私は何に飢えていたか

私は何に飢えていたか?私には人と比べてしまう癖がある。その癖は自分を苦しめるものであったり、自分の力にするものでもあった。長渕剛さんのmyselfという曲がある。その詩の一部を抜粋すると、

「上を見ると負けたくなくて 悔しさと羨ましさを 隠して笑ってみせた。俺みたいな男はと 背中を丸めたら やけに青い空が邪魔くさく思えた。」

なんという表現だろう。若い頃、私は長渕剛さんの歌をよく聞いた。支えだった。しかし私も年を取るとそのままの自分を受け入れるようになった。私は四十代後半だ。これからの私に何ができるか、何ができないか。おおよそがわかってくる。未来は何が起こるかわからない。でも若い頃に描いていた自分にはなれないと知るようになる。年を取り、自分の年輪が深く、渋く生きる大人になれたらと思うが自分はそんな柄でもない。職場でも、友人関係でも、テニススクールでも、どこかずっこけてる中年だ。尊敬はされていないと思うが、いつのまにか仲間の輪に入っている中年である。

私は何でもできる男に憧れていた。旅行会社で添乗員をしていた頃は職場の先輩に憧れていた。人との振舞い方。尽きない話。お金の使い方。学生時代、ああいう大人になりたいと思っていた。オーストラリアを旅していた頃は世界をヨットで航海しているフランス人夫妻に憧れた。どこまでも自由で自分の人生を全うしている姿勢に憧れた。いつか私も世界を巡る旅に出られたらと夢を描いていた。

しかし私は統合失調症を発症してしまった。私は同じ当事者に憧れた人に出会わなかった。初めて私は誰かに憧れるという場を持たなかったのである。統合失調症を患った私にはロールモデルがいなかった。私は音楽を聴き、読書をし、映画を観、ひとりの時間を過ごした。

私はデイケアや作業所で当事者の仲間を作ろうとしなかった。いや作れなかったのかもしれない。本当は同じ当事者の仲間の友を私は欲しかったのかもしれない。同じように悩み、同じように苦しみ、同じようなことで喜ぶ、共感できる仲間が欲しかったのかもしれない。残念ながら私には共感できる仲間を持てなかった。

そして気がついたらいつの間にか私は自分の居場所を確保していた。職場や友人、テニススクールといった居場所を作っていた。健常者と何ら変わりない。そんな自分は今、市の自立支援協議会の当事者委員となって活動している。私はデイケアや、作業所にも通ったが、どこにも属していない、家でひきこもっていた日々がある。仲間がいない、ひとりぼっちの時間。私にはそんな人生の1ページがある。私はそんな過去の自分を救いたいと思って活動していこうと考えている。

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