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ジャマイカ歴史古代から〜現代まで 【大麻解禁・禁止!!⓷】 痴呆化宗教ラスタファリズム!】

今回のnoteは無料で全部読めます。殆ど日本語で検索すれば出てくる情報です。でも、膨大に調べて日数かかっているので投げ銭お願いしますm(_ _)m
ジャマイカの歴史の粗筋みたいな記事なので18900文字オーバー!(;´Д`) 歴史を時系列で考えて欲しいのでした・・。

ロックで社会史を考える会のこのページが分かりやすく詳しい。ありがたかったので飾っておく。他のも文の横にリンク付けておきました。でも総てこのラスタファリズムの歴史を肯定しているし内容も基本同じ。検索すれば山ほどラスタファリズムの歴史は日本語で読めますが、肯定の美談です。ひとつだけ、投資家のサイトでマーカス・ガーヴェイはイカサマ師という意見があった。

世間の大麻解禁/大麻危険ドラッグの議論はジャンル違い。これは痴呆になる草であり、また宗教 ・ユダヤ問題です。ラスタファリズムはとてもじゃないけど肯定出来ません!

強烈なスピの頭になる。こんな重症は見たことがない!一見は普通の人に見える痴呆になる。IQ50でもコンビニ・牛めし屋の店員には問題がないが、奴隷からは完全に抜け出れなくなる可能性は、カルト宗教・スピ以上!

ジャマイカ超古代

証拠は少ないが、ジャマイカにはチボニー(Ciboneys)、ロック・ドウェラー(洞穴住居者)といった人々がすでにジャマイカに存在。

彼らは紀元前700年頃または、6~11世紀に南アメリカ、現在のオリノコ川流域から北上して移住してきたタイノ人(カリブ海諸国に移り住んだアラワク人の呼称)よって召使として共存していたとされる。

現在のフランス領ギアナとの説もあるけど、オリノコ川の河口付近と言っても良い位置なので同じと言って良いだろう。

ネット徘徊してタイノ人ことアラワク・インディアンの移住の年月を2つ見つけた。どエラい差がある。どちらが正しいのかはワシにはわからない(;´Д`)

ジャマイカは南アメリカととても近い。

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ジャマイカ国名

先住民だったアラワク・インディアンの言葉Xaymaca(ザイマカ)にちなむ。この言葉は、木と水の地あるいは泉の地を意味する。当初スペイン植民地となった際にスペイン語でJamaica(ハマイカ)と綴られ、後にイギリス植民地になると綴りは変えられずに読みだけが英語読みになり、ジャメイカと呼ばれるようになった。

1494年5月4日にスペインの探検家コロンブスがハマイカに上陸。船の修理を行う間の1年間をオーチョ・リオス近郊で過ごした。1494年当時この土地で生活をしていたアラワク人は、とてもやさしく温厚で気さくだったと述べている。

彼等の生活の特徴は喫煙習慣で、“タバコ”という言葉は彼らの喫煙具(パイプ)に由来することで有名だが、彼等は多くの綿花を栽培し、現在流通しているハンモックを発明・使用していたとされる。

木と水の地あるいは泉の地、ハンモック、平和な南国の世界だったようだ。

コロンブスの報告に触発されたスペイン人が、1509年に植民活動を開始。サトウキビのプランテーションを設置して、原住民のアラワク・インディアンを奴隷として容赦なく酷使。彼らの持ち込んだ疫病のために50年も経たないうちにアラワク・インディアンは絶滅。そこでスペイン人たちは大量の黒人を南アフリカから連れ込んで奴隷として働かせる。彼ら南アフリカ系の黒人が現在のジャマイカ人の90%以上の人々のルーツとなった。

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コイツはマヤ・インカ帝国と同じことしたのね(-_-;)


今度はイギリスがジャマイカにやって来る。スペインは負けてイギリスの植民地へ

1620年に始まったイギリスによる西インド諸島征服の試み。スペイン人は、ジャマイカの奪回に向けて攻撃を断続的に繰り返したが、1670 年のマドリッド条約によりイギリス国領となることが確定。

そして、イギリスの植民地では、国王から特許を受けた商人が代理人である総督を任命し、自らは本国に留まって植民地経営にあたるシステムになった。

ジャマイカの人たちの気持ちは何も関係がない・・・(;´Д`)


戦い、マルーン(Maroon)

英国がジャマイカを占領した頃から、マルーン(Maroon)と呼ばれる逃亡奴隷による反乱が頻発。彼らは山中に集落を形成し、指導者の下で自給自足の生活を営みな がら、植民地政府、本国から派遣された英国軍と激しい戦闘を繰り返した。

その中でも有名どころの英雄の女性グラニー・ナニー

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グラニー・ナニー(1686年 - 1733年)は、ジャマイカのマルーンの有名なリーダーで、英雄視されている人物。反乱の指導者として、彼女はいくつかの戦いでイギリス陸軍への勝利に貢献した。リンク

グラニ・ナニーはもともと西アフリカのガーナで、アシャンティの一員として生まれて、奴隷としてジャマイカに連れられてきたと言われるようだが、奴隷の反逆者を支援するために、彼女の部下によって意図的に送られてきたとする報告もある。到着した時、ジャマイカはすでに奴隷の反乱のまっただ中にあった。最大で、最も組織化された反乱集団が、非常によく防御されたマルーンたちの集団。

グラニー・ナニーはジャマイカ人の民族的誇りで、現在の500ジャマイカ・ドルには彼女の肖像画が印刷されている。


形だけの奴隷制終結

英領西インド諸島での奴隷解放運動の高まりにより、ジャマイカでの奴隷制は1834年に終結。そのため、文書の上ではかつての奴隷達も選挙権を得ている。しかし、ほとんどの黒人はいまだに極貧の生活をしており、高額の投票費用によって事実上参政権から締め出され、選挙権を持つのは、ほんの少数の白人のみ。

