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ユートピア 学生時代 大学時代 オーストラリア パースでの暮らし

僕は信州大学に入学して、長野県の松本市で一人暮らしを始めた。僕はなりゆきでユースホステルクラブに入部した。川崎市に住んでいた僕にとって松本市の一人暮らしは何もかもが初めてだった。先輩にいろいろな所に連れて行ってもらった。長野県内の名所、日帰り温泉。戸隠のサマーキャンプ。居酒屋。ユースホステル。野沢温泉のスキー合宿。授業がない暇な時はサークルボックスに立ち寄って、ボックスには誰かしらがいて、だべって時間を潰していた。僕にとっての居場所だった。夕方になれば定食屋に行き、誰かのアパートでうだうだと過ごした。

僕らが2年生になると後輩ができた。僕らは先輩がしてくれたように後輩をいろいろな所へ遊びに連れて行った。ピースフルな時代だった。ほとんどの学生が一人暮らしだった。みんな金はなかった。ただ時間だけはあった。僕にとっての信州大学の暮らしは思いやりのある人間関係だった。僕は思う。信州大学のユースホステルクラブのような場所が世の中に至る所にあれば、戦争は起きないだろうし、格差があっても、仲間内の小さい喧嘩はあったとしても、みんなで仲良く、楽しく暮らしていけるのではないかと思う。上記にUPしている写真が、ユースホステルクラブのボックスである。それさえあれば人が集まり、楽しく過ごせるのだ。別に豪華な場所が必要なわけではないのだ。

大学時代、僕はオーストラリアにワーキングホリデーに行った。詳しいことは「二十歳のころ」のマガジンに供述してある。時間がお手すきの時でも読んでもらえると嬉しい。

オーストラリアの旅を終えた僕はパースでフラットを見つけた。2週間で130ドル、安い物件の割に快適だった。僕は日本人の日本食屋でアルバイトしているワーホリと一緒に住みフラットをシェアした。シェアメイトと僕はVBのビールを1カートン買い込み、毎晩飲んだ。

僕はシティを散歩しているときにケンブリッジインターナショナルという語学学校を見つけ、パートタイムで3週間通い、友達を作った。語学学校に通うことで生活にリズムをつくりたかったのだ。旅の暮らしから、生活の暮らしに切り替えた。週末になると語学学校で知り合った友達と、遊び回った。語学学校が終わると僕はマンタのボディーボードとビラボーンのスプリングのウエットスーツを買い、スカーボラビーチにバスで通った。週3のペースで通った。一人で海に入るのは怖いかなと思っていたが、周囲に何人かのオージーが同じようにボディーボードをやっていたので安心した。そして顔見知りになった。街中で彼らに会うと、「今日は波どうだった?」と会話することもあった。
スカーボラビーチのマクドナルドとフィッシュ&チップス屋でよく昼食を食べたものだ。馴染みの店だった。店員さんにも顔を覚えられ、挨拶をする程度にはなった。オーストラリアのパースでビーチライフを3ヶ月ほどのんびり過ごした。僕はオーストラリアで金のかかった贅沢はできなかったけれど、オージーが大事にしている生活を楽しむ贅沢はできいたんではないかと考えている。

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