二百三高地

DVDに録画してあった映画『二百三高地 愛は死にますか』を見た。公開は1980年。さすがに任侠・やくざ映画も下火になり迷走していた東映が戦争大作路線に活路を見出そうとした作品である。

日露戦争の激戦地であった旅順攻防戦を巡っての人間ドラマが描かれているが、公開当時は朝日新聞や赤旗から「戦争美化映画だ」、「右翼映画だ」と批判されたらしい。

しかし俺が見たところ、そういった意見は少し短絡的すぎるのではないかと思った。

南進を進めるロシアに対し、朝鮮半島への進出を目論む日本は警戒感と危機感を募らせていた。そして御前会議において日露戦争開戦を決意するのだが(明治天皇役に三船敏郎)、ロシア海軍の極東基地になっている旅順港を叩く為に、それを防護する旅順要塞を落とす必要に迫られる。この作戦の指揮官として乃木将軍(仲代達矢)が任命され、第三軍を率いることになる。

その前段階で伊藤博文(森繁久彌)がなんとか開戦を回避できないのかと、いろいろ外交交渉に奔走もするのだが(アメリカに赴く特使が天知茂)、軍の参謀本部長・児玉源太郎(丹波哲郎)に説得されて、ついにロシアと戦うことになるのだった。

168分の大作である。監督は日活の祐次郎映画などで鳴らした舛田利雄であるが、演出的に特筆すべきものはない。ただこの映画を映画たらしめているのは笠原和夫の脚本だ。笠原和夫は東映を代表する脚本家で、『博打打ち 総長賭博』、『七人の博徒』(出てくるキャラが全員身体障害者!)、「仁義なき戦い」シリーズ、『県警対組織暴力』、『実録 共産党』(未映像化)など数々の傑作をものしてきた男である。

笠原和夫は18歳で終戦をむかえたが、その場所は広島にある大竹海兵団という特攻訓練施設であった。当然死を覚悟していたと思うが、それ以上に国の為、天皇の為に殉ずるという意識は強かったであろう。そういった価値感が敗戦によってすべてご破算になってしまったのだ。そんな笠原がまさに戦争そのものをテーマにして作品を作っていったのである。

笠原の脚本作りで有名なのが、徹底した資料集めによって精緻に組み上げられていく手法である。この作品に関しても、当時の旅順の一日ごとの天候まで調べ上げるという徹底されたものであった。とにかく彼の脚本は机上の空論でもなく、単なる空想でもない、かといっていたずらにリアリズムに徹する訳でもない骨太なものだ。

「仁義なき戦い」はもちろん深作欣二の斬新な演出が見事なまでに光っているのだが、作品の根底にあるのは笠原和夫が描き出す人間劇だ。

『二百三高地』でも政府や軍上層部の人間関係や、どのようにして戦争へ突入していったかということが丁寧に描かれるが、その片一方で一平卒として戦場へ駆り出されていく人間の姿を克明に捉えている。

金沢で小学校教員をしているあおい輝彦は、ロシアの文豪トルストイに心酔していて、東京のニコライ堂に行くなどロシアという国を敬愛していた。

ニコライ堂に行くため上京していたあおいだが途中、開戦論を声高に演説するものたちのところへ反戦論者が現れ衝突に。そのなかに夏目雅子がいたのであった。

ニコライ堂で再会したふたりは急速に惹かれ合っていった。金沢に帰り、招集を受けたあおいであったが黒板に「美しい国 日本 美しい国 ロシア」と書き、生徒たちに、

「日本とロシアは戦争をすることになったが、ロシアにはトルストイ言う偉い先生がいて、人間は人種に関係なくみな兄弟じゃいうとるんじゃ。みんなもそんな心を忘れんでくれ。そしてこの字は先生が戦争から帰るまで消さんといてくれ」

と言う。一方夏目雅子はすっかりあおいに惚れてしまい金沢まで押し掛け女房のようにやってきてしまったのであった。永遠の契りを結ぶ二人。

「必ず、必ず生きて帰ってきてくださいね…」

夏目雅子は涙ながらにそう言うのであった。

金沢の練兵場に次々と新兵たちが招集されてきたが、湯原昌幸は太鼓持ち。新沼健治は豆腐屋のせがれ。一人の男は嫁さんに逃げられたのか、先立たれたのか、幼い子供二人を村のお寺に置いて泣く泣く入隊に向かったのであった。