ジャマイカ独立

ジャマイカは1962年8月にイギリスから正式に独立する。8月31日にはウィリアムズ博士の指導の下でトリニダード・トバゴも独立し、ジャマイカは292年間の英国支配を脱し、カリブ海英領植民地の中で最初に独立を達成した。

ジャマイカ事件

ジャマイカ事件は、1865年10月11日、ポール・ボーグルの抗議活動の群集のモラント・ベイ市へとの行進からはじまる。彼らは裁判所へ到着して少数の白人自警団と遭遇し、自警団は恐慌状態になって群集に砲火を開いた。抗議する群集のうち7人の命が奪われ、黒人たちは暴動を起こし、白人の官吏と自警団員を含む18人の命を奪い市街を制圧した。

白人ジャマイカ総督エドワード・エアは武装に乏しい反乱軍を追い詰め、ポール・ボーグルを裁判にかけるために政府軍を派遣した。軍隊は組織的な抵抗に遭遇しなかったが、そのうちの多くは暴動や反乱に関与していなかった黒人まで無差別に虐殺。ある兵士の証言によると、「我々は我々の前にいるすべてを殺戮していった・・男であれ女であれ、子供であれ」。

最終的に、439人の黒人ジャマイカ人が直接兵士達に殺害され、ボーグルを含む354人が逮捕され、その後処刑。その中には公正な裁判によらないものも含まれ、その他の懲罰処置には600人の妊婦を含む、黒人男女への鞭打ち刑と、長期にわたる収監が含まれていた。


英本土での影響

反乱とその鎮圧に関する報道が英国に到達し、エア総督の処置の是非の激越な議論が起きた。総督エアが1866年英国に帰国。支持者たちはエア主催の晩餐会を開催。一方でエアの反対者(左派知識人)は、彼を虐殺者として弾劾する抗議集会を開催した。反対者たちはジャマイカ委員会を設立し、エアをそこに召喚して反乱の鎮圧に行き過ぎがあったことを証明しようとしたが、結局、エアは殺人容疑で2度起訴されたが、それ以上にことは進行しなかった。

この暴動とその影響はジャマイカ史における主要なターニング・ポイントとなっただけでなく、現在でもこの暴動は議論の的となっており、黒人や植民地研究の専門家によってしばしば言及されている。

思いっきり端折るが、現在まで続く人民国家党(PNP)ジャマイカ労働党(JLP)が出来る大きなキッカケになっている。結局、イギリス世論も有るしジャマイカの黒人の反対運動も手強いので、なだめ誤魔化すための民主主義の形をした植民地支配に移行したのでは・・?リンク

PNPとJLPは殺し合いの抗争までしていることはしているが・・。

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ボブマーレはイギリスが与えた民主主義の”宣伝”左翼しているとしか思えん・・・たぶん工作員ではなく本当に利用価値のある左翼頭のトロイ平和主義のバカなんだと思う。そして、彼がそのようなったのは憎む親父のユダヤ人の血と大麻のせいじゃないのか?世間の記事のように、たまたまライブ会場に2人が居て仲直りのイベントするわけがないだろう〜〜!(汗)

そしてイギリスは、ラスタファリアンという新興宗教を与えたのではと勘ぐってしまうワシ。このラスタファリズムというのは調べるほど大変ヤバい宗教なんです!(;´Д`)


戦うスピリット・伝説の悪のヒーロー、アイバンホー・マーティン

60年代や70年代のレゲエ・シンガーたちに関して、何ひとつ事前情報がなかったことだ。彼らの殆どはレコード会社との契約もきちんと交わしておらず、自主レーベルを運営する現地のプロデューサーたちを渡り歩き、レコードを作っては僅かばかりのギャラをもらっているだけだった。

●ボブマーレにはユダヤ人のプロモーターがいます、彼が世界的に売り出した。
●Bob Marley & The Wailersでなく、単にThe Wailersと名乗っていた頃の1977年セカンド・アルバム「Burnin'」に収録されていた曲、“I SHOT THE SHERIFF時代は警官を告発する歌を歌っていた。エリック・クラプトンがカバーした有名な曲。

この映画ハーダー・ゼイ・カムには元になる人物がいる。伝説の悪のヒーロー、アイバンホー・マーティン(Ivanhoe Martin)

でも話によると、彼は悪党ではなく当たり前のことに戦った者だ。絶対搾取者に服従しないと心に決めたように思える。

24歳にして、そしてジャマイカの言葉で、熱い/悪い(hot/bad)を意味する‘ライギン’として名を馳せるようになった。

1938年12月12日、傷害罪でキングトン治安裁判所 に出廷、有罪判決を言い渡され鞭打ち12回の刑を受けた。

1940年2月27日、再び傷害罪で2回目の有罪判決を言い渡され、 彼は30日間の拘置所生活を強いられる代償に20シブリングの罰金を支払い釈放された。

1943年12月12日再び強盗で逮捕され、刑務所で 6ヶ月間の厳しい強制労働を強いられた。釈放された後、3年間は警察の世話にならなかったが、それは彼が更正の道を歩んでいることを意味するのではなく、ルード・ボーイとしてのスキルを磨いていたと言われる。

1946年2月6日、またも強盗と窃盗罪で有罪判決を言い渡され、懲役2年を受刑することになるが、銃の不法所持で懲役2年に半年が加算された。さらに1946年7月30日、別件の強盗罪で5年の懲役を言い渡され、 結果的に7年の懲役を受刑すること。

