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パート2 「見ざる聞かざる言わざる」は洗脳。

 『三猿の起源』について

『三猿の起源』について(ウィキペディアの記事より転載)

●3匹の猿というモチーフ自体は、古代エジプトにも見られる。(このnoteの壁紙。この記事の後半で説明します)

日本語の語呂合わせから日本が三猿発祥の地と思われがちだが、3匹の猿というモチーフ自体は、古代エジプトにアンコールワットも見られるもので、シルクロードを経由して中国から伝わったものだという見解がある。

また『論語』の一節に「非礼勿視、非礼勿聴、非礼勿言、非礼勿動」(礼にあらざれば視るなかれ、礼にあらざれば聴くなかれ、礼にあらざれば言うなかれ、礼にあらざればおこなうなかれ)があり、中国では今日でも妊娠中の女性は胎教の観点から「目は悪色を視ず、耳は淫声を聴かず、口は敖言を出さず」という戒めを受ける。
  
朝鮮半島においても、結婚前の女性は「見ても見ぬふり、聞いても聞こえないふりをして、言いたくても言うな」と教育される。インドのマハトマ・ガンディーは常に、3匹の猿の像を身につけ「悪を見るな、悪を聞くな、悪を言うな」と教えたとされており、教科書などに「ガンディーの3猿」が掲載されている。また、アメリカ合衆国では教会の日曜学校などで三猿を用い猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう諭すことがある。

「見ざる、聞かざる、言わざる」
は日本には8世紀ごろ、漢語の「不見、不聞、不言」を訳した天台宗の教えとして伝わったものだという説がある。

三猿のモチーフは、庚申信仰の伝播とともに近世以降広く用いられるようになり、主尊の青面金剛を描く際、その足元に三猿が添えられた例が多い。また庚申塔にも多く三猿が彫り込まれている。天台宗は比叡山の鎮護社の日吉大社と密接な関係にあり、日吉大社を本尊とし、猿を神使とする山王信仰が、庚申信仰と習合した結果ともいう。

江戸初期の左甚五郎作と伝える日光東照宮のレリーフは、明治時代になると海外にも紹介されて、やがて世界的に最も有名な三猿のひとつとなった

日本には良い意味の三猿はあるけど、世界各地の三猿はキリスト教とキリスト教と同じ質の「脅し」・・・!


次は4猿です。

4猿もあるとパート1で書きましたが、こういうのです。

画像21

インド

4猿目の意味は、これと同じで性的なことは「せざる」なんです。これはキリスト教とイスラム教の教えからなんです。この2つはユダヤ人たちが作った。

上のウィキペディアの、>アメリカ合衆国では教会の日曜学校などで三猿を用い猥褻なものを見たり、性的な噂を聴いたり、嘘や卑猥なことを言わないよう諭す。

4猿は、アメリカだけでなくて世界中にあります。三猿よりは遥かに少ないですが、沢山ある。

パキスタン1

パキスタン

フェミやトランスジェンダーでの左翼の偽善・馬鹿騒ぎがウザいと思った人達の多くは、これの源流は「キリスト教から来ている」と気づいた。昔のPTAもこれで、キリスト教の洗脳で親たちを洗脳し親は子供を洗脳した。これには大きな理由が2つ有るけど一つはこれ↓

ユダヤ人の神は人類を苦しめ滅ぼしたい、人類の生贄を求める神に「ワレワレは選ばれた。」そもそも人類に生贄などトンデモナイ物が有った理由はこれです。植民地支配、奴隷化に繋がっていく。もう一つの方の説明は、これより高度なのでまた今度。

日光東照宮『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E5%85%89%E6%9D%B1%E7%85%A7%E5%AE%AE

家康が日光に祀られることになったのは、家康本人の遺言からである。金地院崇伝の日記である『本光国師日記』には「遺体は久能山に納め、(中略)一周忌が過ぎたならば、日光山に小さな堂を建てて勧請し、神として祀ること。そして、八州の鎮守となろう」と残されている。家康が目指した「八州の鎮守」とは、日本全土の平和の守り神でもある。家康は、不動の北辰(北極星)の位置から徳川幕府の安泰と日本の恒久平和を守ろうとしたと伝えられている。


日光東照宮の木彫像にはこのようなものも有って・・。

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