63.偽神・天皇制は武則天の呆れた詐欺を学んだもの【後編】
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これの続きというか多くは重複しています。ワシは中国から調べて、日本に良い情報のあるじゃんと凹んだのがこの引用Blog。しかし天皇の神道の正体、道教を自身で調べたい人にはコチラに役に立つと思う情報があります。こーゆーのは後から効いてくる。
靖国神社は招魂神社。これは道教の術を悪いことに使った。この話は有名だが、招魂社は“社”の文字があっても“神社”ではありません。などとと世間は言うが、皆が求めている神道という宗教は実はなく、実態がある神道は国家神道しかないんだ・・・(;´Д`)
神道という言葉はなかったようだ、仏教と区別するために日本書紀で作られた言葉みたいで、それ以前がないんだ。神は居るよ、八百万の神や七福神。
恵比寿、大黒天、弁財天、そして龍を天皇や坊主が憎んでいるのは確認済み。
では本題
皇祖神・天照大御神は神ではなく武則天!
⭕️確かに侵略者「天皇・朝廷」からしたら神である!(;´Д`)
武皇后は高宗に代わり、垂簾政治を行った。垂簾政治とは皇帝が幼い場合、皇后・皇太后のような女性が代わって摂政政治を行うこと。
660年、新羅の請願を容れ百済討伐の軍を起こし、百済を滅ぼした。倭国(日本)・旧百済連合軍と劉仁軌率いる唐軍が戦った白江口の戦い(白村江の戦い)にも勝利し、その5年後には孤立化した高句麗を滅ぼした(唐の高句麗出兵)
この『白村江の戦い』の騒ぎの元はお前なのか〜〜武則天!(;´Д`)
唐の宗室の挙兵を打ち破った後、武后は女帝出現を暗示する預言書、仏典中の『大雲経』に仮託して創作された偽経典を全土に流布させ、また周代に存在したとされる「明堂」(聖天子がここで政治を行った)を宮城内に建造させ、権威の強化を謀り、帝位”簒奪”の準備を行った。
⭕️仮託・創作・偽経典・全土に流布=古事記・日本書紀、日本神話。
⭕️簒奪の例=大化の改新
⭕️ワシ定義『日本の天皇とは、本来は神のワケがない者が神の地位を奪取すること。』類義語=偽神。
帝室を老子の末裔と称し「道先仏後」だった唐王朝と異なり、武則天は仏教を重んじ、朝廷での席次を「仏先道後」に改めた。諸寺の造営、寄進を盛んに行った他、自らを弥勒菩薩の生まれ変わりと称し、このことを記したとする『大雲経』を創り、これを納める「大雲経寺」を全国の各州に造らせた。
⭕️天皇『自らを最高神の子孫とし、このことを記したとする『古事記・日本書紀』を創り、これを広める「神社」を全国に造らせた。』
手口は同じ・・・_| ̄|○III
日本のウィキは情報が少なく、お約束の中国に飛ぶ
更多信息:大周万国颂德天枢
翌年(690年)7月、僧法明らは『大雲経』4巻を著し、武皇后は弥勒菩薩の化身であり、天下(世界)の主人となるべき存在であるとした。 武皇后は、両国の首都にそれぞれ大雲経を納める寺院の設立を命じ、僧侶にその解説を命じ、仏教の地位を道教よりも高くしたのである。
同年9月、勅使の傅有義が関中の900人を率いて、国号を周と改め、皇帝に武姓を与えるよう請願書を提出しました。その後、6万人以上の官吏、皇室の親族、民衆、四夷の長、巫女、道教の僧侶も国号変更の嘆願書を提出した。 武皇后はこの要求を認め、唐から周に改名した。
彼女は神都の則天門に即位して、改元して天授とし、神皇帝(聖なる神の皇帝)と号し、叡宗を皇嗣とし、武氏の姓を賜り、皇太子を皇孫とした。
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