1948年4月30日、ライギンは長期の懲役から逃れるために刑務所から脱獄した、ここから彼の伝説が始まる。

彼は脱獄後、警察との銃撃戦を交わしながら強盗を犯し生活を送っていた。銃撃戦を交わしながら彼は決死の覚悟で海外へ高飛びするため空港にたどり着くが、そこでも警察に阻止されてしまう。警察は1948年9月9日追っているライギンマーティンをやっとの思いで捉えようとしていたが、問題解決に近づけたのは彼ら自身の捜査ではなく、(多分彼によって)提供された情報によってだった。

ライギンの死体がハンツ・ベイで見つかったという噂が町中を駆け巡っ た・・グリーナー紙は9月10日の新聞で、「死体発見の報告を受けた」 捜査官とCID指紋捜査のエキスパートは事件現場に急ぎ、指紋を採取、アイバン・マーティンの物と比べたが、警察とボランティアの自警団員たちが追っている男ではなかった・・。

身長など体の特徴は一致したものの、発見された遺体は警察が切実に望んでいた「ライギンの死体ではなかった」と報じた。

逃走中、ライギンが何をしていたのか細かいこ とは不明。彼は手紙を書いていたのは内容から事実で、メディアを利用して彼自身の話を伝えようとした。

9月12日、キングストンに構えるグリーナー紙の事務所に送られて来たこの手紙をこの新聞社は一部だけ公開した。

この手紙にはマーティンを裏切り、警察に密告したEric "Mosspan" Goldson、捜査官のScott Selvin Maxwell、そして彼の写真を警察に提供した写真家のBrownに対するの冷酷な警告が書き綴られていた。そして、手紙の内容は脱獄について語られている・・。

この手紙は事件の詳細が記されていたことから、ほとんどが公表されなかった。事件の報道は10月まで続けられ、警察はこの手紙を使い追跡捜査を続けたが、事件は時間の経過と共に人々の記憶から遠ざかる・・・。

後に明らかにさたが、9月9日マーティンは脱獄後に警察によって受けた銃撃の傷によって死亡、ハンツ・ベイ で見つかった死体は彼だったとされている。

しかし、これが事実なのかも詳細は公表されていない。アイバンホー‘ライギン’マーティンは伝説的なオリジナル・ルード・ボーイとして人々の支持と名声を得たのだった。

こうして今もルード・ボーイ映画の金字塔 「ハーダー・ゼイ・カム」でモデルとなったアイバンホー・マーティ ンは伝説として生き続けている。

ここまでは、戦う者は出たようだし、ジャマイカの黒人大衆も拍手喝采だったわけだ。

ポイント
●警察は支配側の犬。従順ではなく反逆する奴隷を罰するためにある。
●メディアは新聞社は一部だけしか手紙を公開せず。ライギン本人の話は伝えない。解決するための情報は与えない・・・。
●結局、ゴイムには情報は与えない・・。


ガンジャ=マリファナ=大麻

20世紀の後半に大規模な製糖業が行われたが、労働力不足のためインド人(印僑)や中国人(多くは客家人)の季節労働者がジャマイカに集まった。このインド人がガンジャの種を持ち込んだとされる。もとよりインドで大麻のことをガンジャと呼ぶ


ラスタファリ運動の誕生マーカス・ガーヴェイ

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エチオピアニズムを基本とするラスタファリの運動マーカス・ガーヴェイから始まった。

ガーヴェイは1887年ボブ・マーリーが生まれたのと同じセント・アンの地で生を受けた。14歳でキングストンへ出て、ジャーナリズムを志したガーヴェイはロンドンに渡った時にアフリカの本当の歴史を知り、その後黒人民族自決運動に力を注いでいった。

彼は説教活動を続けていく中で色々と予言めいた発言をした。1960年までに新世界の黒人全員がアフリカに帰還すると言ったりもした。その中でも最も有名な予言は1927年に放った予言。

「アフリカを見よ、今に黒人が王座につくだろう。その時こそ解放の時だ」そして、1930年に黒人が皇帝の座に本当についた。

1930年、エチオピア皇帝にハイレ・セラシエ1世が戴冠したときに、マーカス・ガーベイの予言が的中したと考えられ、多くのジャマイカ人セラシエ1世メシアととして崇めていくことになる。この運動は揺るぎ無いものとり今まで続く・・。

ラスタファリ運動では、マーカス・ガーベイ予言者と位置づけ、ヨハネの生まれ変わりであると信じられている(;´Д`)


反対意見。マーカス・ガーヴェイは預言者であり、詐欺師

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マーカス・ガーヴェイは預言者であり、詐欺師だった。すくなくとも、異常な事業欲にとりつかれていたことはまちがいない。

1919年に「商業と産業を通じて世界の黒人をひとつにまとめる」ためにブラック・スター・ラインという船会社を設立したガーヴェイは、株主を黒人だけに限定し、黒人の誇りと救済を信じる信者たちに1株5ドルで株券を売って莫大な金をかき集めた。政府やニューヨーク当局の圧力にもかかわらず、1隻の古い綿花運搬船を購入し、1920年にニューヨークとジャマイカの交易を開始した。

そのメッセージはケニアに伝わり、独立運動の主導者で初代首相にもなったジョモ・ケニヤッタのような若者の心を強く打った。「いつの日かアフリカをアフリカ人の手に取り戻そう」という民族主義運動は、ガーヴェイの教えから生まれた。

