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極悪坊主 人斬り数え唄

1968年。つまり半世紀前。
音楽界においては、ビトールズの『ホワイト・アルバム』、ローリング・ストーンズの『ベガーズ・バンケット』、ザ・バンド『ミュージック・フロム・ビッグ・ピンク』、ジミ・ヘンドリクス『エレクトリック・レディランド』というのちに傑作と呼ばれる作品が矢継ぎ早に発表された。

そんな1968年。
極東の島国である日本にては、ピンキーとキラーズの「恋の季節」が一世を風靡していたが、映画界においては、若山富三郎主演、東映映画『極悪坊主 人斬り数え唄』が公開された。
この作品は同年公開された『極悪坊主』の第二弾であるが、サントラを手がけたのが冨田勲だったためか、そのタイトルバックに流れる音楽が押し寄せるロックの波に影響されたエレキサウンドだったということは、まず書いておこう。

前作において流浪の身となった僧、真海を演じる若山富三郎は大阪、河内にやってきた。
その野原。花も恥じらう年頃の乙女二人が花を摘んでいる。そして一人の乙女が言った。
「あら。こんなところに松茸があるやないの」
「えっ。どれどれ。いやーっ!なんやのこれ!」
そう叫ぶと二人は、その場から逃げて行った。そして草むらの中から現れる真海。
「えっ。へへへへへ。俺のせがれを松茸と間違えやがった」
初っ端からから下ネタかい。

その真海の元に渡世人風の小池朝雄が現れて、自分は賭場のいざこざで人を殺してしまい、これから自首するという。ついては息子である清一を柔術の道場を開いている自分の父のところへ連れて行ってくれと頼んできた。
父との別れを拒絶する清一。すると真海は、
「なあ。清坊。父ちゃんとおじちゃんと三人でかくれんぼしようや」
と言い、清坊が乗合馬車の停車場の裏で、
「もう。いいかい」
と言っている間に小池朝雄は馬車に乗って行ってしまった。

現在ではどうなのか知らない。
だが「極悪坊主」シリーズの舞台となっている大正期、河内では闘鶏が盛んであったようだ。人々はまさに祭りのパトスとばかりに、軍鶏が戦い合う様子に熱狂する。
岸和田のだんじり祭りを引き合いに出すまでもなく、河内人の気質として熱狂という人間の本能と直結する回路が、その遺伝子に組み込まれていることは確かなようだ。

その闘鶏に熱狂しているのが、名前は知らないが、この時期の東映映画によく出てくる男。顔がすっぽんに似ているので、ここでは仮にすっぽんと呼ぶことにしよう。そして、その妻が春川ますみ。なぜかこの人がスクリーンに登場すると、明るさのようなものを感じる。その明るさとはすべてを包み込む母性に通じるものがある。がゆえに、こののち彼女はやはり東映映画「トラック野郎」シリーズにて〝かあちゃん〟としての当たり役を掴むことになるのだが、ここでは恐妻といった感じで、すっぽんに対して絶えず、
「この婿が」
とか、
「婿のくせに」
と高圧的な態度で迫る。

そんな誰もが我を忘れる闘鶏の会場に、辺りを仕切る鉄板的悪役と言ったらこの人、安部徹が組長の郷田組の連中が現れ、闘鶏を妨害。闘鶏を続けたいんだったら権利を郷田組に渡せと無理難題を言ってくる。

ここ河内の地では闘鶏にて集まった金でインフラ整備などをしているようで、会場には市長などの〝お偉いさん〟も同席していて、それなりの利権が生まれ、郷田組はそれを狙っているのだ。

市長たちはこの事態に、小池朝雄の父である柔術家、岩井になんとかしてほしいと懇願に赴いた。
最初はゴロツキたちと渡り合うために柔術はあるのではないと、断っていた岩井だが、
「わしも郷田のやり方には反対なんじゃ」
と意を決したのであった。

その岩井の道場に小池朝雄の子供、つまり岩井から見れば孫を連れた真海がやってきて、この子を受け取ってほしいと言うのだが、岩井は小池朝雄は勘当した息子。わしには関係ないと突っぱねる。
「そんなこと言ったって、この清坊には何にも関係ないことじゃねえかよ!孫の顔見てかわいいとは思わねえのかよ!」
と真海は鼻息を荒くするが、岩井は取り合おうとしない。

もう頭来ちゃった真海は道場で門弟がいる中、岩井と対決するのだが腕に覚えのある真海をしても彼を倒すことはできなかった。
「も、もういいよ!この石頭!清坊は俺が預かっておくからな!」
そう言って真海は清坊を連れて道場をあとにしようとしたが、一人の弟子が、
「先生には先生の苦しい立場があるのです。折を見てわたしからも話をしますから」
と真海を慰めた。