やくざの佐藤允はブタ箱のなかに入っていて、突然刑務官に出ろと言われる。

「お前のようなやくざものが天皇陛下の赤子として国の為に働けるんじゃ。有り難いと思え」

「天皇陛下?そんな会ったことも見た事もないもんのために命なんぞ張れるかい」

そう言ったが、結局入隊。

あおい輝彦は入隊していきなり小隊長になっていて、湯原昌幸、新沼健治、子供を置いた男、佐藤允の上官となるのであった。

旅順に出兵した日本軍であったが、そこに待ち受けていたのは難攻不落の要塞であった。山の上に無数に築かれたトーチカには機関銃が設置されており、そのトーチカの前には有刺鉄線が張られていて、そこには電流が流れている。

さらにロシア軍は当時先端の手榴弾を装備しており、恐ろしいことに機雷を山の上から転がしてくるのである。

仮にトーチカが落とされても進軍する者は深く掘られた縦穴に落下し串刺しに。さらにそこへ機関銃が浴びせられるという鉄壁さを誇っていた。

そこへ総攻撃を仕掛ける日本軍は銃剣しか装備していなくて、有刺鉄線に辿り着いたものの電流を喰らって丸焦げになる者、有刺鉄線を引っこ抜いているうちに機関銃でハチノスにされる者が続出。有刺鉄線を突破しても手榴弾で木っ端みじんに吹き飛ばされるのであった。

そもそもガレバのような山を利用した要塞は登ってゆくだけでも困難を極め、そこに雨あられのように降り注ぐ銃弾。手榴弾に日本軍はなすすべもなく戦死者を増やすだけであった。

ということで第一次総攻撃は失敗。だがあおい小隊は生き残った。しかし本国からの手紙で、赤十字に預けられていた子供がいなくなったということを知った男は隊からの脱走を試みるがあえなく拘束される。

「後生じゃー。堪忍じゃー。小隊長殿、一目子供に会わせてくんろー!」

「敵前逃亡がどうなるか知っているんじゃろうな!」

佐藤允。

「生きるんじゃ!生きて日本に帰るんじゃ!そして子供と再会するんじゃ!」

あおい輝彦。

だがそんな一平卒の事情とは無縁に第二次総攻撃が始まる。またしてもトーチカめがけて突進してゆく日本軍であるが、前回のようにそこに辿り着くまでバタバタと戦死者を出してゆく。当時手榴弾を持っていなかった日本軍は、ダイナマイトを束にしてトーチカに投げ込み一つずつ潰してゆくが、生き残ったロシア兵との肉弾戦が待っていた。さらに進軍すると奈落のような堀が待っていて、そこに落ちた日本兵は次々に串刺しになり、反対側の壁に構えられたロシア軍の機関銃によって皆殺しにされ壊滅的な被害を被ったのであった。