30代半ばにしてガーヴェイは、アメリカでもっとも力をもち、もっとも恐れられる黒人となった。1922年にはルイジアナのクー・クラックス・クラン(KKK)の幹部と面会し、アフリカ帰還の援助を求めてもいる。アメリカを白人だけの共和国にしようとするKKKと、アメリカ黒人をアフリカに帰還させようとするUNIAは、政治的立場はまったく逆でも利害関係が一致していたのだ。

KKKも斜め上の歴史がある。良くはないのだろうが、よく知られている話とはまた違うようだ・・。

だが翌年、ずさんな経営によってブラック・スター・ラインが倒産すると、ガーヴェイは郵便詐欺と脱税で裁判にかけられてしまう。1925年に有罪を宣告されて連邦刑務所に送られたが、27年、大統領恩赦で刑期の短縮と引き換えにパナマに追放されることになった。

こうしてふたたびジャマイカに戻ったガーヴェイは故国でUNIAを復興し、布教活動を再開する。アメリカ黒人への影響力は失ったものの、説教壇から「1960年までにアフリカ帰還を達成し、黒人の新国家が誕生するであろう」と予言するガーヴェイにジャマイカの黒人たちは熱狂

ジャマイカのイギリス植民地政府がこうした黒人ナショナリズムを好むはずもなく、ガーヴェイは徐々に活動を制限され、最後にはイギリスに追放されて1940年、アフリカの土を一度も踏むことなく53歳で肺炎のため他界した。

ラスタの世界観では、白人世界に奴隷として売られてきた黒人はバビロンに虜囚されたかつてのイスラエル部族と同じ。バビロンは植民地主義と白人文明のことで、悪の象徴とされた。迷えるイスラエルの民がいつかシオン(エルサレム)の地に帰り着くように、ラスタも自分たちのシオンであるアフリカに帰還するのだ・・・と、現在まで騙され中〜〜。

ラスタマンは自分たちを奴隷にしているのはユダヤ人。イスラエルの部族とは気づけ無い・・旧約聖書が聖典なのに気づけ無い・・・(;´Д`)


マーカス・ガーヴェイと強く対立する、W・E・B・デュボイス

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ユダヤ人顔に見えるW・E・B・デュボイス

1920年代後半には、デュボイスはガーベイのことを、「精神異常者か反逆者」と呼ぶほどに敵意をむき出しにするようになった。後にガーベイはデュボイスを起訴するのだが、このことは、ガーベイと全国有色人向上協会(NAACP)との相容れない関係に通じた。それでもなお、デュボイスは汎アフリカ主義の有力な支持者であった。リンク

W・E・B・デュボイスは 1959年にこともあろうか国際レーニン平和賞を受賞している。ソビエト連邦がノーベル平和賞に対抗して創設した賞。主に著名な共産主義者や外国のソ連支持者に対して贈られた。もとは国際スターリン平和賞であった・・・(;´Д`) リンク

デュボイスのウィキペディアを読む分には黒人に勉強出来る機会を与えろなので良いのだが、なにせ、トンデモナイ名前の章を獲っており疑ってしまう。他の受賞者も知っている名前のヤバいのいるし。

というわけで、この予言事件はまだ判断できない・・・


ラスタファリアンの神&救世主・ハイレ・セラシエ1世

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エチオピア南部のショア地方の貴族の子として生まれる。血縁上はアドワの戦いで名を馳せた英雄メネリク2世の従兄弟の子にあたり、古代イスラエルの”ソロモン王”と”シバの女王”の間に生まれたメネリク1世の子孫であることを主張した。

・・・これが簡単に冗談、嘘とは言えなくて・・・(;´Д`)

ハイレ・セラシエ1世自身はエチオピア正教徒であったが、ジャマイカを中心とする黒人運動であるラスタファリ運動においては神ヤハウェ(ジャー)の化身であり、地上における三位一体の一部であると信じられている。

上の話の、汎アフリカ主義運動家、マーカス・ガーヴィーが「黒人の王が即位する時のアフリカを見よ。その人こそ救世主となるだろう。」と予言したため、その3年後に即位したハイレ・セラシエ1世は南北アメリカ大陸の黒人達から、アフリカ大陸を統一し、離散した黒人のアフリカ帰還を告げる救世主として崇められるようになった。ハイレ・セラシエ1世は即位前の名をラス・タファリ・マッコウネンと言い、この名前を取って崇拝者たちのことをラスタファリアンと呼ぶ。レゲエのボブ・マーリーを始めとしたジャマイカの音楽家にはラスタファリアンも多かった。

1966年にハイレ・セラシエ1世がジャマイカを訪れたときには民衆の熱狂的な歓迎を受け、皇帝自身が動揺するほどだった。

エチオピア南部の街シャシャマネのマルカウォディャ地区には、皇帝からその地を与えられたジャマイカ移民約200人が、エチオピア人のラスタファリアンと共に住んでいる。

1974年には皇帝自身による不正が発覚するなど、国内におけるカリスマ性は地に堕ち、同年2月には軍が反乱を起こし、帝政打倒の声が高まった。陸軍のクーデターにより逮捕・廃位され、拘禁中の1975年に暗殺。

暗殺、なんでだろうね、まだ調べられていない。

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TIMEでヨイショされている。この表紙の写真がモロユダヤ人なので気になりだしたのだ・・ラスタファリアンとは新興宗教とわかった・・・(-_-;)


ラスタファリアンの頭の中、陰謀家も連呼する「バビロン・システム」

英国国王とジャマイカ政府はこの運動を危険視し、指導者達を次々と逮捕していった。彼らは政府を権力や罪悪が集まった場所やものの象徴として「バビロン」と呼び、常に政府と戦っていた。ちなみに「バビロン」の反対の言葉として、「ザイオン」という言葉がある。「ザイオン」とは、黒人が解放される約束の地を指す。