ちなみにここで岩井が行なっている格闘技を柔道ではなく、柔術と称していることにも注目したい。

岩井に勝てなかったり、話を聞いてもらえなかった真海はもうクサクサしちゃって、つい郷田組のスカウトに乗り、組にわらじを脱ぐことになった。
真海が郷田の家の一室にいると、襖からいきなり槍が飛び込んできた。持っていた数珠でそれをかわす真海。
「ふっ。悪く思わねえでくれよ。あんたの腕を試したまでさ」
「下手な冗談はよさねえかい」
「岩井やるのに、あんたの手を貸してもらおうと思ってよ」
「あの頑固親父か。ちょうど頭にきていたところなんでえ」

郷田組にはモンスターみたいなやつらが揃っていた。
槍の使い手である天津敏をはじめとして、顔にケロイドのあるナイフ使いの志賀勝。さらに片腕が義手で、その先が金属になっている関山耕司。オシにツンボである関取の団巌まで揃えていた。

岩井は闘鶏場をこれ以上荒らすんじゃないと郷田に抗議しにきたが、それに対し真海は件の弟子に、
「明るいばかりが夜道じゃないぜ。岩井を一人で歩かさねえこったな」
と凄みをきかせて言った。

その直近の夜。
岩井や弟子、市長たちが夜道を歩いていると例のモンスターたちが現れ岩井を襲撃した。
槍を振り回す天津敏にナイフを投げる志賀勝。義手の関山耕司の繰り出すパンチは、塀を突き破った。それでも柔術の達人、岩井は倒されることはなかったが、土手の上でその岩井に銃口を向ける者があった。
やり方が汚ねえってんで真海はそいつをぶちのめし、銃弾は夜空に向かって放たれた。

しかし、てめえ裏切りやがったなということになった真海は、郷田組から追われる身に。
そして真海が逃げ込んだのが尼寺であった。郷田組の連中は確かにここに真海が逃げ込んだはずだと尼たちに迫ったが、尼たちは、
「ここは男子禁制の尼寺。そのようなことは決してありません」
と公言したが、その頃真海といえば尼に扮した橘ますみの体をいただこうとしているという、それでこそ飲む、打つ、買うの三拍子揃った極悪坊主の真骨頂というシーンを体現していた。

またしても橘ますみである。
前作『極悪坊主』では薄幸な女郎役で出演していたが、今作においては尼での出演。しかも頭完全につるっぱげな状態のかつらを着けさせられての出演である。橘ますみという女優は悲運な人だったのだろうか。
60年代の邦画界では根強く尼映画が作られていた。例えば大映なら若尾文子が主演した『処女が見た』や、東映なら藤純子が主演した『尼寺(秘)物語』などがある。
しかし、それらの作品においては若尾文子も藤純子もつるっぱげの頭を見せるということはなく、尼がよく被るであろう頭巾で頭を隠していた。だが橘ますみの場合はつるっぱげだ。それが女優の格の違いというものなのだろうか。

橘ますみについてはひとくさりもふたくさりも書いてはみたいところである。
68年当時、彼女は東映の中においてホープと目されていたことは間違いない。その可憐な容姿と相まって、普通にしていればそれなりに見られる人である。
だが半世紀前の映画界の常識と現在の常識は、かなり異なっていたようで翌年から始まる石井輝男監督の手による異常性愛路線に彼女は〝ホープ〟として抜擢された。
そこで彼女は湯船に頭を沈められたり、トイレの中まで愛人につきまとわれたり、火あぶりにされたりと散々な目に〝ホープ〟として遭わされた。
つるっぱげは序章に過ぎなかった。

真海からお医者さんごっこを施された橘ますみは、なぜか真海にぞっこん惚れてしまい、真海がすっぽんと春川ますみの営む娼館にいたらそこへ突然現れる。
その姿は尼のそれでなく普通の和装姿。しかも髪の毛も生えている。驚いた真海が逃げ出すと、橘ますみもそれを追って走り出すのだが、その拍子に被っていたかつらが取れ、またしてもつるっぱげの頭が露出するというコメディエンヌぶりも見せた。

とにかく68年から69年にかけて橘ますみが、東映映画に大いに貢献したことは間違いないと記しておこう。

サイドストーリー的要素になるのだが、岩井の弟子と郷田組にいる女中は惹かれ合う仲であった。その郷田組の事務所に府会議員の小松方正がやってくる。
「先生。今度の府会議員選、調子はどうでしょう」
「それがね。君。なかなか苦戦しているんじゃよ」
「先生。わたし今度、闘鶏連盟というものを考えまして」
「闘鶏連盟?」
「この河内で盛んな闘鶏を組織化しまして、その財力、組織力で河内を盛り上げていきたいんですよ。その暁には先生の選挙運動にも力を貸したいと思っていますので、どうか認可の方をよろしく」
「君もなかなかに狸だな」
そう郷田と小松方正が会話しているところに女中がお茶を持ってやってくる。その女中に対して小松方正がねばい視線を送ったのは言うまでもない。

