないが、ここ最近は何故か1ヶ月に1回のペースで高熱が出た。
高熱が出る度に友達に報告して約束を断ったり、学校やバイト先に休みの連絡を入れたりと、大忙しである。
そして、年が明け、1月になってからも熱を出した。
今月の熱はインフルの野郎だった。
8月にもかかったばっかだというのに、何故こんなにもインフルとやらは私にしつこく付きまとってくるのか甚だ疑問である。
思えば、今年度はずっと忙しい生活をしていた。
と言っても、何か特別な事をしていた訳ではなく、単純に授業量とバイトに入っていた量が極端に多かったというのが現実だ。
初めは意外となんとかやっていけると、親や友達に得意げに話していた若気の至りも、その勢いは次第に弱まっていき、やがて体調の変化となって表出される。
まさしく竜頭蛇尾とは言い得て妙であった。
そんなあまり身体が強くない私だが、この体調の変化は逆にプラスに捉えていた。
体調を崩すということは、自分の限界を越えるほどの苦労を重ねているということでもあるのだ。
朝早くから家を出て、授業を受けて、夜遅くまでバイトをし、帰ってきたら寝室までたどり着かずに固いリビングで爆睡し、深夜に目が覚めて風呂に入り、そして寝室で眠りにつく。
そんな狂った日程を、さも当たり前かのようにほぼ毎日こなしていた私は、今になって思えばめちゃくちゃ頑張っていたとも言うことができるのである。
その事実について、みっともなく自慢するかのようにインスタのストーリーで熱が出ただなんて発信すると、多くの友達が「お疲れ様」と労いの言葉をかけてくれるのである。
それだけで、自分が頑張っていた事実は認められ、尊重されるのだ。
まぁ学校やバイトを休むことは頑張ったうちには入らないが。
ただその瞬間だけ、体調を崩した自分に対して前向きに思えるのであった。
そういえば、1月の頭には二十歳の集いがあった。
そこで小中の頃の旧友たちとたくさん話をし、色んな話が出来て久しぶりに充実した時間を過ごすことができた。
本当は直前まで行きたくないなんて駄々をこね、友人の猛説得のもと足を運んだのだが、そこは考えないようにしよう。
友人にはとても感謝である。
1番驚いたのは、幼稚園の頃から仲の良かった幼なじみが警察官になっていたということだ。
昔から可愛いと言われていたあの小さな少年が、警察官になるだなんて、ギャップであまり理解できなかった。
でも、とても素晴らしく嬉しいことであった。
これを聞けただけで中々な収穫があったと思えた。
彼はどれだけの苦労を重ねたのだろう。
暫く会ってすらいなかった私には何も分からないが、尊敬せずにはいられない。
そんな中、私は毎月体調を崩していただけなのに自分のことを「よく頑張った」と励ましていた。
そんな私から言わせてもらおう。
君はよく頑張っているぞ!
くそ生意気で申し訳ない。
勿論、人によって努力のラインは違くて、それぞれができる事や向いていることには差がある。
ただ、みんながみんな、自分なりに頑張って生きているのだろう。
頑張れなくて悩むことも、休んでばっかで虚しくなることも、それが自分の胸の中で葛藤を生むのなら、きっと頑張っていると言っていいのだと私は思う。
とりあえず今日もお疲れ様。
一息ついて、また明日。
あなたのサポートのおかげで人生頑張れますっ 宜しく頼んますっ