「ザイオン」(シオン/ユダヤ)が支配側で「バビロン」が開放側なのに無知は可哀想・・アベコベの活動となっている・・・(;´Д`)


教義

1. ハイレ・セラシエは生き神様である
2. 黒人は”古代イスラエル人の化身”であり、白人の手により、現在ジャマイカで異郷生活を送っている。
3. 白人は黒人より劣る。
4. ジャマイカの状況は光りなき地獄である。エチオピアは天国である。
5. エチオピアの皇帝は、現在国外にいるアフリカ起源の人々が”エチオピアに帰還”するための準備をされている。
6. 近い将来、黒人が世界を統治する。

以上の6項目がラスタファリ運動の基本となる考え。


ナイヤビンギ

ラスタファリアン独自の敵の政府と権力の象徴「バビロン」との戦い。『ナイヤビンギ!』

ラスタファリアンはさまざまな集会や会合を持つ。その中でも、「ナイヤビンギ」と呼ばれる集会が最も重要なもの。通常は週に一回ならびに月一回の集会がもたれる。島のいたるところで一日から3日時には1週間続くこともある。ダンスやガンジャの吸引、食事、訓戒、祈り、音楽、霊感、社交、討論といった、ラスタファリアンたちにとって重要なことがらをする集いの場である。集会は祈りによって始まり、祈りによって終わる。まず始めに至高の存在「ラス・タファリ」への礼拝、そして飢える者、病める者、幼き者、そして敵の破滅への”祈願”が続く。最後に”礼拝で終わり”となる。

全部、総て!支配からの脱出とは関係がない・・・(;´Д`)


ガンジャについて

ラスタファリアニズムにとってガンジャは初期の段階から宗教儀礼として礼拝と瞑想の儀式に欠かせない

ラスタファリアンの出現以前には、土地の薬草医によって民間療法として用いられ、お茶や、パイプ用調合タバコとして使われた。しかし、ラスタファリアンの出現以後、ガンジャは宗教上神聖なものとなった。ガンジャの吸引は宗教上の意味づけだけではなく、社会への抗議としての反抗の最初の手段であり、「バビロン」の法からの解放を示すことを意味する。

「聖なる草」と呼び、聖書の中から数多くの聖句でその神聖さが証明されているとしている。ガンジャの吸引はナイヤビンギの儀礼では欠かせない。ナイヤビンギの儀礼ではラムなどのアルコール類を飲用することや、タバコを吸うことはタブーとされている。彼らはラムの飲用は人間を暴力的にすると考えているが、ガンジャは人間を穏やかにすると考えている。

戦わなくなされた。


ドレッドロックス

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ラスタファリアンの多くはドレッドロックス(ドレッドdread=恐ろしい、locks=房状の)という髪型をしている。これは、下記の旧約聖書の中の記述に則り、たとえ髪の毛であっても自らの身体に刃物を当てることを禁じた結果、頭髪が絡まって房状になったものである。

レビ記21-5
「頭髪の一部をそり上げたり、ひげの両端をそり落としたり、身を傷つけたりしてはならない」

士師記13-5
「その子の頭に剃刀をあててはならない。彼は、ペリシテ人の手からイスラエルを解き放つ救いの先駆者となろう」

ペリシテ人がユダヤ人のイスラエルを抑えていてくれた味方


アイタル・フード

ラスタファリアンは菜食主義である。特に肉類は体に有害とされている。その理由としては、肉類を食べると体内に虫がわいて、それが胃の中で排便すると気分が悪くなるからだという。同じ肉類でも特に豚肉はかたく禁じられているが、豚肉しか食べるものがないときは、自分の名前をラスタとは関係のない名前に変えてから、それを食べるのだそうだ。
ラスタファリアンの主食の一つは魚であるが、12インチに満たない小魚に限られている。それを超える大きさの魚を食べるのは略奪者であり、人間が人間を食べるバビロン――すなわち体制を意味する。

市販の薬も使わず、民族伝統にそった草本植物を調合した薬を利用する。女性は、聖句で禁じられている通り、妻であっても生理期間中は料理できない

キチガイだ・・・


ユダのライオン

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ダ族の征服獅子王、ハイレ・セラシエを象徴するライオンはラスタファリアンにとっては最も名高いシンボルであり、いたるところで見ることが出来る。ライオンは王の王を象徴するだけでなく、男性優位をも象徴している。ラスタファリアンはもともとは男女平等ではなかった、男尊女卑。


ラスタ・カラー

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レゲェサイトに説明あるけど。本当の意味はこれなのでは?ノアヒディズム。

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詳しくはコチラへ・・・イランとアメリカの戦争の理由


ラスタ言語

ラスタファリアンの言葉はなまりが激しく、会話を聞き取るのは部外者では不可能に近い。非文法的な話し方は当たり前で、"me"や"you"を使わず"I and I"I and I」という表現方法を用いることを好む。ラスタ言語とは、社会で悩む他者を自己同一視する過程において、二項対立を乗り越える魂の言語となる。

人に対してポジティブな感応が得られるかどうかが彼らにとっては重要であり、ラスタ言語とは文法がどうこうというのではなく、心が通じ合うことが出来るかどうかが重要とされている。

一元論、ワンワールド。ポシティブ・スピ!バシャール!!(-_-;)