シーン変わって小松方正の屋敷。
その一室では女中が怯えていたが、小松方正は、
「そんなに怯えることはないじゃないか。もっと近くに来なさい」
とうそぶいたが、女給の婆さんに、
「先生。大僧正様が見えてますよ」
と言われ、応接室に行ってみると、そこには金襴緞子のような立派な袈裟を着た真海と、それに随行している橘ますみが待っていた。
「先生。今回の選挙はだいぶ苦戦しているようで。わしの寺の檀家が一万、信徒で数えれば十万いる」
「いえ。二十万ですわ」
「そう。二十万。この組織票を先生に貸して差し上げてもよろしいのですがな」
「二十万の組織票!?」
「そう。だがそのためには条件がある」
そう言って真海は大立ち回りを演じることもなく、やすやすと女中を取り戻すことができた。

清坊の手を引いて真海は町を歩いていた。すると前方に見覚えのある男の姿を認め、真海は慄然とした。
「了達。おまえ生きていたのか・・・」
それは前作にて真海から脳天唐竹割を喰らい、さらに目潰しのとどめまで刺された菅原文太演じる僧、了達であった。
「俺は光を失って以来、無明地獄の中をさまよい、おまえとの決着をつけるために戻ってきたのだ」
「了達。待ってくれ。俺にはやらなきゃいけないことが」
「命が惜しくなったのか」
「そうじゃねえ」
「おじちゃん。この人誰なの」
「・・・真海。おまえの命この子供に預けておこう」

その了達は郷田組が真海と対立していると知り、組事務所に向かった。
郷田たちは例のごとく了達の腕を試そうとしたが、土間の吹き抜けの二階で了達を狙っていたナイフ使いの志賀勝は、了達の恐ろしい跳躍力を持った蹴りによって倒された。
さらに郷田が胸に抱いていた猫を了達は持っていた鞭で奪い、床に叩きつけて殺した。
「わ、分かった。お前さんのその腕で真海をやってくれればそれでいいんだよ」
ついでに記しておくと郷田は、
「河内を皮切りに関西一円を、この手中に入れるのよ」
と、その野望を語ったこともあった。

真海と自首をすると言って約束したはずの小池朝雄であったが、河内に舞い戻りさらに郷田組を訪れていた。
「組長さん。あっしは自首をしようと思っているんですよ」
「自首?そんなことはやめておきなせえ。あとのことはこの郷田に任せて、大船に乗ったつもりでいてくれりゃいいんですよ」
「でも・・・」
「あんた。旅の空で疲れてなさるんだ。おい。客人に風呂の用意をしろ。まあ。風呂でも浴びて旅のあかでも流してくださいよ」
「はあ」

この優柔不断な男を演じる小池朝雄がいい。
なにかこの人がこういう役を演じると悲哀さえ感じさせるものがある。真海と再会し、
「なんでったってあんた戻ってきたんだよ。約束が違うじゃねえかよ。俺はあんたとの約束を守ってきょうまで清坊を預かってきた。風邪の一つだってひかさなかったぜ。それをおめえって野郎は」
と詰問されてもなにも答えることはできなかった。そんな情けない男、それを小池朝雄は見事に体現している。

河内の地にまた闘鶏大会の日がやってきた。
籠の中に二羽の軍鶏を入れ、その軍鶏は闘争本能のままに相手を傷つけようと争い合う。それを観戦している人間にも当然、その闘争本能は伝わり、会場は興奮の坩堝と化してゆく。
ボディーヒートじゃなくてヒートアップしてゆく、すっぽんに春川ますみ。清坊を連れていた真海も我を忘れて軍鶏に声援を送る。
だがその隙を見て郷田組の子分は清坊を連れ去ってしまった。

小池朝雄はやがて郷田が自分の父を消そうとしていることに気づき始め、やはり警察に自首をすると言い始めた。すると郷田は手のひらを返したように高圧的になる。
「バカヤロウ。今おめえに出て行かれたんじゃ具合が悪いんでえ」
「てめえらの薄汚え魂胆は承知しているんだぞ!」
だが郷田のモンスター軍団の前ではなすすべがなく、さらにこれを見ろとばかりに郷田の子分は連れ去ってきた清坊にドスを突きつける。
これには小池朝雄も降参するしかなかった。
郷田は小池朝雄に岩井を夜、一人で一本松のところへ誘い出すように命じた。

