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腕輪が去るまで

 吊革を掴むタツキの腕を、横の男性がじろじろと見ている。腕に描かれたトカゲの模様が『腕輪』ではないと分かったのか、しばらくして視線が前方に戻った。そのままタツキは満員電車に揺られて今日も出勤する。

 WITHコロナ、ニューノーマルとは感染前提で動く社会のことだ。
 週に一度の簡易検査で陽性となった者は、手首に感染者の印として黒い腕輪の模様を入れられる。経済活動の停滞を防ぐため、無症状の者は出勤の継続を推奨されていたが、模様が数週間で消えるまでは、夜の外食など仕事以外の行動が制限されていた。

 タツキの左手首には、半年前の腕輪の跡がうっすらと残っている。今はその跡を上書きするようにヘナタトゥーが施されていた。
 腕輪と同様三週間ほどで消えてしまうヘナは、都内の雑居ビルにある小さなスタジオでヤマネという人物が描いてくれたものだ。
 当初は跡を誤魔化すためだったが、いつしかタツキは腕に絵を描いてもらうことそのものを目的に通うようになっていた。自分の腕をカンバスにしてうつくしい絵を描いてもらう。その時だけ自分が意味のあるものを抱えているような錯覚を覚えるのだ。

 ある日検査帰りにスタジオへ行くと、施術中にヤマネが自分でもやってみないかと提案してくる。無理だと断るタツキの言葉など聞かず、ヤマネは手持ちの染料を一袋、無理やり押し付けてくる。
 人と話すのが億劫なタツキは、話好きで明るいヤマネが苦手だった。それでもヤマネの描くヘナの模様はうつくしかったので、指名し続けていた。自分で描いても意味がない。あのうつくしい絵が肌の上になければ駄目なのだ。そう伝えることもできず、タツキは押し付けられた染料を部屋の奥へとしまい込む。

 ある晩、スタジオからヤマネから感染したという知らせを受ける。無症状だが、店主の判断で腕輪が消えるまでは裏方に専念するのだそうだ。同時に、腕輪の周りに跳ねる鹿の絵が腕いっぱいに描かれているヘナの画像が送られてくる。ヤマネが退屈しのぎに自分の腕に描いたというその絵にタツキは見惚れる。

 数日後、店からヤマネの症状が悪化し、亡くなったとの知らせを受ける。
 知らせを受けたタツキは、そういえばこの病気は死ぬのだったなと、ぼんやりとした頭で思い出す。

 出社したタツキは上司から、ヘナタトゥーについて注意を受ける。どうやら同僚に告げ口されたらしい。刺青と混同する上司に説明をしながらも、タツキの頭の中ではヤマネとヘナと腕輪のことばかりが浮かんでいる。

家に帰ったタツキは、しまい込んでいた染料を出し、自分の腕にヘナを施す。手首に残る腕輪をなぞり、周りに跳ねる鹿を描く。ヤマネよりもはるかに下手だが、それでもやらねば気が済まない。その腕輪が消えるまでは、日常が知っている誰かを殺したことについて、考えるのを先送りにしたかった。ヤマネが居なくても自分の腕に意味を見出せると、自分を騙してみたかった。


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 2020年度ゲンロンSF創作講座初回の課題で、投稿しなかった方の梗概を貧乏性で載せておきます。大体1200文字弱です。

 ポコポコ感染しているし普通に人が死んでいるのにも関わらず、毎日満員電車で通勤し密密密の密! という感じの空間で仕事をしている今日この頃です。そんなちぐはぐな感じを出したかった。

 ウナギとコロナとで最後まで迷ったが、結局ウナギの方を投稿しました。因みに没にした案ではエコバッグからアンドロイドの生首が出てくるなんちゃってミステリも考えていました。

 よければウナギの方も見てやってください。他の方の梗概も面白いのでおすすめです…… 


<善吉/Baŋaditjan>


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