ジャマイカにおけるラスタの人口は全体の5〜10%程度で、国際連合に”新興宗教共同体”として”認可”されている。



バベルの塔

ラスタファリは‘ザイオンZion’(聖書ではシオン、イスラエル首都エルサレムのこと)と言うコンセプトを第一に置く。これは堕落、腐敗した現代社会の拒絶である。ラスタファリのザイオンとは聖なる約束された地‘エチオピア’であり、アフリカ回帰思想はここに起源する。もっともラスタは現実を現存する天国と考え、心と人で天国を(ザイオン)作り上げることが出来るという思想を持つ。ザイオンに対してラスタは堕落、腐敗した現代社会をバビロンと呼ぶ。“バビロン(Babylon)”とは古代の王国を指し、そこで二ムロド王がバベルの塔を建て、人間が神に近づこうと神(ジャー/ヤハウェ/爬虫類)にそむいた事によってその塔の崩壊、社会の混乱を招いたことからラスタファリではバビロンを現代社会の悪の象徴として引用する。


「イスラエル12部族」教!?(;´Д`)

●現在では活動は有名無実となっており、活動は完全に停止されているようです、良かった。。この宗教はラスタファリだが男女平等になっている。

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イスラエル12部族(Twelve Tribes of Israel)はキングストンのジャマイカで“預言者ガト(Prophet Gad)”もしくブラザー・ガド(Brother Gad)として知られたヴァーノン・キャリントン(Vernon Carrington)によって1968年に創設されたラスタの教派である。

団体の名前はユダヤ人のヤコブ(ユダヤ人の祖アブラハムの孫・イサクの息子)が授かった12人の息子に由来し、ヴァーノン・キャリントンによるエチオピアならびに聖書研究による結果、キリスト教、ユダヤ教、神秘的数霊学、系図学、占星学が体系的に統合されイスラエル12部族というグループが生み出された。

彼は人々に聖書を“一日一章”読むようにと教える。

他にも神の選民は14万4千人に限られることや、イエス・キリストはハイレ・セラシエ一世に化身して復活したことから両者が同等だとみなされたりとの信条が設けられ実践されている。

入会などは厳格で登録や会費納入が義務付けられている。

現在では、アメリカ、アフリカ、ヨーロッパ、オセアニアなど世界中に支部がありラスタファリズムでも最も世界的に知られている団体の一つである。

レゲエ・ミュージックを主にしたリクリエーションが行なわれたり、音楽、芸術、服飾などの活動が積極的に推奨されている。

多くのレゲエ・シンガーやミュージシャンもイスラエル12部族を支持していて、ボブ・マーリー以下、とズラズラ名前が続く。リンク

信条まとめ

1. 毎日聖書を1章読み、3年半で聖書全体を読みとおすこと。
2. 12という数がすべての中心となる。
3. 神の選民は144,000人に限られている。
4. イエス・キリストは、ジャー・ラスタファリ、ハイレ・セラシエ一世に化身して再生した。そのため、イエス・キリストとハイレ・セラシエ一世が併用される。
5. レゲエにあわせて、月1回の踊りが儀式となる。ボブ・マーリーはその中でも重要な歌い手であり、演奏者である。
6. メンバーはあらゆる人種からなる。このことは旧来のラスタファリアンよりも明確である。
7. 男女は平等であり、同じ役割を持つ。

彼らの考えはキリスト教近いものがある。その考えを良しとせず脱会する者もいた。旧来のラスタファリアンは、話し合いを重ねて合意をするが、彼らの場合は常にヴァーノン・キャリントンの審判が必要であった。

「レゲエ」の広まりが中流階級や非黒人にも強くアピールされたため、イスラエル12部族は1970年代において急速に世界中に広がっていった。しかし、旧来のラスタファリアンはラスタファリアニズムの真の音楽は『ナイヤビンギ』であり、レゲエではないと考えているため、イスラエル12部族に対しては批判的であった。

しかしイスラエル12部族教が事実上活動していないようだとは言え、ラスタマンの人たちは、相当この手の頭になっているよね・・・(-_-;)


初めて知った音楽のジャンル『ナイヤビンギ』・・・「レゲエ新世代の逆襲」と言われましても。その方々↓

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QAnon、スピ被れより本格的なヤバいスピ!!宣伝用にプロが作った映像にモロに見えるが、これは・・(;´Д`)
この動画のリンクはココ

カルト宗教のマスメディアの宣伝ページはココ。


The Universal Ethiopian Anthem
ユニーヴァーサル・エチオピアン・アンセム >賛美歌<

Ethiopia the land of our fathers
エチオピアはわれら祖先の地
The land where our God loves to be
われらの神が望む場所
As the swift bee to hive sudden gathers
蜂が群れをなすためにすばやく集まり
Thy children are gathered to thee.
子供たちはなんじのもとに集まろう
With our Red, Gold and Green flowing o’er us,
われら赤、黄そして緑の旗がわれらの真上をなびき
With our emperor to shield us from wrong
われらの皇帝が悪事からわれわれを守ろう
With our god and our future before us,
われらの神と未来を前に
We will hail thee with shout and with song.
われらは叫び、歌でなんじを迎え入れよう

Chorus

God bless our Negus, Negus I, who keeps Ethiopia free,
神はエチオピアに自由を維持するわれらの王、ニガスを祝福しよう
To advance, with truth and right, truth and right,
真実と正義で前進するために
To advancem with love and light, love and light.
愛と光で前進するために
With righteousness leading,
正義なる導きによって
We haste to our God and King,
われらは神と王のもとに急ごう
Huminity’s pleading one god for us all.
人類はわれわれすべてのために神を求めているのだ