累々と転がる日本兵の死体。それにとどめをいれてゆくロシア兵。その模様を双眼鏡で覗いている軍上層部。

「まったくあいつらはなにをしておるんじゃ」

と人ごとのように言う。

「◯◯(子供が行方不明になった男)を守れー!殺したいかん!」

飛び交う銃弾のなか、あおい小隊には不思議な団結感が生まれていた。ボロクズのように殺されてゆく日本兵。あおい輝彦の前に現れた顔が原型をとどめていない男は、

「ここは地獄だ・・・」

と言い残し死んでゆく。

二度の総攻撃に失敗した司令官である乃木将軍には、軍の内部からも、そして日本国内の世論も批判が渦巻き、その家に投石がされる。

「責任を取れー!」、「天皇陛下に謝れー!」

が、乃木夫人(野際陽子)は毅然としていた。御前会議でも乃木将軍解任が取り沙汰されるが、明治天皇はあくまでこの職務は乃木将軍に任せるべしとのたまう。

そして乃木将軍の長男も戦死した。

この当時、両国間にはそれぞれ武士道と騎士道の名残があり、休戦時間にはお互いに酒を酌み交わしたり、食料を分け合うなどしていたという。

そんななか佐藤允は◯◯にある提案を行う。

「手を出してみろ。俺がライフルで指を吹っ飛ばしてやる。そしたらお前は軍隊ではお払い箱になって、めでたく子供のもとに帰れるってわけよ」

急に泣き出す◯◯。

「その気持ちだけで有り難いんじゃ。でもここまできたからには死ぬ時は一緒と心に決めたんじゃ」

「お前って野郎は・・・」

そして第三時攻撃として白たすき隊が結成され恐ろしいことに銃剣のみでの突撃が行われるが、またしても全滅に近い損害を出しただけで終わる。この白たすき隊の先頭に立った男が東映のエロ帝王・名和宏であったということも忘れてはなるまい。

はっきり言ってこの映画を見ていると、乃木将軍の司令官としての資質を疑いたくなる。ただ正面からの突撃を繰り返すだけで、それ以外になんの作戦もないというのが実情なのだ。さすがに日本から沿岸防備の為の大砲を持ってきて要塞めがけて打ち込んだりするが、それも要塞そのものを落とすまでには至らなかった。

続々と日本に運ばれてくる兵隊の遺骨。それを抱きしめる遺族たち。

「♫海は死にますか 山は死にますか 秋はどうですか 春はどうですか」

とさだまさしの「防人の歌」の訳分んないメッセージが流れて休憩時間に。この曲、ガキの頃ヒットしていたのを思い出す。

ロシア軍陣地に取り残されたあおい小隊は孤立し、そのなか湯原昌幸は凍死。陣地上方からロシア兵の声がし、

「まだそんなところにいたのか諸君。諸君のその勇気を称えて酒を送ろう。今から瓶を降ろすから取りにきたまえ」

と言って、ヒモにぶら下げた酒瓶をたらしてくる。それを見た佐藤允は、

「畜生!連中調子に乗りやがって!」

と言い。

「♪酒は飲め飲め 飲むならばー」

と「黒田節」を歌いながら近づいてゆく。

「見事な勇気だ。さらに缶詰も送ろう」

と缶詰を投げようとしたところ、◯◯はそれを手榴弾だと勘違いし、ロシア兵を殺してしまう。始まる戦闘、結局◯◯は手榴弾を背中にくらい丸焦げになって死んだ・・・

ある日野営陣地でロシア人捕虜の尋問を行っていた。通訳はロシア語ができるあおい輝彦に任された。

「要塞に残っている兵力はどれくらいなのだ?」

捕虜はなにを聞いても無視するばかりで応えない。そしておもむろに、

「我々は絶対に降伏することなどない!お前らに我が軍の情報を提供するくらいならこの場で死んだ方がましだ!猿め!さあ殺せ!」

と声高に言う。

「なんと言っているのだ?」

拳銃を構えるあおい。

「やめろー!」

銃声がこだまする。

「なにをやっているのかー!通訳しろと命じたが、殺せとは言っていない!国際的な取り決めでも捕虜は殺してはならんのだ!それでも貴様天皇陛下の赤子として恥ずかしくないのかー!」

「ロシア人は皆殺しだー!ロシア人は皆殺しだー!前線で火に焼かれもがき苦しむ兵隊には軍規も国家も関係ないのです!その兵隊の苦しみを乃木式の軍人精神で助けられるのですかー!」

そこに騒ぎを聞きつけた乃木将軍が現れる。

「閣下。こいつは少し頭がどうかしているのです」

乃木将軍はあおいに向かって、

「隊に帰りたまえ。帰れー!」

と命じるのであった。

そこには入隊する以前、トルストイに心酔しロシアという国を敬愛していたあおい輝彦の姿はなかった。戦争という狂気があおいのなにかを変えてしまったのだ。

戦局は一進一退の攻防を繰り広げたが、日本軍には多大の戦死者が出ていた。そんななか、乃木将軍の次男である永島敏行(戦争映画っていうと必ず永島敏行が出ている印象がある)も伝令に向かう途中あえなく戦死。この事態にさすがの乃木将軍も同様を隠しきれなかった。