闘鶏大会も終わり我に返った真海は、自分の傍に清坊がいないことに気づく。人々が三々ごご会場から後にするなか、真海は声を限りに清坊の名を呼び探したが見つからない。
そのまま浜辺にやってきた真海だったが、そこに待ち受けていたのは了達であった。

「真海。今度こそ勝負をつけるぞ」
「よし」
真海と了達はもともと同じ宗派の僧侶であったが、なぜかこの宗派、拳法が盛んで二人はその達人。寄せては返す波の音が響く浜辺で、突き、蹴り、関節、飛び蹴りの一進一退が続く。

その頃、すっぽんのもとには清坊が郷田一家にさらわれたという情報が入り、すっぽんは慌てて真海を探しに走り出した。

了達の蹴りが真海の腹に入り、真海は浜辺に崩れ落ちた。
すわっ真海ピンチかと思ったその時、すっぽんが現れ、
「真海さん!大変や!清坊が郷田組にさらわれたんやー!」
と叫んだ。了達は真海にトドメの一撃を見舞おうとしたが、すっぽんに真海さんをどうか助けてくださいと懇願され、思いとどまり、すっぽんと真海が足早に去って行くがままにした。

岩井の家の庭に生えている木の陰に隠れるようにして、小池朝雄は我が父の様子を伺っていたが、その瞳を潤ませて夜の闇の中に消えて行った。

人気のない一本松。
そこには岩井がやってくるのを待ち伏せして、銃を構えた郷田組の子分がいた。その銃口の先に人影が見えた時、引き金は引かれ、その人影は倒れたがそれは岩井ではなく小池朝雄だった。
現場に駆けつけた真海にすっぽん。真海の腕の中で小池朝雄は、
「俺も最後に親孝行がしたかったんだよ・・・」
と言うと事切れた。

岩井の家に運ばれた小池朝雄の亡骸。
「死んでしまえば誰でも仏さんよ。生きている時のいきさつは水に流して、息子さんを抱いてやりなせえ」
「ばかもの。こんな姿になってしまって。おまえは最後までばかものだった」
そう言うと岩井は小池朝雄の亡骸に泣きながら抱きついた。なにかを決したかのように部屋を出て行く真海。それは東映Kill Kill Timeの幕開けを告げるゴングが打ち鳴らされた瞬間でもあった。

郷田組に殴り込む真海。
その姿はもう上半身はだけちゃって、そこにはゴツく観音さんの刺青が入っている。そのゴツさは昨今のファッション・タトゥーなど比べ物にならないくらい。
それでもってここ前作からバージョンアップしているところなのだが、真海は拳法だけでなく、仕込みの杖をもっていて、その刃でもって郷田組の連中を斬っては捨ててゆく。

窮地に立たされた郷田組は、さらってきた清坊にドスを突きつけ、これを見やがれと真海に迫る。
真海の動きが止まったその瞬間、どこからか鞭が伸びてきて、そのまま清坊にドスを突きつけている子分を殺した。
「て、てめえ!裏切りやがったな!」
そこにいたのは了達だった。

もう真海と了達によって郷田組の構成員たちはめっためったに殺されていく。
槍を振り回していた天津敏は真海に両足を切られ、
「一生いざり乞食で生きな」
と言われた。義手の関山耕司は両腕を切られ、
「おめえはダルマになるんだよ」
と言われた。オシにツンボの関取、団巌は腕十字固めで腕の骨をへし折られた。ケロイドの志賀勝がなんと言われて絶命したのかは失念したが、このシーンで殺されたのは確か。

子分たちをほぼ皆殺しにされた安部徹扮する郷田は、
「ひゃーっ!ひゃーっ!」
と言って逃げ回ったが、真海から目潰しという特別なプレゼントを送られ、
「按摩でも覚えて生きるんだな」
と言われた。

そして真海は清坊をその腕に抱いた。その前に立ちふさがるかのように了達がいる。
「子供の前で争うことはできん。子供は仏だ。だがいつの日か勝負はつけるぞ。真海。行け」
「了達」

真海は清坊を岩井の家に連れて行った。
「清一。おじいちゃんが間違っていた。おじいちゃんを許してくれ」
岩井に抱きつく清坊。傘を被り旅姿になっている真海。
「清坊。おじいちゃんにうんとかわいがってもらうんだぜ」
「うん。おじちゃんはどこに行くの」
「おじちゃんはまた旅の空さ。じゃあな」

挿入歌であり若山富三郎が歌う「なむあみだぶつ」がディープに流れるなか、澄んだ空の下、すすきが生えているから季節は秋なのだろうか。街道を歩いて行く真海の姿に「終」の赤い文字が浮かび上がる。

こうして「極悪坊主」エピソード2は終わった。真海の旅と戦いはまだ続くのである。

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