O Eternal thou God of the ages,
いかなる時代も神は永遠である
Grant unto our sons that lead
導びこうわれらの子孫たちへと与えられた
Thy wisdom thou hast given to sages
なんじの英知はイスラエルが苦しみあり
When Israel were sore in need.
必要とされているとき賢人たちに与えられた
Thy voice through the dim past has spoken
暗闇を通してなんじの声は過去を語ろう
Ethiopia shall stretch forth her hands,
エチオピアは彼女の手を広げよう
By thee shall all barriers be broken
なんじによってすべての障害が壊され
And Zion bless our dear Motherland.
そしてザイオンはわれら愛しい母なる大地を祝福しよう

Ethiopia the tyrants are falling
エチオピアよ なんじのひざ下で
Who smote thee upon thy knees,
暴虐者たちは倒れよう
Thy children are lustily calling,
なんじの子供たちが遠い海の向こうから
From over the distant seas.
力強く呼んでいる
Jehovah the Great One has heard us,
偉大なる唯一のジャーはわれらに耳を傾け
He has noted our sighs and our tears,
彼はわれらのため息と涙に気付き
With the spirit of love he has stirred us
愛の真意を持ってわれわれを動かした
To be one all through the coming years.
これからの年月 すべてが一つになるために

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The Ethiopian Prayer
エチオピアン・プレイヤー >祈りの言葉<

Prince and Princess shall come out of Jamaica
ジャマイカから王子と王女が誕生しよう
Ethiopians now stretch forth their hands unto God.
エチオピア人たちは今 彼らの手を神に広げよう
O thou God of Ethiopia, Thy divine Majesty,
エチオピアの神よ 神聖なる皇帝陛下
Thy spirit has come into our hearts to dwell in
なんじの真意は我らの心に住まわうためやってきた
The path of righteousness, lead us,
正義の道が我々を導き
Help us love, loyalty on earth as it is in Zion.
ザイオンに存在するこの地球で愛し合い、誠実にある手助けとなろう
Endow us with Thy wisdom, knowledge and understanding to do thy will.
なんじの望みを叶えるためになんじの英知、知識、理解を我われに授けたまえ
Thy blessing to us, that the hungry be fed, the naked clothed
なんじの祝福はわれらにあれ 空腹を満たし 裸の者には服を与え
The sick nourished, the aged protected and the infants cared for.
病気の者に栄養を与え 老人を保護 妊婦を守りたまえ
Deliver us from the hands of our enemies,
われら敵の手から救いたまえ
That we may prove fruitful in the last days,
われらは最期の日まで豊かであることを証明しよう
When our enemies are passed and decayed,
われらの敵が去り腐敗したとき
In the depths of the sea, in the depths of the earth,
深い海、深い地球
Or in the belly of the beast,
または獣の腹の中で
Oh give us all a place in thy Kingdom forever and ever.
われはすべてへ汝の王国に永遠の居場所を恵みたまえ

● エラい宗教だな・・・(;´Д`)

Selah(セラー)

ヘブライ語で“休止”を意味する。聖書詩篇の区切りに出てくる言葉で「休止して、思考をめぐらしなさい」という意味で使用される。

>汝の望みを叶えるためになんじの英知、知識、理解を我われに授けたまえ
英知、知識、理解を何も授けられていない。なにも望みは敵わない・・(-_-;)
英知、知識、理解というのがラスタファリでよくでてくるのは、ユダヤ人の王のハイレ・セラシエ1世も祖先の王、ユダヤ人の王の中の王、ソロモン王の英知、知識、理解というのが物凄くて伝説だからです。フリーメーソンはこのソロモン王朝の復活のために魔法を使う・・・。


この本は感動します。感動したらソロモンに憧れる。フリーメーソンのソロモン王朝の魔法のエネルギーとして利用。ソロモン王朝ではゴイムは奴隷も奴隷。ダビデ王と並んでソロモンはユダヤ人に大事な王ですが、ソロモン王朝の復活を目指しているところを見ると、ソロモン王の方が、より繁栄していたのではないかな?エルサレムの大王。リンク

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ソロモン王は異邦人からの搾取で大繁栄したとはラスタマンは知らない・・(-_-;)そして自分たちの王だと思っているが、自分たちは異邦人だとは知らない・・・(;´Д`)


儀式・記念日

リンク


ガンジャ

ガンジャは大麻(マリファナ)のことで・・ガンは草、ジャは神、ガンジャは聖なる神(ヤハウェ)の草を意味することになる。

多くのラスタにとってガンジャの喫煙は精霊的儀式・生活習慣であり、聖書と親密に関わっている。

彼らはガンジャの喫煙を、体と心を清浄し、自覚を高め、平和をもたらし、神(ヤハウェ)へ近づける神聖な物として考える。また、心に潜む誤りや悪の行動を打ち砕き、心に問うことで人の心を“真実”に導く物と考えている。

ラスタにとってこの薬草の使用はラスタとしての苦悩を経験し、彼らの信念である“真実”を追求する事である。

マリファナの喫煙は聖書記載されており、彼らの宗教的観点と瞑想を手助けするものとなっている。

ラスタは以下、聖書記載される詩によってマリファナの使用を立証している。

創世記1章11節
神は言われた。「地は草を 芽生えさせよ。種を持つ草と、それぞれの種を持つ実をつける果樹を、地に芽生えさせよ。」そのようになった。

創世記3章18節
お前に対して 土は茨とあざみを生えいでさせる 野の草を食べようとするお前に。

箴言15章17節
肥えた牛を食べて憎み合うよりは 青菜の食事で愛し合うがよい。

詩篇第104篇14節
家畜のためには牧草を茂らせ 地から糧を引き出そうと働く人間のために さまざまな草木を生えさせられる。

注・これ、無理がある気がするんだよね・・・。そして、ベジタリアン思想の出処も分かってきた感じ(滝汗)