東京の乃木邸では野際陽子が、ふたつのお骨を前にして放心状態だった。

軍内部ではバルチック艦隊が日本海にやってくる前に、なんとか旅順を攻略したいとの考えから、一層乃木将軍更迭論が浮上するのであった。

そんなななか児玉源太郎参謀本部長(丹波哲郎)が現地入りし、現場の責任者を一喝。そして野営陣地で乃木将軍と二人きりになった。たしかこのふたりは同じ長州閥で旧知の仲であった。

手勢の部隊を率いて見事に散っていきたいという乃木将軍に、児玉源太郎は怒りをぶちまけ、

「貴様の感傷につき合っているような余裕はないのだ!我々の任務は唯一つこの戦に勝つことだけじゃ!」

と切り捨てる。

乃木将軍の解任こそなかったものの、旅順攻略にあたる第三軍は実質的に児玉源太郎の指揮下に入ることになり、児玉源太郎はその攻略目標を要塞本体ではなく、そこに隣接する二百三高地に向けることにする。

すると、まあ映画の尺の関係とかあるんだろうが、二百三高地はあっけなく陥落し、そこから日本軍は旅順港めがけ大砲を撃ち降ろし始めるのであった。なぜもっとはやく二百三高地を攻略しなかったのか?素朴な疑問だけが残る。

二百三高地陥落の知らせは日本にも伝わり大騒ぎに。あおいの地元金沢の小学校では、あおいの書いた「美しい国 日本 美しい国 ロシア」という黒板の文字を巡って生徒が、

「うちの父ちゃんはロ助に殺されたんだぞ!」

「でも先生が自分が帰ってくるまでは消しちゃならん言うとったじゃないか!」

とケンカを繰り広げるが、校長先生が、

「もう二百三高地も日本軍のものになったし、先生もそのうち帰ってくるから消していいじゃろ」

と言うのであった。その頃、夏目雅子はこの小学校で代用教員をしていた。

しかしあおい小隊は旅順要塞本体攻略の為に地下壕を掘り進めていた。そして要塞に到達し、ロシア軍との最後の戦いとなったのである。ロシア軍もここで負けたらあとはないと必死に抵抗をするのであった。双方最後の力を振り絞って肉弾戦が展開される。

日の丸を手に大砲へと続く階段を登ってゆくあおい輝彦に、ロシア兵が銃剣で襲いかかってきた。ロシア兵と格闘するあおい。日の丸を新沼健治に託した。そこにはすでに人格とか人間性というものが消去された獣同士が戦っていた。あおいは敵に首を絞められもうだめかと思ったが、目つぶしを喰らわせさらにヘッドロックを決め敵を倒したかに見えた・・・

旅順要塞のロシア軍大砲の上に日の丸を掲げたのは新沼健治であった。続々とつづく日本兵。そして歓喜の声を爆発させる。だが佐藤允が見つけたのはあおい輝彦の死体であった。

「小隊長殿!小隊長殿!」

あおい戦死の報は日本にも伝わり、小学校の校庭で夏目雅子は泣き崩れるのであった。

かくて旅順における戦闘は終わり、乃木将軍は三船天皇の前で上奏文を読み上げていた。しかし乃木将軍の胸中には無数の戦死者の存在が去来していた。そしてあのあおい輝彦の言葉、

「前線で火に焼かれもがき苦しむ兵隊には軍規も国家も関係ないのです!その兵隊の苦しみを乃木式の軍人精神で救えるのですかー!」

がオーバーラップする。そして次第に声を詰まらせ、ついには号泣する乃木将軍。

その後、伊藤博文は暗殺され、明治天皇が死ぬと乃木夫妻は後追い自殺をするのであった。

夏目雅子が子供たちと戯れる中、エンドロールが流れ始める・・・

戦争という巨大なテーマにーを前に笠原和夫は何を描き出したのだろう。ここには声高に反戦を唱える者もいない。かといって陳腐な翼賛映画でもない。

そこには指揮官から一平卒に至るまで、戦争という行為そのものに関わったすべての者が運命を左右され、命を翻弄され、人生を決定づけられてしまうという現実そのものがある。

昔の軍人は偉かったとか、戦争に行った人は大変な苦労をされたとかちんぷんかんぷんなことを言うヤツは糞喰らえ!


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