また、ラスタは英知なる王、ハイレ・セラシエ一世の祖先と考えられているソロモン王の墓に初めて生えた草木がガンジャであったと考える。

ラスタにおける「ワンラブ、コンシャス(気づき)、家族、調和、人類」いった哲学思想。

'I and I’とは自身とそれに映し出される世界を現すが、重要なのはコンセプトとして'I and I’は、世界/宇宙(Universal=Iniversal)とその他の人々(I’s=人類)を取り巻く環境をあらわしている

この言語には、精神的イメージ・思想・音・表現が含まれ、最も物事を鮮明に映し出す効果を持ち合わせている。最も原始的なコミュニケーションとも言え、ダイレクトに相手の心・頭に入ることが出来ると共に、状況・世界を共有出来るとされる。


現在のジャマイカの治安

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外務省の海外安全ホームページ(リンクが有る)にも書いてある通り、治安はかなり悪いです。かなり危険な雰囲気。特に首都であるキングストンは、観光地である「ボブマリー記念館」の周りでも強盗事件が多発

昼夜関係なく、一人で外を歩く時は気をつけなくてはいけません。
暗くなったら外を出歩かない方が良い。私が滞在中に、隊員の同僚の方が、強盗に襲われ金銭類は全て取られてしまった。しかもそれが起きたのは、日中、高級住宅街が並ぶ閑静な住宅街

思ったより栄えている

大型スーパーなどもあり何でも買える感じ。ただ、スーパーの入り口にも施設の入り口にも必ずセキュリティの方がいて、全体的に物々しい雰囲気

ギャングの紛争が絶えないので、何人もの警察官(というか服装的には軍隊)が長い大きな銃を持って街を見張っていました。

ジャー(ヤハウェ)のご利益なのだろうか?ラスタマン以外の人々も、もそもそも植民地支配されてから強烈なキリスト教の国なんですよね。リンク

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◎「我々もユダヤ人だ!」エチオピア系住民の怒りが爆発した!

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イスラエルには現在、約13万5000人のエチオピア系ユダヤ人が暮らしている。彼らは、古代イスラエル王国が分裂したときにアフリカに移住した人々の末裔だと言われていて、「ベタ・イスラエル」と呼ばれる。

ベタ・イスラエルたちは、キリスト教徒が多いエチオピアで長年、異教徒として迫害されてきた。(ユダヤ教ですから)そんな彼らを救おうと、イスラエル政府は80~90年代に、約2万2000人をチャーター便で移住させる作戦を決行した。

だが、アフリカ系そのものの外見で、ヘブライ語を解さない彼らはイスラエルでも差別の対象だ。兵役はあるが教育や就業の面で冷遇されるため、ベタ・イスラエルの多くはスラムに暮らし、失業率は45%に上る。

そんな状況が続くなか、この4月に彼らの不満がついに爆発した。ベタ・イスラエルの若者が理由もなく警官から暴行(殺された)を受けた事件をきっかけに、大規模なデモが勃発。デモ隊と警察の衝突が繰り返される様子は、パレスチナ人の抗議活動「インティファーダ」のようだった。

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この事態に驚いた政府は、差別を撤廃する方針を発表したが、デモはまだ鎮静化する様子を見せない。

ベタ・イスラエルとはエチオピアに住むユダヤ人の呼称。エチオピアの非ユダヤ人からはファラシャと呼ばれるが、ゲエズ語では「流浪民」・「異邦人」の意味で、ベタ・イスラエルからはファラシャという呼称は「侮蔑的である」として忌避される。

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ゲエズ語
ベタ・イスラエルの言葉。ヘブライ語にそっくり


【イスラエル】 エチオピア系に対する人種差別に抗議するデモが続く

イスラエルでエチオピア出身の19歳のイスラエル国民ソロモン・テカさんが警官の銃弾によって死亡したことによって始まった反人種差別デモは、昨日(7月8日)も続けられた。


黒人イスラエル人が彼らの血への侮辱をめぐって暴動

HIVの恐怖??1996年1月29日月曜日01:02

イスラエルの国立血液銀行がエチオピア人から寄贈された血液を日常的に破棄したという暴露に端を発した抗議の最中に、数千人の怒っているエチオピアのユダヤ人が警察の列を通り抜けて戦い、エルサレムの首相官邸を包囲した。 。

エチオピア・ユダヤ人の友

アメリカ人相手の募金活動だと思う。

エチオピア、スーダン、ケニア、イスラエルで何十年にもわたってエチオピアのユダヤ人と一緒に活動してきたベテランのアメリカ人活動家によって1998年に設立されたFEJは、イスラエルでの統合の成功と完全な平等という肩書のために寄付を求める募金団体。


というわけで、エチオピアとユダヤ人は関係がある。しかし殆どイスラエルに移住しました。そして”殆どのエチオピア人はユダヤ人種ではない”。しかしね、思うのだけど。ジャマイカからしたら遠いアフリカだけどジャマイカの黒人さんは南アメリカから連れてこられた。エチオピアのユダヤ人の皇帝ハイレ・セラシエ1世、エチオピアに住むユダヤ人と関係があるの・・?

アフリカの黒人、世界の黒人みんなで頑張ろうなのかもしれないが。預言者マーカス・ガーヴェイのバックに何かがおり、ノセられ盛り上げられトンデモ宗教を与えられたと思うのでした。。

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自分たちアフリカ黒人を奴隷にしてきた人種にまるで疑いのないジャマイカのラスタマンのお話でした。ベタ・イスラエルの話も後に。入れるつもりだったけどそれだけでも膨大、むり(;´Д`)

おわり

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